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小田桐あさぎさんの魅力覚醒講座って怪しくないの??自分に自信がなかった私が自分を大切に思えるようになり人生楽しめるようになった話。

こんにちは!
魅力覚醒講座16期生
アサギスト歴は2年✨

ゆるく楽しいの大好き✨
HSS型HSPでのんびり屋、
とびきり元気でやんちゃな2児のママ
らくちゃんこと岡本楽子です🩷
(※アサギストとは小田桐あさぎさんが主宰しているマインド講座:魅力覚醒講座受講生のこと)


⇩まず簡単に自己紹介🩷楽ちゃんってこんな人です✨

◎岡本楽子/コンフォートライフクリエイター 『毎日を彩る”自分軸ごはん”』講座主宰 自分を満たして、家族も満たす。 疲弊ワーママを救う「脳内メモリに余白をつくる献立術」を提案。 ごはん作りを、苦痛じゃなく、もっと楽に楽しく! シンプルで再現性が高いレシピが評判。 ココナラ献立ランキング1位獲得歴。 介護施設で献立作成や栄養管理に長年携わる。管理栄養士。 時間ない!お金ない!自信ない! 来世に期待するほど人生を諦めていた自己犠牲ママから覚醒し、 夫婦円満・日々を楽しみドバイ旅行までできるフリーランスへ。 幼い頃から食料問題に関心が強く、家の冷蔵庫をながめては、日本の廃棄量と世界の飢えのアンバランスに心を痛めてきた。フードロス解決の一歩を家庭から!みんながお腹いっぱい食べられる世の中に🩷みんなが心地いい暮らしを叶えたい🩷

色々封じ込めてたけどとにかく私は自由に遊びたかったんだと気づいた2年間。

私は今、バタバタ忙しかった朝から解放され、子どもをゆっくり見送れるなどゆとりと自由な時間を手にいれ、のんびり楽しく家族と暮らしています。そして、2児の小さい子どものママだけど、時には単身または本音で付き合える友人と国内や海外(ドバイ✨やタイ🌴)旅行に行ったりもできるようになりました🩷

先日あったイベントアジア覚醒ツアーに参加✨何気に写っている自分にしかわからない写真①


ワット・ポーで🩷間違いなくお前だな。そうじゃなければ誰なんだよ写真①


一昨年行われたドバイ合宿✨ウォーリーを探せ並に難しい楽ちゃんを探せ写真①ヒントはサロンのンの文字右下くらいで顔を隠している人←探したのに隠れてるなんて🤣この時私は顔出ししていなかったのです


こちらもドバイ🩷素敵女子とあさぎさんと一緒に🩷ウォーリーを探せ中級楽ちゃんを探せ写真②ヒントはドレスコード「派手な服」を捉え違え全身柄になってしまった人😂
アサギストの集い🩷ひっかけ問題じゃなければ超簡単な楽ちゃんを探せ写真③この問題であなたの天邪鬼具合がわかるかも!?
命の危機を感じたドバイの爆笑砂漠旅で。生きててよかった。ここまで来ると流石に見つけられる?楽ちゃんを探せ写真④


私は地方在住なのですが、
あまりのフットワークの軽さに
「ママだって知らなかった」
「都内在住」
「羽生えてる!?」
って言われるなどの弊害🤣?や幽霊部員だった初期から私を知っている講座同期には「別人に見える」と言われる変化が最近起きています。

現在こんな感じの私なのですが、つい2年ほど前までは来世や老後に期待するほど人生を諦めていました。

1日の終わりはこんな感じ。座ったら立ち上がれねー。気合いと根性。座る前にやるしかない。

ワンオペワーママタスクをこなす日々毎日限界ギリギリ余白ゼロ
寝るというか気絶。時には夜中に起きて泣きながらお皿を洗ったり。
子どもを急かしてばかりイライラしてしまう自分が嫌い
本当はいつも笑顔の優しいママでいたいのに鬼ババのように怒ってしまう
生活を楽にしようと始めた副業人と比べては落ち込む
とにかく自分に自信がない
・いつまで経っても自由に飲み会に行ったりお金を使う夫が許せない
自由がない。私の人生終わった。私がやりたいことをやるのはもう老後まで無理なんだ。老後&来世に期待と思う

初公開🤣5年くらい前の私。今より老けてる?髪もお金が勿体無くて染めれない。常に生活が赤字で将来が心配。せっかく奮発して記念に遊びに行ってもお金を使えずケチケチしてしまう。


笑ってるけど目が笑ってない。


夫と私は仲が良かったはずなのに、結婚してから私は少しずつ夫に対して不満を溜めていきました。

「空気読んでよ、分かるでしょ?」と“察してちゃん攻撃を繰り出し無言の圧をかけまくる。して欲しいことを期待し、その通りにならないことにイライラを募らせる。

最初は「亭主関白がいい🩷男の人には家事とかしてほしくないの🩷」と私から希望して結婚したはずなのに、あまりの大変さに早々にリタイア。そしてこの態度。(←今考えると酷い😂)

話し合いをしたいと思っていてもケンカになることを嫌う夫はしょっちゅう実家に逃げ帰る(←今なら理由がわかります😂)
私は夫婦になったら自分たちで新しい家庭を築かないといけない、自立しないとと思っていたので、しょっちゅう実家に帰ったり、飲みに行ったり、いつまでも独身気分で過ごしている夫のことを依存していると感じ気に入りませんでした。

子どもが生まれてから状況はさらに悪化。

自由な夫は言ったことはしてくれるけれども、言わないとやらない。
子どもの保育園の送り迎えもご飯もお風呂も寝かしつけも全部一人。
こんなのシングルマザーと変わらない。いやむしろ生活のリズムが崩れる分今の方が大変かもしれない。そんな想いが沸々と湧き毎日イライラ。

周りの家庭は、子どもが小さいうちは旦那さんも早く帰ってきてくれたりしているのに。

うちは全然協力的じゃない!

