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基礎を積む

吹けば必ず音が出るシンプルな楽器を手にしたのは小学校の時だった。この楽器について何も教えられず、音楽の授業でなにかの曲を吹かされて採点され、その後は運動会の行進曲を演奏してこの楽器とは別れた。

時がめぐって、子どもが小学校にあがる時に、またこの楽器は現れて、わが家には2本のリコーダーがある。一世代を経てもこの楽器は不遇なままで、その素性すら明かされず、子どももまた私と同じようにこの小さな楽器を見捨てた。

再び手に取ったのはコロナが始まった年。出会いからおよそ50年を経て、初めてこの楽器の素性を知った。リコーダーはバロック期の楽器で、フルートが登場する前はバロックの花形だったとか。

バロック音楽のなかでも初期の中世の宗教音楽が好きだったこともあり、また、リコーダー奏者の本村睦幸先生に出会ったこともあり、60歳になってから、私はリコーダーを習い始めた。

そのいきさつはnoteの「恋するリコーダー」に詳しい。

楽器というものに興味を持ったのは高校生の時。バイトでお金をためてギターを買った。ギターのコードはまだ少しなら覚えている。コードとアルペジオを覚えたあたりでギターとは決別。
その後、電子ピアノとか、ケーナ、ウクレレと、楽器とつき合おうとしたけれど、その都度に挫折。まともに演奏できる楽器はない。

そもそも「楽譜」というものがよくわかない。いろんな記号がついている。シャープやフラットが出てくるともうお手上げだ。英語と同じで、楽譜が読めなくても生きていくのに困らない。よって楽譜を読むことを覚えるのは、人生の優先順位のかなり下に置かれた。英語より相当に下で、その英語すらものにできない私が楽譜にたどり着くのは来世だろうと思っていた。

とはいえ、リコーダーも正統な楽器であるから演奏するには楽譜が必要だが、バロックの、たとえばバッハの楽譜のずらずら並んだ用水池のおたまじゃくし記号を見ていると眩暈がした。これを読むくらいなら耳でコピーしたほうがよっぽど簡単と思った。

自慢するが勘の良さが取り柄だ。たとえば視力測定は見えなくても勘で当たってしまうので視力はいつも良い。最近は機械で測定するのでやっと正確な視力がわかった時はがく然とした。

音楽も耳で聴けばなんとなく吹ける……と、たかをくくっていたのでまともに楽譜を読む努力を惜しんでいた自分を自覚している。

最近になって「楽譜」は物語と同じなのだな、ということがわかってきた。「楽譜」には音楽が記されていて、楽譜を読むことは字を読むことと同じで、誰かが描いた物語を味わうことなのだ。耳コピーだと、演奏された音楽しかわからない。それは誰かに音読してもらうようなものだ。

読まれた物語と自分が読んだ物語の違いはわかる。文字から物語を読みとくのは、脳の中で旅をしているような感覚だ。たぶん、楽譜から音楽という物語を読むのもそれに近いのかもしれない。情景が浮かぶ。鮮明にはっきりと。そしてその情景の中に意図的に入っていける。それが読書の面白さだ。きっと楽譜も、しっかり読めばそういう境地に至るんだろう。

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