見出し画像

落語ラン vol.9 「紺屋高尾ラン」

考えてみれば、神田の紺屋町は範囲も狭くあまりウロウロしたことがありません。それに、この辺が紺屋町かな?と思っていたところが実は北乗物町だったり、あまりランドマークのイメージがありません…(ここが紺屋町だ!という目印はどこなんでしょうかね?)。

あらすじ

【神田紺屋町】の染物屋吉兵衛さん方の職人久蔵が寝付いてしまう。聞くと【吉原】に連れていかれた際に、当時飛ぶ鳥を落とす勢いと言われた三浦屋の高尾太夫の花魁道中に出くわして以来の恋患い。三年間みっちり働いて十両貯めれば何とかなると聞いた久蔵は一心不乱に働き、お金をこしらえる。ただ、一介の染物屋職人では大名道具の高尾太夫は相手もしてくれないはず。一計を案じて久蔵を流山のお大尽、【神田お玉が池】の竹内蘭石先生を指南役に仕立て上げ、吉原へ向かうが…。

ランニングコース

神田紺屋町→神田お玉が池→吉原

神田紺屋町

神田紺屋町はその名の通り染物屋が並ぶ界隈だったようです。今は、薬品関係の問屋さんが多いように見えます。医療関係の産業クラスターがある本郷界隈と、大手製薬会社が集積している日本橋の間の地域なので、商売がしやすいのかも知れませんが、あくまで私の想像であって、その真偽は分かりません。
今の地図で見るとかなりエリアは狭く、飛び地もあります。走りながらビル名を眺めていたら「紺屋ビル」がありました。が、更に近くに何と「ベスト紺屋町ビル」を発見。ベスト!と謳うだけに、暫定ランドマークにしましたが、良いお店をご存じの方、是非ご教示下さい…。

1)紺屋ビル

2)ベスト紺屋町ビル

神田お玉が池

お玉が池というと、坂本龍馬も時々通った北辰一刀流の道場(玄武館)があった場所です。なんでも、昔は大きな池があったようで、お玉さんが恋の悩みから飛び込んだことから「お玉が池」。今は跡形もなく「繁栄お玉稲荷」が残っているだけです。また、近隣には佐賀出身の俊才伊藤玄朴や大槻俊斎らによる「お玉が池種痘所」があり、これが東大医学部発祥の地となる訳ですが、これまた小さい表示が残っているだけですね…。

5)繁栄お玉稲荷

3)お玉が池跡2

4)お玉が池種痘所

吉原

今の吉原の写真と言っても、大門跡と見返り柳くらいで、特殊なお店の写真を掲載しても仕方がないので、吉原神社に掲示されていた地図等の写真を(社務所で販売しているようだったのですが、あいにく現金を持っていなかったので、買えず…。)。明治27年の地図を見る限りでは、落語にも出てくる「角海老」楼は見えますが、高尾太夫がいた「三浦屋(京一)」とか文七元結の「佐野鎚(江戸二)」はすでに見つけられませんね…。
もともと、旧吉原(今の人形町辺り)には「江戸町一丁目・二丁目」「京町一丁目・二丁目」「角町」があり、「五丁町」と呼ばれていたそうです。それが、明暦三年(1657年)に新吉原が出来て、少しエリアが拡大したことから、「揚屋町」「堺町」「伏見町」が追加になったようです。

6)吉原明治27年

出典:吉原神社内掲示地図(以下同じ)

7)吉原大正12年

8)吉原昭和22年

10)昭和33年公娼廃止時

9)吉原平成5年

吉原の太夫というと、育て上げるまでに時間とお金が掛かり過ぎるので、18世紀頃にはほとんどいなくなったようです。「大名道具」と言われるだけあって、豪商や大名相手の花魁であって、歌舞音曲の類はもちろんのこと、茶道・華道や囲碁将棋、文筆に至るまで何でも出来なくてはいけなかったようですので、久蔵が会えたというのは奇跡中の奇跡、ということになりますね。

11)吉原遊女年収

出典:吉原神社内掲示

マップ

https://www.mapion.co.jp/m2/route/35.69200127093671,139.7742033190386,16/aid=84ea12/


この記事が参加している募集

この街がすき

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?