掃除

失意と絶望と怒りの真っ只中を過ごした事がある人は、たくさんいるだろうと思う。
わたしも、つい最近までそうだった。

何度も、抜けたと思っていた。
でも抜けてなかった。
投げやりになったり、できるのかと焦ったり、とにかくもがいていた。

わたしは、人にもがく姿を見せるのが得意でない。
どれだけこころを許した人でも。

でも、ふと、そこから脱してみようと思った。
「わたしの枷になっているのは、そこなのでは?」と思ったからだ。

それで、日記や詩を書いてみた。
感情が整理される前の、自分のありのままの思いを書いた。

自分で書いた文章を読み直しては、涙する日々が続いた。
あぁ、まだここで躓いてるのかと気づいた。
どれだけ考えても整理しようとしても袋小路に入ってしまうから、仕方がなく、見ない振りをして終わらせようと思ったことが、昔、あった。
でもそれじゃダメだった。

「いつもやってみてダメなら、違う方法を模索しよう」
騒動後は、これがモットーになったから、そうしてみる事にした。

正直、怖かった。
でも、やってみた。

すると、不思議なことに、勇気を出したわたしをサポートするみたいに、わたしへのエールのように、わたしにとって意味がある情報にたどり着くようになった。
わたしを鼓舞させ、わたしのこころを温め、わたしが更にもう一歩踏み出せるように、きっと何かが導いてくれた。

それで、完全に抜ける事ができた。
いま思えば、数年前に人に向けて話したことがある内容が、そのまま自分に返ってきただけだった。
それを、自分のケースに当てはめてみれば良かっただけだった。

でも、少し前の自分なら、その言葉がすんなり入って来なかっただろう事も、よく理解している。
だから、こういうのは、きっと、タイミングなんだろうな。

抜けきった後は、とにかく、何も感情が湧かなかった。
いい意味で、とてもフラットだった。
悪いことにも、良いことにも、何にも感情が動かなかった。静かだった。
いい悪いという判断をすることも無くなった。

球体に刺さったトゲがすべて抜けて、中から温かい水がとめどなく溢れた。
いまも溢れている。
中の温かい水が溢れなくなったら、また次に行くんだろうな。
その時まで、フラットな状態を満喫しようと思う。


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