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写真を撮る行為

写真よく皆撮る

なんだか綺麗なやつとか

有名人が来たとか

感動するようなイベントがあった時

自分の目で見るよりも携帯で撮ろうとする

友達とか人間の表情はその一瞬でしかないから

風景よりも人や生き物の表情を撮りなさい

みたいな考えも聞いたことあるけど

一瞬なんだったらなおさら肉眼で見たくない?

一瞬なんだよ?なに機械を介してんのよ

ってなんとなく思ってた

この現象はなんでやろか

自分の目で見ることに肉眼で見ることに価値があるんじゃないのか

写真はネットを調べりゃいつでも見れる

なんならプロの人が撮ったやつがあるし

自分で撮ったという証拠を欲しいのだろうか

誰かに共有したいのか

誰かに自分が撮ったことを承認して欲しいのか

肉眼では一生見れないかもしれないのに

その感動のために目がついてるんじゃないのかなって

ご飯もまず写真を撮る

共有することが生存戦略的に良いってことになってるんだと思うけど

本能的にしてるんだよね

ただ、なんかもう一個ありそうなんよな

自分の一個の仮説

感動を記憶の一つとして入れる一つの行為として写真を撮るのではないか

共有したいもあるけど

感動した自分の視覚をとどめておきたいという本能

ドーパミンを閉じ込めたいみたいな

「感動したんだよ自分」みたいな

その保存方法

かと言ってずっと見返すわけでもなく

またフォルダを見返してもそこまで感動するわけでもないけど

自分は今感動したんだ、という感覚を保存したいみたいな

自分は人間でありデフォルトで忘れていくことを知っているから

この感動を忘れたくないという感覚のための写真

その物理的な行動をして落とし込みたいみたいな

これは自分にとってメモみたいなものなのかな

メモをなんで取るのかっていったら

なんかこの考え忘れたくないのよ

それしかないもん

写真と言葉の違いなだけで

さらに自分はこの量が多めっていうだけで

次になんでそんなにメモ取るのかと聞かれたら

あなたが写真をよく取る感覚だと思うと答えよう

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