私ばっかり苦労して私ばっかり我慢している!

私は将来のために頑張っているのに!!夫は何も考えていない!

でも本当は、家族仲良くいつもニコニコしているお母さんでいたい…😢


当時の私は、夫のことを恨むと同時に、自分の不甲斐なさや、やりきれない思いを抱えていました。

私は自分の母親とうまくいっていなかったこともあり、「あんなイライラしているお母さんにはならないぞ!」と家庭に対して強い憧れを抱いていたはずなのに、
自分が描く理想の生活を送れないことに怒りと寂しさ、立ち込める閉塞感に私はもう老後まで自由になれないんだと諦めの感情を覚えていました。


ある日ふと鏡に映った自分の怒っている姿が怖すぎて悲しかった。それでも外では頑張り続けた。



天真爛漫で、いつもニコニコしていて悩みなんてなさそうって言われてきた私。

でも心はずっと晴れていてもどこか曇っているような。笑っていても何となく不安で物足りなさがあっていつも何か満たされませんでした

自分の感情に、良い・悪いをつけ、怒ってはいけない、泣いてもいけない、といつも「笑顔で武装」していました。

普通の人生でいいと思い、世間一般で言われる普通を全部手に入れたはずなのに苦しい。普通ってなんなんだろう。全部手に入れているはずなのに、何かがおかしいし、満足できない。

不満だらけだった私は、そこからどうにか抜け出そうと悩み、たくさん本を読んだり行動を変えてみたり動いていきます。

これは世間の常識に縛られていた私のこじらせの歴史と、そこから抜け出そうと一歩ずつ気づきを得て進んできたお話です☺️

・頑張っているのに報われない!
・真面目に優等生コースを歩いてきたのに何かがおかしい!
・本当は笑顔のママでいたいのにイライラしてしまう💦
・ママになっても自分を諦めたくない!!
・自由に生きたい!!
・家族仲良くいたい!!
・このまま人生が終わるのは嫌!!
・とにかく楽しいのが好き!!


そんな方に読んでもらえると何かのヒントになるかなと思います🥰少し長いですが最後にプレゼントもあるのでぜひ最後までお付き合いください🩷


目次

①生い立ち 心と体のコンプレックス 編
②若い時の苦労は買ってでもせよ 頑張りすぎた仕事 編
③関白宣言に勝手に振り回され 振り回した結婚生活 編
④今度はやりがいを求めて 編
⑤お金がなくてじっと手を見る 編
⑥更なる理想を目指して転職 編
⑦大切にしたいものを大切にするために 編
⑧最大の難関自信がない 編
⑨自信ないからの転機 編
➉実際に魅力覚醒講座に入ってみて
⑪気づきとまとめ
⑫プレゼント


橋の下で拾ってきた??

(①生い立ち 心と体のコンプレックス 編)


私は両親、姉、私、弟の真ん中っ子として育ちました。幼い頃は決して裕福ではなく、どちらかというと平均よりちょっと下の生活をしていたと思います。狭いアパートに節約料理。おからとパンの耳をよく食べていたのを覚えています。

専業主婦だった母は明るかったですが、完璧主義で頑張り屋で心配性でとても厳しい人で、時々信じられないようなヒステリーを起こしていました。そして今思えば料理は苦手だったと思うのですが、本を見ながらおやつも手作りのものをよく作ってくれていました。
父は仕事が忙しく普段はほとんど家にいませんでした。いる時は遊んでくれお調子者でしたが、怒るとめちゃくちゃ怖い人でした。
姉は明朗快活で、頭も良く、はっきりとものを言い、友人も多く学級委員長をするようなタイプでした。
弟は、待ちに待った待望の男の子であり存在自体が溺愛されていました。

また姉と弟はスラッとしたモデル体型でした。昔よくあった冗談「橋の下で拾ってきた」というやつ。私実はちょっとだけ信じて傷ついていました😂だって体型が本当に似ていなかったから。

私は小さな頃からのんびりした性格でちょっと抜けていました。
学生の時は教室にネジが落ちていると「楽ちゃんのあったよ!」と持って来られるほど😅標準体型ではあったもののちょっと丸かった私は家族の中で「楽ちゃんだけ残念」と言われたり色んな場面で話のオチにされてきました。

また、学校で生い立ちを聞いてくる宿題があると母は笑いながら「本当は男の子がよかった」と何度も話しました。そうだったのかもしれないけれど、この言葉は「私は望まれていなかったんだ。いらない子だったんだ」と聞くたびに私の心を傷つけました。

のんびりマイペースに自分の世界で遊ぶことを好んでいた私と、トップクラスに勉強もでき活発でいつも友達の輪の中心にいるような優秀な姉。いつも比較され、姉と違うことをやりたいと言うと父からは「お前には無理だろうな」とことあるごとに言われました。

今は両親も私を傷つけようとして言った言葉ではないと理解しているけれど、その言葉はずっと私の心の中に住み着き「自分には価値がない」「自分は出来の悪い子なんだ」「早く死にたい」と思って大きくなりました。

そんな感じで自分に価値を感じられていなかったので、学校で食物連鎖や食料問題について習った時は、ショックすぎてしばらくご飯が食べられなくなったほど😓生きている価値のない私にご飯があって、価値があるかもしれない誰かの食べるご飯がない。そんなふうに感じ私なんていなくなった方がいいのではと考えていました。

