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あくまでアマチュア書評集 “ワケあって未購入です” #12 『深泥丘奇談』 綾辻行人 (2008年、メディアファクトリー)

初めて読む作家なので、図書館で借りてお試し。売れっ子ミステリ作家である著者が、怪談専門誌「幽」に短篇創作怪談をと依頼されたものをまとめた連作短篇集。著者は当初、雑誌創刊のお祝いで1作だけ書いたつもりが、掲載誌で「連作1」となっていて驚いたと、あとがきにある。

このコーナーを既に読まれている方はご存知の通り、私はミステリが苦手なので、綾辻氏の本は読んだ事がない。氏は特に、私の苦手な新本格の系列のようだからなおさらである。しかし本書は京都の、それも私のような関西人にはそれなりに馴染みのある(学生の悪癖である心霊スポットめぐりゆえではあるが)場所を舞台にほのめかしていて、著者も京都出身という事なので、興味を持った次第である。

残念ながら、読んだ印象は想像通りで、具体的な描写を避けたソフトな怪奇譚。主人公は著者を思わせる作家で、フィクションを装う雰囲気もあるが、このスタイルも私は苦手である。精神的に不安定な主人公は医師の診断を受けているが、これまた著者の側に都合が良すぎる設定として、記憶がしばしば曖昧である。。

かくして、不可解な事が次々に起こるものの、それらは現実なのか幻なのか判然とせず、連作短篇集でありながら、前のエピソードで起こった出来事も、主人公はすでにあまり覚えていない。一方、主人公の妻や町の人々は、昔からそれらの事象を詳しく知っているようである。

こうやって説明すると、結果的には私が敬愛するラムジー・キャンベルのホラー短篇と、似た作風のように聞こえてしまう。しかし、違うのである。それも、本質的に違う。キャンベルは、自身が見ているヴィジョンを、あくまで冴え冴えとした筆致で鮮明に伝えようとしている。ただ、そうとしか書けないほど不可解なだけなのだ。

それを、「曖昧にした方が恐いだろう」と意図的に演出でぼかしてしまうと、それはもう違うのである。森見登美彦の「きつねのはなし」も同様で、キャンベル作品の世界に接近しているようで、やっぱり違うな、と感じるのはその辺りに起因する。「なんか曖昧な物を出してやろう」という事ではないのだ。

ホラーとしては全然怖くないし、さほど不気味でもない。ただ、ある種の柔らかさがあって、美しい文章を書く作家である。ちゃんと文学的で、ミステリにありがちな、業務報告みたいに硬質な文章ではない。

あとがきで説明されているように、この中の1篇「悪霊憑き」は、『ミステリーズ!』の新本格ミステリ競作企画のために書かれたものである。なので、明快な筋書きと謎解きがあり、これが私とは抜群に相性が悪い。ネタバレになるので具体的な指摘は出来ないが、私の強い抵抗感はつまり、「奇跡的な偶然」を組み込まなくてはならない謎解きは、もはや謎解きと言えないという事である。

その「奇跡的な偶然」にも二種類あって、フィクションにおいてはウソ臭いが、現実には起こりうる偶然というのがある。例えば地方に住む知り合い同士が、たまたま訪れた東京や大阪でばったり出くわす事は、現実にある。私や私の知り合いでさえ、経験があるくらいだ。しかし本書の偶然はそっちではなく、まず起こり得ない方の偶然である。それは反則でしょ、と思ってしまう。

もっとも、著者は全てを適当に思いつきで書いているのではなく、土地の古い記憶や歴史と連関しているような含みもある。本書には続編的な企画もあるので、そちらを読めば何かが明らかになってくるのかもしれないが、どうも今一つ興味が湧かず、読んでみるかどうか保留中である。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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