出産レポ②~助産師さんとの温度差~

陣痛が始まってから丸1日、陣痛室で過ごした。
夜通し陣痛の波と戦って一睡もできず、朝の6時に助産師さんが来て、いよいよ陣痛促進剤の出番。

陣痛促進剤は少しずつ様子を見ながら量を増やしていく。

朝ごはんが来たけど食欲はないので、少しお味噌汁だけ飲んだ。
ご飯はおにぎりにしておいてくれたので、あとでおなかすいたら食べよう、ととっておいた。

朝、先生の診察で赤ちゃんは下がってきてるけどまだ子宮口が3センチから開かないね~、今日中には産みたいね~と言っていた。

赤ちゃんは下がってきてるので陣痛のたびになにかが出そうな間隔をこらえるのに必死。

その日は土曜日で夫も休みのため、朝から来てくれて、ずっとおしりを押さえたり腰をさすってくれていた。

陣痛促進剤が効いたのか、痛みだけがどんどん強くなっていく。しんどい。
間隔はまだ5分だったり7分だったり。

お昼になる頃、陣痛がつらくなってきて助産師さんを呼ぶと、まだ子宮口は4センチくらいだけどとりあえず分娩室行く?と言われて即答した。

近くのLDR(分娩室)に移動、めっちゃ広い。

ここでトラブル。

分娩台にあがる前にトイレに行っておこうと思い、トイレに入るも、おしっこがでない。

膀胱はパンパンだし出したいのに、踏ん張っても出ない。
脂汗が出てくる。

なんで?!ってパニックになりながらも、あんまりトイレにこもってると心配されるかと思い1度出て、看護師さんにおしっこが出ないんです...と半泣きで訴えると、あっさり管を入れて導尿で出してくれた。

あ、よくあることなのね、と安心。
でもなんでなんだろ?赤ちゃんが下がってきて尿道を圧迫してるのかな?未だに謎。

そして分娩室にお昼ご飯が運ばれてくる。
その日のお昼はカレー。

当然食欲がないので、夫にスライドする。

広い分娩室でカレーを食べた人はなかなかいないんじゃないだろうか。

13時。相変わらず陣痛に苦しんでいると看護師さんたちが慌てて入ってきた。

「ごめんなさい!急患が入ったので部屋移動してもらいます!」

どうやら、週数の早い妊婦さんが運ばれてきたようで、1番広いこの部屋で処置するらしく、私たちは1番奥にある半分くらいの部屋へ歩いて移動。

しんどいけど、多分その時はまだ余裕が確かにあった。

促進剤もかなり追加され、痛みもかなり強くなった。
なのに子宮口がかたくなに開かない。

14時頃、やっと先生が来て子宮口確認。
まだ4センチから開いていない。

そこでなんと先生、なんの前触れもなく手を思い切りグリグリとして、バシャっ!!という音とともに今までとは桁違いの痛みが波のように襲いかかってきた。
人工破水だ。

それからがもう地獄。
今までの陣痛なんて比べ物にならないほどの痛み。
のたうち回る私を冷静に諭しながら、これで促進剤追加して様子見るね!と言い消える先生と助産師さん。

分娩台に取り残された私と夫。

陣痛は4分間隔くらいに地獄のような痛みが襲ってきて、その度に夫におしりおしり!!!と叫んでおさえてもらった。

正直、陣痛のおなかの痛みというより、陣痛と一緒にやってくるいきみたくなる衝動を抑えるほうが100000倍辛かった。
陣痛のたびに、赤ちゃんがぐぐぐーっと股の間から出てこようとするような間隔と、勝手に体が踏ん張ろうとお腹に力が入ってしまう。
でも、子宮口が開ききってないうちにいきんでしまうと赤ちゃんに危険が生じるため、なんとかしてイキミ逃しをする。

陣痛の痛みは正直そんなに覚えていないけど、このイキミ逃しのしんどさは今思い出してもヒューっとなるくらい、きつかった。

分娩台の上で陣痛の波がくるとともに足をばたつかせてイキミを必死に逃してやり過ごす。その度に叫ぶから夫も大変だったと思う。

赤ちゃんの心音がモニターからずっと聴こえているんだけど、その規則的な音を必死に数えるように早く産みたい...!と祈りながら過ごした。

15時になる頃。
イキミ逃しももう限界だというくらい最大級になり、もうダメー!!産まれる!!産まれる!!うぎゃー!!!と暴れだし、夫がしびれを切らしてナースコールを押して助産師さんを呼ぶ。

呑気にゆっくりやってきて、あらあら暴れちゃって、みたいな顔をしながら子宮口を確認。

...

