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カミングアウトについて。(絶対受け入れないと拒んで死んだ父の話)

父とのこと

こんにちは井川です。見出しのとおり、父について書いてみたいと思います。この記事自体はなにかを訴えたいわけでもなく、知ってほしいとかでもなく、単に書くことで自分と向き合えるというか、自分史を綴ることで自己覚知を促そうとかいうアレなので、どうぞ適当に斜め読みしてください。

とはいえダラダラと1から10まで書いても大変なので、パッと頭に思い浮かぶことだけかいつまんで。

父は昨年、2023年1月に亡くなりました。私には突然でした。

2019年、私は自身の性別違和に関して「決めつけは怖い」と強く思っていたため、とにかく自分と向き合うのに必死でした。幸いにも私の周囲の友人たちは「へぇ~そうなんだ、で?」のスタンス、いやそれどころか「で?」もない、「そんなことよりサメの話しようぜ」ってなもんでしたので、友人たちから忌憚のない意見を頂きながら、私は自身について考えに考え、本当に自分はそうなのか!?どうなんだ!?との問答を繰り返していました。ほとんど禅。そしてたどりついた「性同一性障害」という結論。私は遠く離れて暮らす両親にそれぞれ打ち明けました。両親は離婚しているもので、別々に。

父といえば、私にとってはそれはもう最後の砦というか、私がどんなバカをやっても、どれだけ迷惑をかけて傷つけても「結局は親子」という観点から向き合うことを諦めず、最後には受け止めてくれる存在でした。ですので当然のように私の性別違和についても受け止めてくれるものと思っていました。はっきり言って高を括っていました。しかし父は、一切の返事も、意見も、寄越してはくれませんでした。

半年経って正式にGID=性同一性障害の診断をいただいた際、もう一度改めて父に報告のメールをしました。半年かけて少しは受け皿の用意もできたのではと、また高を括って。父はそこできっぱりと「どうしても受け入れることはできない」と一言を残し、それから音信不通になりました。

そして2023年1月、突然亡くなったとの連絡がありました。

病気をし、歩くことがままならなくなり、口から食べられなくなり、家にもいられなくなり、施設に入り、栄養がとれなくなり、一切を知らせもせず、死にました。死んだ父は本当にミイラのようで、小さく、まったく誰だかわからず、正直に言えばいまだに父が死んだ実感はほぼ湧いていません。こんなの博物館とかで見たな、エジプト展的なやつ。そんなかんじ。
私の頭の中には、酒飲みで、ビール腹のメタボ体型で、顔も脂肪でもっちりの姿しかありません。

受け入れられない価値観を、受け手側の気持ちを、投げる前に考えられなかった自分の浅はかさというものをよくよく思い知らされた出来事でした。

父はそれはそれは仕事人間でした。小さなころはあまり父が家にいた記憶がありません。だから私は父のことをよく知りませんでした。
よく覚えているのは、ジョン・コルトレーンが好きだったこと。屋根裏が父の書斎だったころ、蒸し暑く湿気た部屋に埃の匂いが混じった中で、ジャズのレコードが流れていたこと。
なぜだか忘れられないのは、父が夜道で月を見て「お前はあの月の光の筋がどこまで伸びて見える?」と聞いてきたこと。このくらい(多分1センチくらいとか)と答えたら「そんなもんか、まだまだだな」と言われたこと。
焼き付いているのは、会社の乗っ取りにあって社長含め役員ごと締め出しにあい仕事を失い、新たな会社を社長と二人で立ち上げた頃、給料が出せないからと高級なカレー粉を現物支給でもらったんだと苦々しく笑っていた顔。

父が私をどう思っていたのかも、どうしてほしいのかも、結局はわからないままでした。ただとてもロマンチストで純情で、実はとても繊細だったのだなあということは、なんとなく今はわかります。

月のくだりは未だに意味わかんないけど。

だから私はカレーは缶の粉を使って作るし、ジャズを聴くし、月を見たら目を細めてゆっくりと光の筋を伸ばしてみたりします。

そういえば、私の聴く音楽に興味を持つことなどほとんどなかった父は、ジョージマイケルのアルバムをたいそう気に入って貸してくれと言ってきたことがありました。よく考えれば若いころはオカマと付き合ってたとか言ってたし、ジョージは好きだし、なんで受け入れられないんだよわけわかんないよ。

トークショーや体験談をお話する機会には、よく父のこと「カミングアウトを受け入れられなかった話」をします。これからカミングアウトしたいと思っている人には不安を煽るような内容かもしれない、でも私は「自分をわかって欲しい・認めて欲しい」気持ちの大切さよりもまず、「受け入れるのが難しい・認めるのが怖い」と感じている目の前の大切な人の気持ちについて認めた上で「お互いの気持ちについてお話をしましょう」と丁寧に誘えるような、そんな「カミングアウト・オブ・ザ・クローゼット "トゥ・イーチ・アザー"」ができれば素敵だなと思っている。

受け入れ難いと思っている人、それは悪い事じゃない。受け入れられるから偉いとか理解があるとかじゃない。

受け入れられたい当事者さん、私も当事者だけど、父に受けいれて貰えなかったけど、私が自分のことばかりで父の気持ちを受け止めなかったことの愚かしさを踏まえて言う、


少数派だから虐げられてるんじゃないんだよ私たちは、態度が悪いんだよ私たちは、もともと人が住んでた土地にいきなり大勢で上がり込んできて「永住権よこせ!仕事よこせ!なに?くれない?迫害だ!!!」って言ってるようなもんなんだよ。

そこを認めてからがスタートです、なかった価値観を持ってもらうってのはそういうこと。地球丸い!!って言い出して叩かれ続けてたおっさんのことを思い出して頑張ろうぜ。

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