当時の友人に聞くと私は勉強も運動もできていて優秀だったそうなのに、自分では全くそんなふうに思えず、自分が嫌いでそれでも周りとはうまくやっていきたいと笑顔で武装し、一生懸命周りに合わせていました。

家庭で、学校の悩みを母に相談してもいつも「あんたが悪い」で一蹴。次第に私は相談することをやめ自分の中で解決するようになりました。ただただヘラヘラしてやり過ごす。家庭も居心地の良い場所ではなく、家族にとって私は「いてもいなくてもどっちでもいい存在。むしろいない方がいいんだ」と感じていました。

私は「やめて」も「嫌だ」も言わず何となくヘラヘラとその場をやり過ごす術を身につけ大きくなりました。

両親からの言いつけと姉の人生のレールをずっと辿ってきた私が、唯一自分の意志を通したのが大学進学の時でした。
どうしても姉と違う道を進みたくて、どうしても両親と離れたくて。両親から出された条件は「手に職をつけること。国公立大学に進学すること」そこで私はもともと関心の強かった食の分野、そして国家資格である管理栄養士を目指します。ここから解放されたい、その一心でがむしゃらに頑張って見事志望校に合格しました。

今までにない自由を感じられた大学生活は、それまでの人生の中で一番楽しかったです。
大学で、正しい栄養の知識や適切なボディイメージ、健康な食について学び、今まで自分は太っていると思い、寒天ダイエットやりんごダイエットなど当時流行ったダイエットを色々試してきた私だったけれど、学んだ食事を実践することで、急増して落とせなかった8kgもスルスルと落ち体重は20歳から安定。ダイエットとは無縁になりました。

私はここでようやっと自分の『体型に対するコンプレックス』が外れました



ちょっと話が暗いから可愛い画像🩷こうやって書いてみると自分の世界は自分が作っているとよくわかります。


(②若い時の苦労は買ってでもせよ。頑張りすぎた仕事編)

大学卒業後は、ストレートで何が何でも正社員にならねば!と思っていた私は、新卒採用された老人ホームでがむしゃらに頑張ります。
この職場はサービス残業当たり前の環境だったため、私も周囲と同じように毎晩遅くまで働きました。

「石の上にも三年」「若い時の苦労は買ってでもせよ」という言葉を何度も心で唱え、(すぐ辞めたら就職先なんてそうそうない。すぐ辞める奴って思われる)と苦しくても歯を食いしばって頑張りました。
次第に努力が評価され成績上位者に入るようになり、ボーナスに加算が付くようになりました。ですが、その金額は他の人よりもプラス1万円でした。

毎月80時間ほど残業代を貰わずサービス残業をしてボーナスがプラス1万円。
もらえた有難さより評価された喜びよりも、報われない不満を感じました。

そのうち、ちょうど色々な辛い出来事が重なり、私は体調を崩しました。病院には怖くて行けなかったけれど、行っていればきっと「鬱」と診断されていたと思います。職場に行っていても突然涙が溢れ、朝ベッドから起き上がるのが鉛のように感じ起き上がれなくなりました。

そんな状態でも元々くそがつくほど真面目な私は「行かないといけない」と思い込み、休む選択肢も仕事を辞める選択肢も持たず、毎日仕事に行って当たり前のように夜遅くまで働いていました。

帰宅時間が夜中になってヘトヘトでも、管理栄養士としてのプライドから、コンビニや加工食品など便利なものに頼ることが出来ない。スーパーは帰宅時間には閉まっている。作る元気もないのに便利なものも買えない。次第に多忙と食べられないことから体も精神もボロボロになりました。毎日のように死について検索し、死に方を知ることで安心感を得ていました。

当時の私は20代前半。周りからは「綺麗だね」や「若さが羨ましい」「いつもニコニコしていてすごいね」と言われており、でもそれがプレッシャーでもありました。

そんなある日、私はどうしても生きていくのが嫌になって人生を終わらせようとしました。さぁいよいよその時、という時。

私の頭には、あんなに嫌いだった母親の笑顔が浮かんだのです。

そして、次々と、父や、祖父母、姉や弟。家族の姿が頭に映像として繋がっている線のようにどんどんと流れてきました。

私は1人で大泣きしました。そして「自分の代でこの命を終わらせてはいけない」と強く思いました。

この時、初めて私は『自分の命は自分だけのものではない』『もっと生きたい。死にたくない』と思ったのです。


結婚生活は勝手に武装。思い込みとこうあらねば!という幻想に振り回され振り回す。


(③関白宣言に勝手に振り回され振り回した結婚生活 編)


その後紆余曲折ありながらも、「どうしても子どもが欲しい」と思い「30歳までに結婚して子どもを産まなきゃ!」と思い込んでいた私は、猛烈に婚活にコミットします。

そして、婚活開始から3ヶ月。現夫から熱烈なアプローチを受け20代半ばで結婚しました。婚活中、「管理栄養士」の肩書きは正直モテました。料理が上手と思われると得をしました。そんなニーズをわかった上で私も自分の家事スペックをアピールしていました。

周りからは結婚を焦ったと言われることもありましたが、私は夫と出会えたことは今まで家族に恵まれなかった私へ神様からのプレゼントだと感じました。

見た目や肩書きだけではなく、私に何も要求せず、私がニコニコしていてもしていなくても、繊細でちょっと暗い私の心の内を知っても引かない。

いつだって真正面から向かってきてくれるバファリンよりも優しさ多めの優男と夫婦になりました。優男の家族は私の実家とは声のかけ方1つとっても違いました。謙遜などはせず、夫のことは「自慢の息子だ」と言っていました。

私はずっと「できの悪い娘ですが」などと紹介されてきたので、義実家のあり方は衝撃であり、夫がなぜこんなに優しく育ち、こんなに自分と周りを大切にできるのかなんとなくわかった気がしました。

