おもに備忘録、たまに創作物。
その時考えていたことや感じていたことは、おぼろげながらどうにか思い出せるのに、関わっていた人々やエピソードのことはほとんど頭から抜け落ちている。
思い出せる断片も、まるで他人の記憶のようにしか感じることができない。
どんなに深くかかわっていた人も、いや深くかかわっていたからこそ、3年以上が経つと急に離れたくなってしまう。
それでいいと思っていた。
そもそもあまり人に興味がないし、めんどくさいと思うことに自ら首を突っ込むのもなんかダサい。
いつまでも16歳のノリをひきずって、アホみたいになって、そこまでして保たなければならない関係は、はたして必要なのだろうか。
でも関係性を保つことと、記憶を保つことはまた違う気もした。
その時の空気や、受け取った生の声、そのひとつひとつにどう感じて、どう反応したのか。
記憶を失うということは、必死に生きていたはずのその時間を、失うことなのではないか。
それはちょっと嫌だな。
常日頃から、物事に執着することなくさらさらと生きていたいとは思いつつも、やっぱり積み上げてきたものが、いつの間にかぽっかりどこかへいってしまうのは、ちょっと悲しい。
見かけや自分にとって特別じゃないことなんてどうでもいいから、その時々の、自分が一番大切にしたいと思ったことを、そっとしまっておくこと。
頭で覚えておけなくても、ことばだったらどうだろう。ちょうどことばだって、自分にとって大切なもの。一番言いたいことを形に表せるのも、ことばじゃないか?
誰に向けるでもない、自分のための、備忘録。
(たまに創作物も載せるけどね。)
鈴木洛 Raku Suzuki
翻訳とデザインを勉強中のしがない学生。文化的なことは大抵何でも好きなザ・中途半端人間ですが、何卒お手柔らかにどうぞ。
あと猫も好き。NO CAT, NO LIFE.
ことばのZINE「ザイン?」共同制作者
フリーペーパー、置いてます。
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