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061 | シン・ゴジラを観た




「シン・ゴジラ」観るまでできるだけ、そのストーリーやコンセプトに関する情報は、目や耳に入らないようにしてた、けど「革新的な怪獣映画だ」みたいな話は聞こえていた。巷の評価は非常に高い。

まぁそのようなメディアの公約数的な情報は構わないが、そうじゃないもっとピンポイントな、たとえばtwitterなどのSNSによる情報が問題だった。
そこで(知り合いじゃないけど、その仕事や言葉に少なからず関心を寄せフォローしている何某かの専門家の人達の)勿論ネタバレを避け、ごく控え目に、同作に関してサクっと評するつぶやきが、避けようもなく目に入った。
それはつぶやき(=短文)だから直感的かつ的確。だからそれを目にした私の関心も増し、劇場に赴く気持ちが強まったが、同時にその鋭く端的な論評は、読むと映画「シン・ゴジラ」の、構造や風貌を少なからず明らかにした。

先見的なつぶやきは予想外に点在する。それを避けるのは難しいし、わざわざフォローしてる人のつぶやきを見なくする、と言うのも訳わからないし、短文なだけに目に入ると一瞬で理解された。
もう劇場に行くのを延ばせないと思った。連休中ではあるけど、地元シネコンで観て来た(まぁ如何なる話題作でも連休中でも、急行が止まらない私鉄の我が地元最寄駅前のシネコンの最終時間帯で見たから、さほど混んでなかったけど)。

そんな自分が鑑賞したからと言って、ここで「シン・ゴジラ」の話を際限なくする訳にはいかないが、それでも鑑賞後間もなく、まだ脳内圧力が高いうちに言葉にしておきたい事はあるから、そこから主に1点、用心深く外部化する。(とか言いつつ以下微妙にネタバレがあります)





私が観た=感じた、映画「シン・ゴジラ」は、胸が透くようなファンタジーだった。その上で、映像作品としての構造設計は画期的って言うか激しく21世紀的だった。

半年くらい前、同作の予告編を劇場で目にした時、然程興味は湧かなかった。へぇ〜 庵野監督がゴジラ撮るのか、くらいで劇場鑑賞は視野になかった。
私は「ゴジラ」というコンテンツに対する興味が薄い。子供の頃テレビ放映でなら往年の作品を幾つか見たけど、往年のも近年のも、日本のも海外のも、ゴジラで劇場に足を運んだ事がない。
なのに本作を劇場でと思った主な理由は、さっきも述べたがSNSでつぶやかれた感想や評論。それに、この時期同時に公開されてる「君の名は。」と共通するものがあるとするものがあった。

かたやアニメ映画、かたや実写の怪獣映画。庵野監督はアニメ出身だけど、両作は共に興行的に快進撃を続けながら、作品の毛色はかなり違う筈。ジュブナイルなアニメ映画と歴史ある怪獣映画だから、水と油どころじゃなく、綿花と重金属くらい性質は違うだろう。表現のコンセプトに共通する点があるとしたら、それはどーゆー事か・・。





両作を見た人は合点が行くかも知れないが、その共通項とは “災害”。それが現象として描かれるだけでなく、表現のベクトルも通じるものがあると私は直感した。そんな斜な予感を確認したくて、私の「君の名は。」と「シン・ゴジラ」に対する興味や期待感はムクムク増し、劇場へ向かわせた。

観たら成る程、両作のコンセプトの一部は地下茎のように繋がっていた。
繰り返しになるけど、この2つの作品はそれぞれ只事じゃない完成度ながら、風合いや手触りは全く異なる、が、それぞれ劇中で甚大な災害が発生する。「君の名は。」は、災害が・・、という視点を含み少年と少女の想いを丁寧に描き、「シン・ゴジラ」ではド直球に、災害で・・、という視点で物語が進行した。

先に観た「君の名は。」は、もしも未曾有の災害被害を避ける事ができるなら、という祈りが、ジュブナイルをカタチ造る核の1つになっていた。
その後に見た本作「シン・ゴジラ」は、今度は避けようもなく訪れた災害に対し、最も望ましい対処、執るべき対策はどこにある、という疑問を最後まで持ちながら行動する人や組織が描かれた。その活躍に私は、胸が透くようなファンタジーを感じた。