優しい夫と結婚して、優しい義理の家族に温かく迎え入れてもらって結婚生活にはなんら問題がないように思えたのに、良い妻、良い母になるため私は自分では思い込みとは気づかないような壮大な思い込みを発揮し、自分を苦しめていきます。

「家事は女性がやるものだよね」
「やっぱり理想は亭主関白だよね」
「関白宣言のような女性が夫も理想だよね」
「服装は地味な方がいいよね」
「結婚したんだから、短パンとか履いちゃだめだよね」
「嫁なら義実家にいった時は率先して家事をするべきだよね」
「姑は嫁が嫌いに違いない。きっとあの言葉には裏があるはず」←😂


夫からも義実家からも誰からも言われたことのない勝手な思い込みで勝手に「こうあるべき」の奔走を始めます。

「亭主関白がいい」と私から夫に宣言したけれど、その生活は全然私には向いておらず実際は、私の望む結婚生活でも何でもありませんでした。

夫がさも当然かのように黙ってお皿をシンクに投げ入れた瞬間に、私はブチ切れました。

わずか1週間でした😂

私の望む結婚生活は亭主関白ではない。私は家政婦じゃないし、ただ夫と仲良く過ごしたいだけだ』と気づいた瞬間でした。


振り回されて夫が可哀想になってきた😂妊娠中の私と夫。ただ仲良くいたいだけだった。


(④もっと!もっと!今度はやりがいを求めて編)


結婚して専業主婦になった私でしたが、夫のお金を使うことに遠慮があり、日中電気すら付けられずどこにも行けない。買えない。

自由がないことに耐えきれず専業主婦に向いていないと思った私は、やっぱり働こうと仕事を探します。

でも家庭も大事にしたい。子どもも欲しい。前のような多忙で責任の重い遅くまで働く職場は嫌だ。

ということで給料面は妥協して比較的融通の効きそうな事務の仕事を始めます。(事務職の方、舐め腐った言い方すみません。)

私の入った会社の事務は毎日ルーティーンが多く、1日1日自分で考え積み上げていく仕事ではなく、毎日決まったことを行い1日1日リセットされ繰り返されていく。そんな感じの業務内容でした。

給料は正社員で手取り12万でした。
私はこのルーティーンワークにやりがいを感じることが出来ませんでした。

前職では大変ながらも人に喜んでもらう喜びや自分のスキルがアップすることにやりがいを感じていましたが、この仕事は…。
今を繰り返して60才になった自分が何を得ているのか想像すると怖かったです。

私の人生にはやりがいが大切だ』と感じ始めた時期でした。


(⑤お金がなくてじっと手を見る編)


ありがたいことに働きながら子どもを授かった私はワーママになることを選択します。それは、「保育園に入れないとこの先10年くらい働けなくなる!」と保育園問題を捉えたから。

10年働けない、10年のブランクはもう職場復帰できない!とまたもやビッグな思い込みを発揮しました。

保育園に入れるのはマストだと、保育園戦争を勝ち抜くため育休を前倒しして早期職場復帰を決意します。

夫婦2人の時は私の給料が手取り12万でもそれなりに暮らせていましたが、職場復帰の時、私は社員だけどパートのような時給扱いになったので、さらにガクッとお給料が減り手取りが10万を切る月もありました。

家族が1人増え、出費が増えているのに減る給料。

子どもが熱を出した時は病児保育に預けるのにまたお金がいりました。

生活するためのお金がギリギリで、赤字の月が続き、夫のお金の使い方にイライラ。夫がコンビニを頻繁に利用することや飲み会に何度も行くことが許せませんでした。

自分は買い物も切り詰めて、髪も染めず、節約のために我慢しているのに!夫は将来のことも考えず散財している!と感じ、あんなに仲が良かったはずなのに、神様からのプレゼントと思った夫と、お金のことでたくさん喧嘩をしました。

老後2000万問題なんてどうやって貯めれば良いんだ。
余分に使えるお金なんてこれっぽっちもない。

働けど働けど楽になれない。


世間の正解を歩いてきたはずなのに、いつどこで間違えたのか。

どうしたらいいのか分からなくて石川啄木の歌のようにじっと手ばかり見て、手相が悪いのかと金運線を自分で引いてみたりしていました。

100円のお菓子すら買えない。もっと子どもと楽しい時間を過ごしたいのに精神的な余裕も時間も無い。自分がやりたいことなんて時間の面でもお金の面でもできっこない。母親なんだから、なんせそんなの世間が許さない。私の人生終わったと感じ、このあと私が楽しめるのはもう老後の話だと思い来世に期待していました。

「お金なんてなくても幸せになれる」と思っていたけれど、「お金はやっぱり必要だ」「もっと時間が欲しい」と感じた時期でした。

(⑥更なる理想を目指して転職編)


やりがいも、お金も、子育てしやすい環境も欲しい
お金で喧嘩をするのも、余裕がなくてイライラして子どもに当たってしまうのも嫌だったから。
私はいつもニコニコしているお母さんになりたかった。

