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日本という国の始まり その10 男系

皇室の男系については、もうずい分と議論されました。少し日本史をかじった方なら、また、その議論かと思う程です。理屈を分かっている人は、もううんざりしていることでしょう。

しかし、興味のない方は全く無関心で、この点無知です。なので、毎回説明する必要があります。そもそも、この点を考えるにあたって重要なことは、「しらす」と「うしはく」という概念が日本にはあるという事です。

外国人に対して、「うしはく」の説明は、案外簡単です。「govern,rule,」でおおむね分かってもらえると思います。「しらす」を説明すると長くなるので、機会があれば詳細を語りたいと思いますが、外国人にこれを説明するのは難しいでしょう。

両方ともに、漢語訳では「統治する」です。誤解を恐れずざっくり言えば、権力と権威の分化で成り立つのが日本社会と言えます。「君臨すれども統治せず」は「しらす」を端的に表現しているように思います。


さて、日本は今も大和時代です。一時、(戦後からサンフランシスコ条約まで)植民地的な状態になりましたが、外国のように、支配者階級が他民族に換わったことが一度も無いのが特徴です。これはひとえに、天皇という存在があったからだと思います。万世一系は力で現状を変える事ができない数少ない事柄かもしれません。お金持ち、あるいは地位、武力がより勝る人が天子に代わるのが、世界的に見れば普通です。日本はこれがよろしくないと長い歴史からの学びによって感じたのでしょう。そこで、血筋という、どうしようもない事を選定の一番として、天皇を決めたのです。

筋肉量がある人、社会的能力がある人、努力できる人、知識を沢山持っている人、お金持ちが、偉いのでは無いという考え方は、ある意味秀でた思想です。日本文化は金持ちを蔑む傾向はあるものの、お金持ちを尊敬する思想は無かったようです。また、女性蔑視の考え方もほぼありません。これらは、神道由来のものでしょう。

話戻して、天下布武の織田信長でも、天皇に成り代わることはできませんでしたし、実力者の徳川家康でさえ、征夷大将軍に留まりました。古くは、第二十五代武烈天皇崩御に際して、実力者の大伴金村が何故奪取しなかったのかも、興味深いことですね。そして、男系男子を基本として代を重ねた為に、若干の例外はあるものの、平和が続いております。(女性天皇も八人・十代おられますが、皆男系です)

天皇は日本国民の総意というか、誰しもが象徴と認めた存在です。

人はなにがしかの絶対権威が必要なのかもしれません。西洋ではそれがキリスト教であり、中東ではイスラム教なのでしょう。日本は、神道と仏教のフュージョンに武士道で味付けされた文化が花開いた国と言えるのではないでしょうか。

絶対権威が無い国は、人が頂点に君臨して、結局は大きな戦争を招くか、自国民を大虐殺しています。ほぼ、例外は無いように思います。

この素晴らしいシステムをどのように維持するか、昔から人々は思い悩んだことでしょう。ここに男系男子がベストだと結論したのだと思います。

具体的な事例を挙げなければイメージが湧かないと思います。(ので、特段外国人(民族的)の方を軽蔑・差別する意図はありませんのでご了承ください。)

女系OKという方に考えて欲しい事は、
仮に、愛子内親王が外国人と結婚されたとします。で、日本民族とは似ても似つかぬ肌の色・体系・目の色の子供が生まれたとします。この方を日本人の総意として象徴(天皇)と認められるかどうかです。


女系容認の図

現在のシステムでは、皇室に自分の娘を嫁がせ、孫を利用する傀儡が精一杯なのです。権力が日本一となっても、天皇に代わることができない形は、太古の日本人の素晴らしい知恵だと思います。

藤原道長


日本史・記紀等を深く学んでこなかった方が天照大御神を引き合いに出して、高祖神は女性であるという方が多いです。確かに天照大御神は女性(男性と主張する方もいますが)です。しかし、古事記はすこぶるリアルな世界ですので、神と雖も人の形をしている場合、雌性発生(♀だけで増える)することはありません。天照大御神にも旦那さんがいるはずです。そうでなければ、須佐之男との誓約において物から子が生じるとは言え、流からして、不自然です。

感の良い方ならお気づきでしょうが、天照大御神のご主人は、高木の神(高御産巣日神)です。天皇は高木の神の末だということを根拠に天皇足りえているとも言えます。天照大御神(と高木の神)の子が天忍穗耳命でその子が天孫降臨を果たした邇邇芸命、その子が山幸彦である彦火火出見命、そして火遠理命(山幸彦)と豊玉比賣との間に生まれた子が鵜草葺不合命、その子が神倭伊波礼琵古命、つまり神武天皇です。
神世の時代から男系男子で継承してきたのです。


高木の神から今上天皇まで、皆男系

※神倭伊波礼琵古命という名も面白いですね。神(美称・敬称)+倭(旧の日本)+い(徳島)+割れ(分家)+彦(男)・・神武東征そのものですね。

そういえば、お諏訪さんも、建御名方神(石井町諏訪から799年に長野県に勧請)は、建(武力に秀でた)+御(美称)+名方(現在の徳島市とその周辺の町の名前)+神ということで、名前と事業がマッチしています。


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