ファンタジーは、なにも森の中で翅の生えた半裸の小人が宙を舞ったり、勇者が剣を振るって魔物を倒すなどに限らない。現実におよそ起きない事に、存在感を与え描き切るのがファンタジーだと私は思ってる。その点において本作は見事だ。災害そのものよりも災害への対処、その心意気が、卓越したファンタジーになっていた。現実、またはこんにちの政府機関では起きない事が、しかしイカレたリアリティーによって注意深く積み上げられる。





ここまで殴り書いたら伏せても意味がないから言っちゃうと、「シン・ゴジラ」で描かれる甚大災害とは、ゴジラそのものだ。それが巨大地震で発生した津波のように、海から上がってくる。それがどんな展開かについてはさすがに自重するけど、日本人なら多くの誰もが共感するものを、本作は持っていると感じた、胸が熱くなった。

怪獣映画だから絵空事なのは当然だが、その絵空事の中で未曾有の困難に立ち向かう人物の真摯さがグっと来る。で、一旦キャメラがゴジラの方を向くと、それら人物の想いが、執念が、手堅くかつ奇想天外に、スペクタクルとして結晶化・炸裂する。
ちなみに本作「シン・ゴジラ」劇中に、”震災”や”3.11”というフレーズは出て来ない。それは我々が深く胸に刻み、現在も進行する事象だけど、映画「シン・ゴジラ」で、社会性を帯びた場面は描かれるけど、社会派映画ではないからだろう(怪獣映画で社会性をテーマにしたものを撮ったら、非常にえげつない風体の映画になるんじゃないかな)。

だから、脚本も担当した監督をはじめとする製作チームは、震災や津波や原発事故や、それら災害にまつわる事象を、2016年を生きる皮膚感覚として、普通に組み入れたのだと思う。それは「君の名は。」でも同じだったんじゃないかな。テーマにはしないながら、エンターテイメントを組み上げるうえで震災とその記憶を、禁忌として排除しなかった。





という訳で非常に楽しく鑑賞しながら、「シン・ゴジラ」に対する個人的な疑問は解消した。まぁそれはともかく本作は、なるほど画期的な怪獣映画だった。
初見なのに、1度見てしまうと「こーゆー怪獣映画をずっと求めていたんだよ俺達は」と、ありもしない過去に遡って感じ入るカタルシスがある。斬新な映像作品でありながら、王道的なストーリーが、力強く、細かく、深く、外連味たっぷりに語られる。イメージが豊かで情報量が膨大だ。リピーターが多いという話も頷けた。私が幾つか目にしたつぶやきに、同一の視点で書かれたものが無かったのも当然かも知れない。

また本作に、「機動警察パトレイバー the Movie」(’89年)と「機動警察パトレイバー2the Movie」(’93年)、 更に「踊る大捜査線 THE MOVIE」(’98年)と、その元となったTVシリーズを彷彿とさせるイメージを感じた人は多いと思う。が、それはパクリでないのは勿論、実はオマージュでさえない。
それまでにない実写感覚を持った快作警察アニメ「パトレイバー」と、近年のアニメーションに通じる感覚を持ちながら、連続TVドラマの限界に達した感があり、以後の刑事ドラマを一変させた「踊る大捜査線」の、共通項は、他でもない"東京"である。

この2作によって湧出し、以後ある意味定番となったその表現イメージを、東京を描くアニメ世代の怪獣映画が無視したら、作品としてそれは手抜きになるだろう。それらのイメージをベースの一部に組み入れつつ「シン・ゴジラ」は次の階層に降り立っていた。

どーでもいいが劇場入館時に「名台詞ステッカー」なんてグッズ配って、劇場自らネタバレ促進しないで欲しい(手渡されたソレを見ないように仕舞うの苦労した・苦笑)。


実は、「君の名は。」と「シン・ゴジラ」に繋がりを感じる映画は更にもう1つある。自主制作映画「あなたを待っています」、もうすぐ東中野でかかるからなんとか観たい。