どうにか環境を変えたくて私は再度「管理栄養士」として働くこと、転職を決意します。

新しく就職した職場は子育て世代が多く有給を取ることにも寛容でした。子どもが熱を出した時には休むことが出来ました。お給料も前職の2〜3倍になりました。

人間関係ではややこしい部分もありましたが定時で帰れるし、やりがいもある。条件にはそれなりに満足していました。

が、ある日をきっかけに、私はこの働き方でいいのか、何のために働くのかを思い悩むことになります。


それはある大雨の日のこと。

1日中大雨が降り続き夕方、大雨警報が発令されました。保育園からは「急いで迎えに来て」と連絡が入りました。

私もすぐに行きたかったけれど、エッセンシャルワーカーであり1人職種であり自分の職場のことをしなければならず私はすぐに駆けつけられませんでした。

夫は遠方に仕事に行っており、迎えに行けるのは私だけ。

なんとか段取りをつけて保育園に着いたのは、先生から電話があった1時間半後のことでした。

お迎えに行ってみると他の子はみんな帰っており、暗い中、うちの子と園長先生だけが残って待っていました。

不安そうに待っている我が子…。

その姿を見て私は膝から崩れ落ちそうになりました。

園長先生は、「お母さん。どうにかできなかったの?」と言いました。

無事で良かった。無事で良かった。けれど。

『私はなんのために仕事をしているのか。このままで大切なものを守れるのか』



この日を境に、私は私にとっての大切なものを深く自覚し、自分を責める気持ちを抱くと同時に「働き方を変えたい」と猛烈に思うようになったのでした。


笑顔って最高✨


(⑦大切にしたいものを大切にするために編)


大切にしたいものを大切にするために。
私にとって大切なのは自由があり自分も含めた家族が健康で仲良く笑っていることでした。

うっすらと自宅で働きたい、フリーランスになりたいという気持ちが芽生えていた私。その後2人目を出産し、育休中にたまたま「ネットビジネス」というインターネットを使い自宅で自分で仕事ができる分野があることを知ります。

そしてその業界では、時間もお金も自由に生活している人がいることを知りました。たくさんのお金に関する「金持ち父さん、貧乏父さん」などの本も読み、この世の働き方には4種類あることを知り(キャッシュフロー・クワドラント)、私が理想とする生活を手に入れるために「ビジネスオーナー」か「投資家」になる必要があると知りました。

世間一般に良いとされる道を歩いてきてもなぜ報われなかったのか。この時やっとわかった気がしました。怪しいかもと不安に思う気持ちもあったけれど、えいや!と思い切って未知の世界に飛びこむとそこには、なぜこんなに疑われているんだろうと思うくらい真っ当でツールが違うだけで、そこには「仕事」が存在していました。
ノウハウを学び、時間を作り隙間時間に副業としてインターネットを使った仕事を開始。商品を作りココナラで献立を販売し、1位を獲得しました。

新しい世界を知り学び理想に向けて努力する。このまま順風満帆に行ける?という感じですが、私にはまだ問題がありました。


(⑧最大の難関。自信がない問題編)


最大の難関。自分に自信がない。

当時入っていた起業塾で、一緒に切磋琢磨していた仲間が「楽ちゃん良いよ!」「楽ちゃんの世界観が好き!」と言ってくれても私はその言葉を受け取れませんでした。「みんなお世辞で気を遣って言ってくれている」そう感じ、自分に自信を持てなくて前に進むのが苦しくなりました。

どうしても商品を作るとアピールが必要になる世界。

無理してアピールすることで、本当の自分と外で見せている自分の「亀裂」が大きくなっていく気がしていました。

夫には1年で結果を出すから1年だけ頑張らせてほしいと言っていたのに、自信がなくてなかなか進めない。余白や隙間時間を生み出して取り組んでいたので、その分夫にも皺寄せがたくさんいっているのに動けない。家のこともビジネスも中途半端で、家族と仲良く自由な未来を夢見て副業を始めたのに気付けば今を犠牲にして家族のこともおざなりになっていました。


(⑨自信ないからの転機編)


そんな時、私は偶然同じような悩みを持ってそれを解決しようとしている人を見つけます。そしてその方のSNSをウォッチ。追いかける中でその方がオススメするある無料セミナーの情報を受け取ります。

無料セミナーの主宰者を私は起業塾のセミナーで見たことがありました。ギャルっぽい見た目からは想像できないくらい人へのアドバイスは的確で愛がある回答をされており、頭の回転が早くそして何より話が面白かった。

たまたまその日が休みだったので興味本位でセミナーを見ました。そして、私は自分の心がワクワク大興奮していることに気がついたのです。

『人生を楽しむ圧倒的なパワー』『自由に生きているライフスタイル』
生きるってワクワクしていいんだ😳✨楽しいことするのが人生なんだ😳🩷

ママになって老後まで全てを諦め、自分のことは後回しで我慢が当たり前になっていた私。

そんな私と対照的にママでもありえないくらい自由でパワフル😳!!しかも家族仲も良いらしい😳🩷

派手な見た目とは裏腹に『芯のある本質的な話』

その方もずっと「ちゃんとしなきゃ」と思い世間から求められる通りに頑張ってきた人だったこと。お母さんが厳しく親子関係がもともとは拗れていたことにも親近感が沸きました。

私は、今この人に学ばなければずっと自信のないままだ!と思いどうにか自分を変えたくて、勇気を出してその環境に飛び込んだのです。

そう、これが私が魅力覚醒講座に入ったきっかけです。


(➉実際に魅力覚醒講座に入ってみて)


魅力覚醒講座には、数億稼ぐ女性起業家、医者、弁護士、税理士、大手企業の会社員、ワーママ、ニート、専業主婦、ハーバード卒、小卒、など本当にさまざまな女性が幅広く集まっています。年齢層もバラバラで30〜40代が1番多い気がしますが、はっきりした年齢は特に知らない😆🩷

