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自分を褒めるのも労うのも苦手だけど15年後ならできるかもしれない

6月から会社を休んでいる。
休職という、傷病手当がもらえるお休みだ。
休み始めて少し落ち着いてきた頃、iPadをいじっていてうっかり昔の写真を開いてしまった。
「しまった」というのは、元気がない時ってそういうことやらない方が良さそうだから。
イメージですが。
若い頃を見て凹みそう、というか。
案の定、凹みました。

15年前の写真

21歳の頃の写真を見た瞬間、頭の中に響きわたる自分の泣き声。

ぐおぉ……
写真が若い……
ピチピチ……
やっぱ見なきゃ良かった。
小ジワが泣けるわ。
21歳の私ー、いま、36歳の私は予想外の場所にシワできてるよー。
ゴルゴ13の目がクワッてなってる場所になんか謎のシワあるよー。

今の自分と比べて泣けてきてしまったけど、懐かしい気もする。

もうショックは受けたから、大丈夫だろ。

私はビールを持ってきて、本格的に写真を見ることにした。
341枚。
缶ビールの蓋を開け、最初の1枚を表示させる。

そういえばiPadなんてなかったなあ、あの頃。

写真の1枚目には、神戸港に浮かぶ、客船としてはたぶん中くらいサイズの古びた船、「ピースボート」が写っていた。

休学してピースボートに乗った理由

15年前、21歳になってすぐに私はピースボートに乗った。
居酒屋なんかにポスターが貼ってある、100万円くらいで乗船できる世界一周のアレだ。

「そういえば、何で乗ったんだっけ」

15年も経っているから、当時の思いは薄い靄がかかっているようで、ハッキリ思い出せない。

思いつき……だっけ?
持ち前の躁を発揮して?(私は躁鬱人です)
いやいや、そんなわけないだろ。
休学までしたんだから。
何かしらの成長を狙っていたか、変えたい部分があったに違いない。
うーん、思い当たる理由は、ある。

36歳の今から察するに、当時は人見知りでコミュニケーション下手で悩んでいた。
今でいう「コミュ障」。
特に学校に入学した直後など、周りが新しい友達やグループを作るのにキャッキャしている時、私は右のグループと左のグループの空気の狭間、いわゆる「エアポケット」に入ることにかけては玄人だった。
そして私がエアポケットにハマっているうちに、周りではグループが出来上がっていた。
結果、大学に入ってできた友達は1人。
知り合いと呼べる人も少な過ぎて、正直一人でキャンパスを歩くのが恥ずかしかった。
同じクラスの微妙に知っている人達に、一人で歩いているところを見られたくなかった。
私が入り損ねた友達の輪の人たち。
「ちらっ」という悪意のない視線が辛いのだ。

だからきっと、21歳の私にとって「ピースボートに乗る」ということは、こういうプロジェクトだったのだ。

「人見知りを治そう」プロジェクト

当時は言語化できていなかったけど、思い返せばそういうこと。
乗ってしまえば逃げられんからね。
人間から。

乗船後の試練

ピースボートの出航当日、乗船してすぐに自分の部屋に向かった。
緊張して死にそうだった。
なぜならこれから3ヶ月間、赤の他人と同じ部屋で暮らすのだ。
船には二人部屋や一人部屋もあるが、お金のない若者は一番安い4人部屋しか選択肢はない。
部屋に入ると、ギャルっぽい子が大きなスーツケースを開けていた。

「はじめましてー、Hです。よろしく」
「はじめましてー、ナツキです。よろしくお願いします」
「……」

ほら沈黙。
二人でもエアポケットを作り出してしまう。
だけど、Hがそこから引っ張り出してくれた。

「もうすぐ出航だから、船が出るところ見にいこっか」
「そう……しよっか」

優しいギャル、Hがリードしてくれたので、私は一人でデッキに行くことを免れた。
Hまじでいいやつ。
ギャルはいいやつ多いって、今なら知ってるよ。

友達作りの施策

一人で船に乗ったものの、タイミングを逃して「友達の輪」や「なんかのグループ」に入り損ねたらどうしよう。
深刻に心配していたが、船にはほとんどの人が一人で乗っている。
だからピースボートは乗船者のために、「部活」や「イベント」、「講演会」など、様々な「友達を作る」仕組みが用意されていた。
学校と違い、最初のタイミングですべてが決まるのではない。

そして結論から言えば、私は船でたくさん友達ができた。
その規模は人気者と言っても過言ではないだろう。

部活の立上げとプロモーション活動

ピースボートの部活システムでは、学校とは違って部員が0人でも自由に作ることができた。
作った後で「こんな部活あります」と新聞で(船内には新聞があった)告知するのだ。
ということで、私は14歳の頃から7年間続けていたダンスの部活を作ることにした。
ジャンルはHipHop。
「ストリートダンスといえばHipHop」みたいな、「HipHop踊れる=かっこいい」みたいなイメージあるだろう、という舐めた理由で、新聞を見た乗船者が集まることを狙った。
自分が先生になれば、生徒(=広義の友達)が集まると思ったのだ。
更に、「得意なことでステージに立とう」というイベントがあった際、おこがましくも申し込んでステージに立った。
プロモーション活動だ。
(注:ギャップを感じるかもしれませんが、「人見知り」と「ダンスのステージに立っちゃう属性」は一人の人間の中で両立します。ダンススクールに通うと発表会がありますから)

そしてイベントでは、私は客席を沸かせた。
拍手喝采だった。
ステージを終えて客席に戻ると、老若男女が私のもとに押し寄せた。
スポットライトって私のためにあるんだと思う。

そうしてドキドキしながら迎えたレッスン当日。
私の「ダンス部」には10人ほどの乗船者が集まった。

心の中でファンファーレが鳴る。

やったー!
友達10人できたー!

