見出し画像

『幸福はなぜ哲学の問題になるのか』太田出版 青山拓央

エウダイモンな働き方

本田静六の言葉に「職業の道楽化」というものがある。以下に引用をする。

「富も名誉も美衣美食も、職業道楽の愉快さには遠く及ばない。
職業の道楽化とは、学者のいう職業の芸術化、趣味化、遊戯化、スポーツ化もしくは享楽化、であって、私はこれを手っ取り早く道楽化と称する。
名人と仰がれる画家、彫刻家、音楽家、作家などが、その職業を苦労としないで、楽しみに道楽としてやっているのと同様に、すべての人がおのおのその職業を、その仕事を道楽にするということである。職業を道楽化する方法はただ一つ勉強にある。あらゆる芸術と同じく、はじめの間こそ多少の苦しみはあるが、すべての歓喜も幸福も努力を通してはじめて得られることを自覚し、自分の職業を天職と確信し、迷わず専心努力するにおいては、いずれ必ず仕事がよくわかってきて上手になる。上手になるに従い、はじめは自己の性格に適していなように思われた職業も、しだいに自分に適するようになり、自然と職業に面白味を生じる。一度その職業に面白味を持てば、もはやその仕事は苦労でなく道楽に変わる」

ところで、「エウダイモニア」というギリシャ語がある。これは、たびたび「幸福」と訳されるようだ。
「エウダイモニア」とは、「最高善」だとアリストテレスは語り、「最高善」は手段と目的の連鎖の終着点にあるものである。

つまり、「エウダイモニア」とは他の目的ではなく、「それ自体のためになされる複数の事柄の複合体」だと考えられると、本では述べられている。
例えば、ある画家がコンクールでの入賞の目的のために絵を描くのではなく、絵を描くこと、それ自体に生きがいを見出しているならば、それもまた「エウダイモニア」の一部と言えるということ。

以上のことを踏まえて前述した本田静六の言葉を比べて見ると「職業の道楽化」とは、職業のエウダイモニア化と言えると思う。

飯を食うために働くことから、働くことそれ自体が目的となるように昇華していくことは幸せな生き方への正しいベクトルに思う。

この本は素晴らしい本で、もっと書きたいことがあるが、一旦ここまでとする。またまとまり次第、追筆する。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?