講座ではタメ語&ニックネームルールがあるので、自分から明かさない限り自分の身分がバレることはないし、上下関係もありません。

今まで生きてきた世界では交わることのなかった人との出会い。
そして今までの価値観とはまるで逆にも感じるあさぎさんの言葉。

私は正直最初に受けた16期の時は圧倒されました。あまりにも自分が信じて頑張ってきたことと違いすぎて。

例えば時間の使い方。

私はどうにかこうにか隙間時間を生み出してタスクをたくさん詰め込み、こなしていくのが良い時間の使い方ダラダラ時間は無駄な時間だと思っていました

でもあさぎさんはダラダラ時間は削っちゃダメ!と言います。
そうじゃなくて、疑うことなく当たり前にやっている中で本当は嫌なことをやめていく。そうして時間を作り本当にやりたいことをやっていくんだと教えてくれました🥰

魅力覚醒講座の実際のテキストの一部。このテキストにワークが付いていて毎回自分と向き合います。講座はオンラインのセミナー形式で約5ヶ月に渡り2週間に1度のペースで1時間のセミナー、2時間程度の質疑応答が行われていました。


また、「頑張るんじゃない!人に迷惑をかけないようにってみんな頑張っているけれど、不機嫌が1番迷惑だから!!迷惑の種類が違う!!」

と当時の私にはグサグサブッ刺さるような言葉をたくさん浴びました。

でも、これにはすごく納得。
自分の家庭を思い出した時、私の母は家族のためにいつも一生懸命頑張ってくれていました。でもしょっちゅうイライラしていたし、私は毎日のように小言を言われ怒られていた。そんな家庭が嫌だったんです。私はそうなりたくなかったんです。だから同じことを繰り返している自分が嫌だったし変わりたかった。

自分が信じていたものが崩れる感覚。ショックではあったけれど、私はすごく可能性も希望も感じました。

最初こそ幽霊部員だったものの、少しずつ少しずつ人を信じられるようになり、たくさんの価値観に触れ、安心感の中で自分のことを話し、意見をもらい、行動の選択肢や実際の行動を変えていく

本当は自分は何を思っていて、何が好きで、どうしたいのか。1つ1つ丁寧に向き合って拾っていく。そうやって自分と向き合っていくことで、家族とも本音で穏やかに話せるようになり、絶対老後まで無理だと思っていた単身海外旅行までできるようになったり、悩みを一人で抱え煮込みがちだったのが軽い状態で相談できるようになったりしました。おかげですごく身軽に✨


行動が加速するきっかけになったドバイ合宿。「行きたい」と思い声に出し準備行動したことで自分の可能性が見えた。この時初めてリアルであさぎさんと会いました✨
あさぎさんが1億円のクラファンをした時にはライターとして参加させてもらいました(女子とお金のリアル対談レポライター)
出版記念パーティーには超VIPで参加✨リムジンに乗ったり朝からシャンパン飲んだり良い思いさせてもらいました🩷


この前はアジア覚醒ツアーに参加✨タイの素敵なレストランで✨

アサギストになって2年。
自分にはできないと思っていたこと、想像もしていなかった素晴らしい経験がたくさん出来るようになり、めちゃくちゃ人生が楽しくなってきました✨
女子は怖い、気を遣わないとと思っていたのが、本音で話せる気の置けない友人&お互いに応援しあえる仲間がたくさんでき一緒に遊べる友達までたくさんできました🥰

そして自由に生きているけれど、家族仲も前よりずっとよく、夫とはさらに仲良くなりました。今は夫に理解&応援してもらいながら前に進めており、一度は自信がなく進めなくなった副業で取り組んでいたテーマをバージョンアップし、「ご飯はサクッとクリアして自由に遊ぼ🩷人生を彩る自分軸ごはん」をテーマに発信をしています。


あさぎさんのFacebookグループでのライブ「ちゃん卒ライブ」にも「夫婦円満余白作り」「家族円満自分軸ごはん」というテーマで2回出演しました🩷
初めてちゃん卒ライブに出た時のバナー🩷この時はまだ顔出ししておらず、バナーを作ってくれたアサギストが小さく「ライブ中は顔出ししちゃうよ⭐️」と記載し後押ししてくれました😆


16期の現役の時から17・18・19期とOG受講を続け、幽霊部員だった私も大変化✨

サポート生や現役生からは、
楽ちゃんのおかげで人生変わった」や「初めて会ったアサギストが楽ちゃんで
良かった
」「楽ちゃんは私たちの安全地帯」「のんびりで良いって言ってもらえて安心した」「楽ちゃんとは似てる気がしていつも励まされる」「笑顔に元気をもらえる」などたくさんの嬉しい言葉をもらえるようになりました。

初めて話した時は死んだ魚の目をしていた現役生がどんどん輝いてイキイキしていくのが本当に嬉しい🥰サポート生のうち2名もアジア覚醒ツアーに行っちゃうなど抜群の行動力✨


「すみません」が口癖で、人が怖く怒られるんじゃないかとオドオド。出来るだけ隠れていたいし見つかりたくない。
知らない人に対してはそんな感じで自信もなく自由もなかった私が、たった2年で自分に対する信頼と自由を取り戻しました

今思うことは、私はできれば子どもを産む前に入りたかったし、できれば結婚する前に受けたかった🤣🩷苦しい思いをした分そう思うし、でもその経験があるからこそ伝えられることがあるとも思っています。


(⑪気づきとまとめ)


親子関係を拗らせ、自分に自信なんて全くないながらも何かを手に入れるため良い大学に行って、手に職を付けて正社員として就職して、適齢期に結婚、子どもを産んで、働きながら家事も育児も完璧にできるよう頑張って。

世間一般から見ると何もかも手に入れて平均的で理想通りで幸せそうに見える現実は、やってみたからわかるけど本当に大変でしんどかったです。そして本当の意味では私の理想でも幸せでもありませんでした

