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光の差す方へ

以前、「前世がもしあるとして、あなたは、自分が男性だったと思いますか、女性だったと思いますか」という質問を受けた事がある。
その時は、即答で「男性だったと思う」と答えた。

男性的だと判断したのは、
1,事物優先で、感情に振り回される考え方をほぼしない
2,人に対して、好き嫌いがほぼ無い(合う合わないはある)
やはり、「判断するのに感情が入らない」が大きかったのだと思う。

女性では、珍しい方かもしれない。
男性でも、感情が行動に影響するという人はいくらでもいる。ただ、別にそれが悪い訳ではない。


最近、良いとか悪いとか、わたしの中の誰が判断してるんだろうと思うことが増えた。
わたしにとって良いこと、わたしにとって悪いこと、それが他人にどう影響するというのだろう。
わたしが良い悪いを判断して、だから何になると言うのだろう。
もしや、良い悪いを判断してしまうことこそが悪いことなのでは。
なんて言う風に、思考が袋小路に入ることがしばしば。

(自分が男性的だと判断したのも、いま思うとなかなかな独断ですね)


あなたはそう思うのね。
あなたはそう感じたのね。
あなたはそういう人なのね。
で、終わりではないのか。
同じだったり違ったりを、ただそのまま味わえばいいのではないか。

もともと人に対して、好き嫌いジャッジがほぼないわたしでも、感情の起伏はある。
嫌だなぁとか、さすがに怒るわコレとかは、ある。
反射的にむかっ腹が立つこともある。
人間だもの。

でも、だから何だって言うんだろうなぁ、と最近すごく思うのだ。

自分を含め、人が何を思おうが、自由ではないか。
何に興味を示し、何に怒り、何を好むのか、自由ではないか。
みんながそれぞれ想いを巡らすことで、世界は奏でられているのだ。
それを、良いだの悪いだのと、野暮なことを言うものじゃない。

けっきょく、他人は変えられないのだ。
それならば、あるがままを受け入れて、感謝して進むしかない。
…その心境に至るのは、なかなか骨が折れるけれど。


やはり、人と仲良くするのは大事だと思う。
自分を殺してまで仲良くするのは精神的自死に等しいけれど、迎合するのではなく、自他の違いを認めた上で、相手を思いやった上で、仲良くするのは大事な筈だ。

人が見せてくれる言動に毎瞬学び、祈り、今日も一日生きていこうと思う。

わたしと関わってくれるすべての人に感謝。



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