「あれ、もう子宮口全開だわ。」

...

えっ??

ものすごくあっさりとそう言われ、私も夫もポカーン。

「よかったね!いきめるよ!今から準備するから、もう少しイキミ逃しがんばって!」

そういうと、急ぐわけでもなくのんびりと分娩の準備を始める助産師さん。

多分、慣れているからなんだろうけど、私はもう今にもいきんでしまう衝動を必死に汗だくでこらえ、横にいる夫も休みなく付き添ってくれてクタクタなところにもう少し待ってね!と言われた瞬間、多分2人とも心の中で同時にツッコミを入れた。

いやいやいやいや!!もう無理だから!準備もっと急いで?!

...と、言える気力もなく、あと少し、あと少し、と気の遠くなる中必死にこらえた。

足を足置きみたいなところに乗っけて、ああいよいよ産めるんだ...とその時1番ホッとした。

横のバーを握りしめ、次の陣痛の波が来たら深呼吸して、思い切りいきむ。

いきめるのがこんなにうれしいなんて。全身全霊の力をこめて踏ん張って、を繰り返して、7、8回いきんだだろうか。
先生が途中から参加し、お股をチョキン、と切った。
そしてその後、いきんでフラフラな私に先生が、

「頭、もう出てるからね、ほら、見てみて」

と、股の間から赤ちゃんの頭を持ち上げてくれた。

その時は正直、そんなのいいからはよ引っ張り出してくれ!!って思って感動する余裕はなかった。

夫はあとから聞くと、その時股から出てきた赤ちゃんの顔を私よりも先に見ていてめちゃくちゃ感動したらしい。

そのときへその緒が身体にたすきのように巻きついていたらしく、助産師さんがそれをとるのに少し手間取ったりしたけど、いきみたい感じも陣痛もいつの間にかすっかり消えていて、気づいたら赤ちゃんが胸の上にいた。

赤ちゃんを見た第一印象は、

「指、ながっ」

だった。

私は手足が大きいんだけど、それを見事に受け継いで産まれてきてくれた。

私の、子供だ。

胸の上に置かれた血まみれの赤ちゃんと写真を撮ってもらい、赤ちゃんは体重測ったり服着せてもらったりして新生児室へ。

夫は外に出され、私は後処置。

あれだけ苦しんだ痛みはなんだったんだってくらい「無」になった。

胎盤とか残りの血を出すのに腹を思い切り先生に押されたのが最高に痛かったけど、出産後ハイというのか、痛みにまた強くなったのか、大したこと無かった。

チョキン、と切ったお股を縫いながら先生がこれから大変だけどまずはゆっくり休んで、とか、普通分娩で産めてよかったね、とかいろいろお話してくれたんだけど、麻酔されてないとこまで縫ってる気がして痛かったけど言えず、ひたすら耐えていたのであんまり話は覚えてない。

その後骨盤をベルトでガッチリ固定して、分娩台の上で2時間、動いてはダメと言われてじっとしてた。
産後ハイで丸1日寝てないのに全く眠くなく、ぼーっとしていた。

その間、隣の分娩室から赤ちゃんの泣き声がしたりした。

令和元年6月1日。

その日は出産ラッシュだったらしい。

私の娘は、3246gで何事もなく元気に産まれてきてくれました。

その日はもう夕方なので赤ちゃんとは会えず、ホテルのような個室部屋に通され私はゆっくり休ませてもらった。

お股が痛い以外は特に異常もなく、夕食を食べて8時には寝てしまった。

39週0日、39歳と11ヶ月。無事、出産。

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