私は無意識に世間の理想や一般論を自分の価値観だと思い込み、それが良いことだと疑うことなく、そして「自分はこの程度」という思いから、自分が本当はやってみたいことも行きたい場所も「自分は本当はどうしたいのか。どう思っているのか」本音がわからなくなっていました。そしてそのことに気づいてすらいなかったのです。

正社員で周りに合わせて真面目に頑張っていたら頑張り過ぎて鬱になりました。
転職してやりがいを手放したらお金に困りました。
やっぱりお金は必要だと、時間もお金もやりがいもある程度得られる職場についたけれど、エッセンシャルワーカーの私は緊急事態の時に子どもを迎えにいけないなど「大切なものを大切にできないかもしれない」という不安に直面しました。
それを解消するためにインターネットを使って副業を始めたけれど、自分に自信がなく前に進めず、家族と幸せになりたいと思って始めたのに今を犠牲にし、本末転倒な結果を招こうとしていました。

私がなんでこんなに上手くいかなかったのか。たびたび壁にぶつかったのか。今ならはっきりわかります。

それは、私が私の生き方を自分で決めていなかったから。
最初から無意識の妥協で選択肢を選び、本当の意味で自分がどう生きたいのかを自分で決めていなかったから。


私はこれに気付けず上手くいかないのはずっと周りや環境のせいだと思っていました。

魅力覚醒講座であさぎさんは繰り返しこう言ってくれました。

「自分がどう生きたいかは自分で決めないといけない」
何にも制限がないとしたら何でもできるとしたら本当はどう生きたいのか。

そして、
「私はあなたたちが何をしようと何を言おうと絶対に嫌いにならない」
これを言葉でも態度でも示してくれました。その絶対的安心感、多数の仲間の価値観と多様性に触れ、私は進んで来れたのです。

継続受講をする中で色々なことがありましたが、その度にあさぎさんの対応や姿勢に驚かされました。そして毎期、前回の反省やみんなの声を反映し、少しずつバージョンアップしていく。

頭で腑に落ちるタイプと、体で腑に落ちるタイプがいる。
あさぎさんは言語が得意だけど、体で腑に落ちるタイプが理解を深めるためのアプローチには、もうすでにそれをやっている人と協力した方が早い。そう思ってアジア覚醒ツアーなども企画されたみたいです🌴

実際誰がどこからどう見ても感覚派と言われる私は、魅力覚醒講座を受けて「自分も存在して良いんだ。ありのままで良かったんだ」とは思えていたのですが、タイに行きHAPPYちゃんのMOMEDを受ける中で、自分という存在の大切さが全身全霊でやっとわかり自分を愛おしいと思う気持ちが湧き上がってきました。

みんなで静寂の中海を眺める。そんな中、私も自然の一部だと感じ、今まで本当に申し訳ないことをしていたと涙が流れました。これからはもっともっと大切にする。今ある美しさやありがたさを見逃し、感謝せず、受け止めず、自分を自分で痛めつけていた、大切にしてこなかった。本当はずっとそこにあってずっと応援してくれていたのに。幸せは追い求めなくてもすぐ近くにあるし、もう持っていた。先ばかり見ず今を大切にする。そのことがようやっと本当の意味で腑におち全身で感じられました。


あさぎさんは他にもたくさんの素敵な言葉を私に教えてくれました。
「自分の魅力は自分で磨かないといけない」「感情をコントロールしようとしない」「私たちはそんなに非力ではない」

自分で自分を弱い者扱いし、できないと決めつけていたのは自分だった。失敗したり傷ついたり、はみ出してしまうのが怖くて動けない、動かないと決めていたのは自分だった。

自分の心の中だけで思い込むのではなく、声に出して伝えてみることで私の人生はぐんぐん変化してきました。

私なんていない方がいいんだと思っていた両親からは、私が受け取れていなかっただけで、大きな愛で大切に育ててもらっていたんだと思えるようになり、いつも笑顔で武装し、時にイライラしてしまう自分を責めていた私は、怒りも悲しみも当たり前の感情として受け入れることができるようになりました。そして今まで以上に泣いたり笑ったり素直な感情で生きられるように🥰
リアルタイムでの相談が苦手で、どうにもならないくらいドロドロに悩みを煮詰めがちだったのも、小さなモヤモヤの段階であさぎさんやアサギストに相談することで、自分一人では思いつかない発想をもらえ、頭と心にかなりの余白ができるようになり、そのおかげで体も軽く✨頭のキャパが広がると体って動けるんですね🥰!!

好きなYouTuberの応援に平日駆けつけたり✨


1泊3日でドバイに行ったり、ママでも単身1週間海外旅行に行ったり🩷
老後まで自分を諦めカゴに入った鳥状態だったママの私が、「行動力がすごい✨!!羽生えてる?」と言われるようになりました。

魅力覚醒講座に入って人間関係の悩みやストレスはものすごく減りました。私が今まで苦しかったのは、自分の価値観で生きず、全部誰かの理想に自分を合わせにいこうとしていたから。未来ばかり見て、今あるものを全く見ようとしていなかったから。「頑張らない」「他人の価値観ではなく自分の価値観を生きる」を徹底的に自分と向き合い体感し、『ありのままの私。私は私。私は私だからこそ素晴らしい』を感じられるようになりました。


私は圧倒的にのんびり屋で、ちょっと変わっている🤣🩷
でもそれが私の個性で素晴らしさ🥰

私は、1人時間も持ちたいし、日常に喜びを感じていたい🩷
たまにはいろんなところに遊びに行って楽しい経験をしたい🩷
家族仲良く好きな人に囲まれ好きな場所で笑って生きていきたい🩷

自分の価値観、個性を見つめ直した時、これが私の大切にしている価値観だと気づきました。

そして、それは追い求めなくても視点を変えればすぐそばにありました🥰
その上で、私はもっとやりたいことも自分の子どもに経験させたいことも、好きな人たちとやりたいこともたくさんあると思いました。

自己犠牲ではなく「自分の心からの笑顔🩷」

これを大切にしたら、グッと現実が回り出しました🥰

私は欲張りで「時間もお金も楽しさも好きな人も全部欲しい❤️」んです!!

