『abさんご』20231116

満ち足りた中にあるもの

 aの道とbの道,ひとが生きるあいだにはさまざまな岐れ道があり,けっして交わることのない”さんご”のつらなり.かといって,aとb,えらばれなかった者が消え失せてしまうかというとそうでもない.夢のなかにたちあらわれ,紅いらせん状の皮が匂いさざめく.

 最初に読んだのは「毬」「タミエの花」「虹」.本をしるした者が二十代に書いた”タミエ三部作”.美しい文章と描写,そして,三作品それぞれがゆうする”ぞわぞわ”,作者のひぼんな筆力を感じさせ,どこか心を惹かれるようなきみょうさ,うつくしさ,おそろしさと交じり合いしっとりと鳥肌がたつ.

 『abさんご』をひらいて,ああ,うつくしいと感じた.夢を舞台とうたった小説はあっても,あらゆる固有名詞,それだけじゃなくかぎかっこやかたかなのない世界に没入してその浮遊感をあじわうたびに,自覚なくふみこんでしまう.ただよいながらも物語はおぼろげに,しかしはっきりと像をむすんでいく.
 よこ書きで漢字のおおくはひらかれて,句読点は英字のそれにおきかわる.この独特さに,はじめはもりをかきわけるように進むのがむずかしく感じられたが,しだいに道をみつけられるようになると,すっと胸のうちにはいってくるような気がした.これは,ながくこのおはなしに読み手をひきとめておきたいという評があったけれど,ゆめをゆめらしくやわくあわいものにするためのものだと思った.

 すすむにつれいて濃密になる死の匂い,喪われ行くことがわかってなお,物語も読み手もとまらない.それどころかはやさをましていく.赤子から分別が身について,感じられる時間のながれがかわっていくように.自分とかさねあわせながら読み解く.未だ道なかば,岐れ道はわからなくとも,”みち”の先からさまざまな香りがただよって,わたしに歩をいそがせる.

評価と理解

 今までは良い文章、卓越したものにめぐりあったとき、これをみんなにもわかってほしいと思っていました。他の人の感想などに触れながら転じていき、どうしてこの作品を分かってもらえないだろうか、適切に味わうことが出来ればまず評価できるはず、という考えにいたります。相手の理解能力についていっさい考えないので、こんな考えを持つようになったのでしょう。
 今、この小説を味わって、ひどく満ち足りた気持ちでいます。むやみやたらに同じ理解を要求するようなものではなく、書評や感想の多くをしめる「わからない」「面白くない」の群れに苦笑しながらも、自分の感想をやさしくなでつけてあげられる。
 このレベルの文章に巡り合い、味わうことのできるしあわせを享受できる人はどれだけいるのか。そして、できることなら一人、たったひとり理解者がいてくれると嬉しい、そんな思いで深夜、PCの前に佇んでいます。

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