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落語ラン vol.17 「平林ラン」

平林(ひらばやし)と言えば、代表的な前座噺ですが、実はあまりナマで聞いた事がありません。結構定吉の可愛さを出すのが難しいような気もしますし。2020年11月の上席で二つ目に昇進された乃ゝ香さんの平林ははまっていた気がします。
ところで、噺に出てくる「平河町」、江戸の初期の頃は旗本の屋敷が立ち並ぶ一帯だったはずですが、後年は商人や職人の集まる町屋もあったようです。落語ラン#22の「文七元結」で最後に出てくる元結屋は近隣の貝坂にありましたし、「蛮社の獄」で有名な高野長英も麹町貝坂周辺で医者をしていたはずです。
また「平河町」は麹町平河町だけではなく、火災に伴う代替地として神田にも「神田平河町(秋葉原の書泉グランデの向かい辺り)」があります。この辺は、またどこかで書きたいと思います。

あらすじ

伊勢屋の小僧定吉は旦那さんにお使いを頼まれる。何でも橋を渡った【平河町】の平林(ひらばやし)さんに手紙を届けて欲しいというのだ。字が読めない上にそそっかしい定吉は「ヒラバヤシさん」を繰り返しつぶやきながら平河町に向かう。ところが、道中で色んな人に声を掛けられ「ヒラバヤシ」を忘れてしまう。仕方がないので、通りがかりの人に読みを聞くとある者は「タイラバヤシ」、またある者は「ヒラリン」、別の者は「イチハチジュウノモクモク」、そして最後のタバコ屋は「ヒトツトヤッツデトッキッキ」と定吉に教える。定吉は違和感を感じつつも、全てをつなげて歩き始める。「タイラバヤシかヒラリンか、イチハチジュウノモークモク、ヒトツトヤッツデトッキッキ~!」。怪しい小僧の登場に人々が集まるが…。

ランニングコース

赤坂(山王日枝神社)→弁慶橋→平河町

赤坂(山王日枝神社)

実は落語では「伊勢屋」というお店の名前は出て来ますが、その場所までの言及はありません。ただ、橋を渡って平河町に行くというのですから、赤坂に伊勢屋があったと考えるのが普通かも知れません。ただ「ちきり伊勢屋」で出てくる伊勢屋は麹町にありますから、ひょっとしたら、麹町から平河町にかけて何らかの橋がかかっていたのかも知れません。ここでは、定吉は赤坂から弁慶橋を渡り、平河町方面に向かったと想定しています。

1)山王日枝神社

2)山王日枝神社

3)山王日枝神社

5)赤坂

弁慶橋

弁慶橋は、赤坂から上智大学や麹町方面に向かうお濠に掛かっている橋です。その昔は赤坂から四谷方面に向かって弁慶橋を渡ると右側に「赤プリ」、左側に「ホテルニューオータニ」という立地でしたから、バブル期にはそれなりのドラマがあった橋なのかも知れませんね。
一方、弁慶橋を超えて文藝春秋の方(右の方)へ上っていく坂を清水谷坂、逆に今アウディの販売店がある方(左の方)に上がっていく急坂を紀尾井坂といい、坂を登り切って紀ノ国坂とぶつかる辺りを「食違い見附」といいます。この辺りは、明治の序盤では大事件がしばしば起こっており、食違見附では岩倉具視の暗殺未遂事件(食違の変)紀尾井坂下清水谷付近では大久保利通暗殺事件(紀尾井坂の変)が起きています。

7)弁慶橋1

8)弁慶橋2

平河町

弁慶橋を越え、右に曲がり文藝春秋社を抜けると、平河町にたどり着きます。さて、この辺りに「平林さん」は住んでいたのでしょうか?今となっては知る由もありませんが、平河町には「天満宮」が厳として屹立していまして、平林さんもそれなりの格式の大人物だったのかも知れませんね。平河町から少し行くと隼町。国立演芸場とその対極をなす最高裁判所はすぐ近く、という立地です。

9)中坂

901)平河天満宮

902)平河天満宮

903)平河天満宮

マップ

https://www.mapion.co.jp/m2/route/35.67350018491682,139.73937751718248,16/aid=d776af/

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