そこそことか、この辺でいいや、で妥協できる女じゃなかった😆✨

心も体も大切に楽しく元気に暮らせるように
私は日々進化中です🥰


ここまで読んで真面目な頑張り屋さんは「頑張らない」という言葉に嫌悪感を覚えるも知れません。だけど、それは頑張る方向性が違うのかもしれませんよ🩷

「過ぎたるはなお及ばざるが如し」頑張りすぎはやっていないと同じこと。ちょうどいい塩梅ってあるし、あさぎさんが言っている頑張らない(ちゃん卒)は、嫌なことを無理して頑張るんじゃなくて、楽しくて好きなことに夢中になる。(夢中になっていると他人からは頑張っているように見える。女性はここを遠慮しがち)ってことです。

『人生は毎秒の選択でできている』というけれど、幸せな未来は幸せな今の延長線上にしかないと思うのです🥰今を1秒たりとも犠牲にしない。そういう自分を大切にする強欲さ、覚悟って私は大事だと思っています。

私は忙しい中、自分のメンタル、周りが不協和音をきたす中で、自分が笑っていることが周りのためにも一番大事だと気づきました。

私はこれからも自分と周りの人を幸せにするために、自分を大切に笑っていたいです🥰私が笑うと家族が笑う、家族が笑うと社会も笑う。笑顔って伝染するからきっといい波が広がると思うのです🩷
あなたが周りの人を大切に思うようにきっと周りの人もあなたのことを大切に思っています。今が不満なら足りないのも大切なのも幸せになる勇気。笑おう❤️みんなで笑いたい❤️私はそう思っています🥰


⑫プレゼント

ここまで読んでくれたあなたにプレゼント💝✨

私の人生が変わった魅力覚醒講座の重要エッセンスがギュギュっと詰まったセミナーが無料で、3月25日、26日、27日の3日間大放出されます✨

私はたまたまTVを見ていてこのセミナーにたどり着けて本当にラッキーだったと思っています✨このセミナーの最後には半年に一度しか開かれない魅力覚醒講座の門戸も開かれます😍

もちろん見たからって受けないといけないわけではないし、視聴は画面越しで誰が見ているかわからない状態で行われるので、興味がなければ途中でバレずに抜けることも可能🥰(TV見てるみたいなもんだからすっぴんパジャマで余裕だし、リアル会場のセミナーよりハードル低い)

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金額には震えるかもしれませんが(OLさんの給料2ヶ月分くらいのイメージです。私も悩みに悩んでギリギリに震えながら飛び込みました😆)ですが、この先の人生を変える金額だと思えば私はあの時自分に投資して良かったなと思っています。
あさぎさんは見た目がギラギラで、怪しく感じたり不安になることもあるかと思います🤣ですが、根はすごく真面目で愛情深く、虐待を無くしたい、幸せな子どもを増やすには幸せなお母さんを増やさないとと思ってできることを始めたと言っていました。私はまともな←🤣あさぎさんを最初に知っていたので先入観はあまりなかったものの、最初はやっぱり怖かったです。
子どもを産む前は虐待をする親なんてとんでもないと思っていたけれど、いざ自分が産んでみたらそうなりそうな気持ちがすごく分かりました。いつもギリギリのラインで頑張っていて、そっちに転んでしまうかは環境次第、紙一重だと思いました。この気持ち忙しいママさんならわかるんじゃないかな?真面目で頑張り屋のママにこのメッセージが届き、少しでも救われる人が増えますように🩷

もし、不安なことがあればこちらのLINEからご連絡ください。押し売りとかはしないので安心して相談してください。ぶっちゃけちゃいます😆🩷


また、魅力覚醒講座には紹介制度があります。

紹介者ID:712
紹介者名:岡本楽子

と書いていただくと講座期間中サポートします🩷


※今期からアサギスト番号が付きました!アサギストも19期は2000人超えと大家族に✨同姓同名も多いらしくコピペを推奨します!!
間違えるとサポートが受け取れなくなるので慎重に入力をお願いします😆!!

712 岡本楽子  ←コピペ用🩷



紹介者はSNSで見た、noteで見たでOKですが、申し込み後に紹介者制度を利用することはできません。書き忘れるとサポートが受け取れなくなるので必ず申込時に名前を書いていただくようにお願いします
私の名前を書いてくれた場合は、こちらからは確認できない制度になっているので、公式LINEから教えてください🩷

20期はどんな出会いがあるのか楽しみです😍✨

変わりたい!人生楽しみたい!
そんな前向きな方と一緒に楽しい人生にしていけると嬉しいです🩷

私も20期をOG受講する予定なので、これからもよろしくお願いします🥰

魅力覚醒講座でお会いできるのを楽しみにしておりまーす😍


⇩楽ちゃんが今までに書いた魅力覚醒講座についての記事はこちらから🩷


最後まで読んでくれてありがとうございます🥰
スキ♡してくれたらとっても嬉しいー😍

以上、「自分にも人にも地球にも心地いい暮らし🥰」
コンフォートライフクリエイター
らくちゃんこと岡本楽子でした❤️


公式LINE登録でプレゼントあります❤️
講座のことで聞いてみたいこと、不安なことがあれば遠慮なく連絡してください🥰
『健康ダッシュ飯』&『魅力タイプ診断』もぜひ受け取ってね🩷
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