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思うままに。

noteを始めて数ヶ月、私は家族の奇跡を綴るというテーマに沿って書き連ねてきました。
私が経験してきた事、祖父母のこと、両親のことを綴る目的で時代を行ったり来たりしながら。

私のつたない物語を「スキ」や「フォロー」で応援してくださったみなさんの記事を目にし、気負わずにその日の気分で書く大切さや臨場感もあるんだなーと勉強させていただきました。

始めた当初は重過ぎる内容になってしまいましたが、それは私がnoteを始めるきっかけとなった通るべき道だったので解っていながらも描き続けました。

ある程度、文字に起こせたことで自分自身が落ち着いてきました。

描きながら、みなさんの記事を読ませていただくことで「こうあるべき」とか「目的を一つに絞らず」という感覚でも良いんだなと楽観的になれて。

もっと肩の力を抜いてラフに想いのまま書いて良いんだなと考えるようになりましたが、実はそれからも今、書くに至るまでに数日もかかりこの時間を持てていることが私の至福でもあります。

頭の中では何度も書き直しているような感触で、いつでも文字に起こせるように脳みその中の鉛筆は走り続けています。
すごく良いフレーズを考えられた時、すぐにメモりたいぐらいだけどそういう時ってものすごく忙しかったりして。
雲のように消えてしまう・・・一瞬で。
それ、絶対に書きとめれる訓練した方が良いな!って本当に思います。

日々鍛錬、日々精進ね。。。。

〜〜〜〜〜〜綴るアルバム〜〜〜〜〜

明日は昨年亡くなったしまった義母の納骨の儀です。

72歳でこの世を去った義母は常日頃から身を削るように働き、家族に100%の愛を注いだ朗らかなお母さんでした。
いつも自分のことはさておきで義父や義兄、主人、孫達、親戚のみなさん方にも気遣って見習っても真似のできないことをさりげなくされる義母でいつも勉強させられました。

いろんな病魔が襲っては来たものの、しっかり自分で管理されていたしきっと大丈夫なんだろうとみんなが思い過ぎていました。
もっと義母の容態について知っておくべきだったと今更ながら後悔しています。
とは言え、主人達(息子が)からもう仕事はやめなよ、と注意されても「はい」というお母さんではありませんから、どういった手段が有効だったのかは今となっては分かりません。。。

ただ誰しも思うことではありますが、もう少しあともう少し。。。
ここにいて欲しかった。。。
義母本人が一番無念であることは承知です。
どこで巻き戻せば「もう少し」の時間がいただけるのか教えて欲しいくらい。

私が幼くして亡くした両親と主人の両親はよく類似していて、
特に現在元気な義父は両親が生きていれば同い年の82歳(辰年)
晩酌が好きで生まれ月も父同士は偶然一緒(3日違い)
義母は車の免許は持たず原付バイクのみ、私の実母も同じく車の免許は持たず原付バイク乗りでよく笑いよく働く朗らかな人でした。

そういう家庭、場所に導いてくれたんだなと思わざる追えません。

義母が私と出会ってから約10年の間に施してくれたことを忘れることなく、胸に刻んでいきたいと思います。







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