船って最高!

私は人見知りで口下手だったが、お酒が入ると「地球の人は全員友達」のような気分になり、なんなら肩を組んで「We Are The World」を歌える。
その特性を使って、まずは部活のメンバーと飲み仲間になった。
更に酔っ払って「全員友達」状態で廊下や喫煙所に行くので、いつの間にか飲み仲間がたくさんできていた。
地上では飲み会の解散後は家に帰るだけだが、船は船全体が家のようなもの。
安全なのだ。
飲んだ後でもウロウロしていいし(今思えば迷惑)、いろんな場所に乗船者がいるので、居酒屋から出た後でもソファでビールを飲んでいたりする(迷惑)。
結果、私には、記憶がないけど友達になってる人ができていた。
船って最高だ。

生ビールが滑る居酒屋

iPadをスワイプしていると、居酒屋で皆と飲んでいる写真があった。
懐かしい。
飲み仲間とよく行った居酒屋だ。
枝豆と唐揚げやポテトとポテサラくらいしかなかったけど、十分だった。
船の上で「レバ刺し」や「採れたて野菜とローストビーフのサラダ」を欲しがる方が間違っているのだ。
この居酒屋で忘れられない思い出がある。
海が荒れると船は揺れる。
大きく右へ左へ床が傾くのだ。
当然、床が傾くとテーブルも傾く。

すると、テーブルの上に乗った生ビールは、テーブルの上を「スーッ」と滑っていく。
生ビールが波に合わせて右へ左へと滑るのだ。

ここで想像して欲しい。
居酒屋で、酔っ払いが多々いる場所で、中ジョッキがテーブルの上を滑っていくのだ。

酔っ払い達は大喜びである。

「わはははは! ビール動いてる!」
「ぎゃー! はっはっはっは! ウケる!」
「危ない危ない落ち……ない!」
「うはははは!」

枝豆の皿も、唐揚げの皿も、みな平等にテーブルを滑る。
波は寄せては引くもの。
ビールとつまみは右に滑り、船が反対に傾くと、今度は左に滑ってゆく。
滑るのは食べ物だけではない。
周りを見れば、椅子に乗ったまま床を滑っている強者もいる。
「気持ち悪い」と呟いて部屋に戻る者も。
みないろんな意味で酔っていた。

旅は私を変えたか

「旅は人を変える」と言うけども、実際のところどうだったか。
当時は全然「変わった」という実感がなかったし、変わったとも思わなかった。
だけれど、思い返すと、あそこを起点として私は変わったと思う。
何が変わったかというと、

人見知り、しなくなってます。

20歳の私ー!
よくやった!
人見知りなのに一人でピースボートに乗るなんて、よく決断したよ!
頑張ったね!
勇気振り絞ったね!
おかげで今はもう人見知りしなくなってるよ!
昔は人見知りだったって言うと驚かれるよ!
初めて会った人ぜーんぜん怖くないよ!
むしろこっちが怖がられるよ!
なんでだー!

本当によかった。
人見知りがなくなると、生きるのが断然楽になった。
よく頑張った。
21歳の自分を褒めてやりたい。

当時は日々いっぱいいっぱいだったから、自分を労ったり褒めたりするなんてできなかったけど。
もしもタイムスリップできるなら、21歳の私のところに行って代わりにベタ褒めしてやりたい。
人生の中で大成長の発端となった偉業なのに、すごい勇気をもって決断したのに、当時は自分で自分の頑張りを褒めなかったから。

いま。

過去の自分を褒めたり労ったりしていると、少し自信が湧いてくる。

「私は成長してきた」
「私は頑張ってきた」
と思えるからだ。

ほっとする。

3ヶ月前、人生で初めて休職を申し出た時は、
「もうダメだ」
「これ以上頑張れない」
「もう戻れへんな」
で頭がいっぱいになっていた。
自分を労うなんて、もってのほか。

でも今は少しだけ、「よく決断したね」と言うことができる。
そのまま走ってたら危なかったかもよ、って。
労うとちょっと涙が出てくる。

今の私は21歳の自分を振り返ったように、15年後、51歳の私が今の自分を振り返ったら、どう思うんだろうか。
「よくやった」と思うだろうか。
「ブラボー! グッジョブ!」とか思うんだろうか。

未来の私から見ると、今は、休職したこの2020年は懐かしいだろうし、何かのターニングポイントだったなと意味を見出すかもしれない。

15年後。

51歳の私は、どうやって振り返るんだろうか?
今は漠然としていて言語化できていない悩みを言語化して、「あの時休んだのはこのためだったな」と意味を見いだせているだろうか。
そしてその悩みを克服できているだろうか?
克服できてるといいな。
15年あるんだもん。
きっとできてるよ。

そしてビールを飲みながら、このnoteを読んで懐かしむのだ。
「よく頑張ったね」って。

21歳の私を、
36歳の私が褒めたように。
51歳の私が、今の私を褒めるのだ。

私ならきっと褒めてくれる。
労ってくれるだろう。
メンタル弱いけどけっこういいやつだから。

ビール片手に、「よく頑張ったね」って。

なんかちょっと、泣けてくるわ。

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