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嘘つきは本当の始まり

今回はちょっとだけ不思議な話。

子どもの頃、些細な言い訳をよくしていた。
他人のことは知らないので一般的に子どもが皆そうなのか判らないけれど、個人的には“あの時期特有”の『自分は間違ってない』という根拠のない自信もあった。
“言い訳”とされること自体認めてなかったので、親からの「言い訳しないの!」も納得できなかった。
とはいえ実際“言い訳”しているわけで、しかもレベルを超えるとそれは“嘘”にもなる。
時には(今私は嘘をついている)とがっつり自覚していることももちろんあった。

例えば保育園の年中組の時、家を出るのが遅くなって慌ててサンダルで登園してしまった事があった。
下駄箱でサンダルから上履きに履き替えながら先生に聞こえるように
「もう。パパが間違えたからサンダルで来ちゃった!」
と怒った記憶がある。父は困った顔で
「ごめんね」
と言ってくれたのだけれど、間違えたのは私だ。心の中では(パパは悪くないのに…)と思っていたけど、態度は裏腹だった。
大人になって振り返ればどうでも良さそうな事でもその時は一大事だったりするので、5歳の私は先生に自分でやらかしたと思われたくなかった。
(※この状況にはもうひとつ、説明しなければならない我が家の事情があるのだけどそれはこの次で。)

失敗を繕う為の嘘の他に、本当に意味不明な嘘をついたことも覚えている。
あれは実際私だけだったのだろうか…?小学生の頃黄色い服を着ていると小さな黒い羽虫が集まる事がよくあった。勝手に黄色虫と命名していた。
身体に虫が集(たか)るなんて小学生としては致命的。
なので初めは嫌だったのだけど、ある時から『”嫌がっている“ことを周囲に悟られたくない』という、ややこしいプライドみたいなモノが芽生えてしまった。
そこで出たとんでもない嘘が
「この虫は友達なの」
だった。我ながらびっくり。
低学年だったとはいえ
「ふぅん」
と応えたクラスメイトは心が広い。
ただ不思議なもので「友達」と言い切ってしまうと、虫がついていても嫌な気持ちはしなくなった。

ある時は近所で幼なじみと3人で遊んでいて
「私、雨を降らせられるよ」
と言ったことがある。
せめて曇りの日を選べば良いものを寄りによって快晴の日だった。
「嘘~!やってみて!」
と言われて、(嘘つきだと思われちゃう…)と当然後悔しながらももう後には引けない。空に向かってデタラメな呪文のようなものを言いながら砂を撒いたーー。
…これは嘘じゃなくて本当の話で信じられないかもしれないけれど、なんと撒いた砂が落ちると同時にパラパラと雨粒が降ってきた。天気雨だった。
思いがけず魔法が使えてしまった私も、そして友達も目を丸くして
「雨だ!本当に降ってきたー!」
と叫んで天気雨の中をみんなでぴょんぴょん跳ねた。

またある時、懲りずに幼なじみに突拍子もない嘘をついた。
「私の家は本当は別の所にあって、そっちは猫がいっぱい住んでる猫屋敷なんだよ」
というもの。
願望が口から漏れちゃった形で、当時私と同じアパートに住んでいた幼なじみは「へぇ~」と深堀りせずに受け流してくれていたけれど…
割と近年になってから(そういえば…)と気がついた。猫屋敷の嘘をついてから10年後、私は本当に9匹の猫たちと山の中の一軒家で暮らしていた。

『嘘から出た誠』とか『言霊』とか、というと語弊がありそうだけれど、嘘が本当になる事は案外よくあることなのかも…?と思っている。
そして今更だけれど、私の幼なじみの寛容さには感謝しかない。

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