日本人は自立できるか 試論

 日本は、未だ独立していない。政府も私たちが闘争によって、勝ち取ったものではない。これは、まぎれもない事実だ。しかし、これに関してはねじれが起きてしまいやすい。私もそのねじれに時々まかれてしまうことがある。しかし、このデリケートな問題に伊東祐吏が右翼、左翼に関してこうopinion
誌で批判している。(この記事は、著者の「丸山真男の敗北」でのインタビュー記事である)

戦後思想には、保守とリベラルに共通する「欠陥」があると私は思います。

根底にあるのは、日本がアメリカの属国状態にあり、半独立を余儀なくされているという事実です。さらに言えば、日本はその状態を脱することよりも、豊かさや戦わないことを優先し、属国の位置を自らの決断で選択してきました。

しかし、それを認めてしまうと、民主主義の理念も、国家主権も、愛国の精神も、語ることはできません。自らがその理念や精神を裏切ってきた張本人なわけですから。こうして、右派も左派も、自分に都合の悪い事実を無視して思想形成をしたことが、戦後思想の最大の欠陥です。

戦後民主主義とその敗北――いまだ終わらない「戦後」と向き合うために

 そして、そのアメリカの属国のなかで、豊かさや戦わないことを選択した政策を行ってきたのが、自民党のかつての主流派(池田勇人、佐藤栄作など)です。今は反主流派(岸信介、中曾根康弘など)が政権にいて、防衛費の増額や憲法改正を訴えていますが。
 しかし、彼らの憲法改正も、なかなか信用ならず、最初の改憲案では、戦前(特に、悪名高い戦時中的な協力体制と全体主義的な項目)

( 緊 急 事 態 の 宣 言 ) 第 九 十 八 条 内 閣 総 理 大 臣 は 、 我 が 国 に 対 す る 外 部 か ら の 武 力 攻 撃 、 内 乱 等 に よ る 社 会 秩 序 の 混 乱 、 地 震 等 に よ る 大 規 模 な 自 然 災 害 そ の 他 の 法 律 で 定 め る 緊 急 事 態 に お い て 、 特 に 必 要 が あ る と 認 め る と き は 、 法 律 の 定 め る と こ ろ に よ り 、 閣 議 に か け て 、 緊 急 事 態 の 宣 言 を 発 す る こ と が で き る 。 2 緊 急 事 態 の 宣 言 は 、 法 律 の 定 め る と こ ろ に よ り 、 事 前 又 は 事 後 に 国 会 の 承 認 を 得 な け れ ば な ら な い 。 3 内 閣 総 理 大 臣 は 、 前 項 の 場 合 に お い て 不 承 認 の 議 決 が あ っ た と き 、 国 会 が 緊 急 事 態 の 宣 言 を 解 除 す べ き 旨 を 議 決 し た と き 、 又 は 事 態 の 推 移 に よ り 当 該 宣 言 を 継 続 す る 必 要 が な い と 認 め る と き は 、 法 律 の 定 め る と こ ろ に よ り 、 閣 議 に か け て 、 当 該 宣 言 を 速 や か に 解 除 し な け れ ば な ら な い 。 ま た 、 百 日 を 超 え て 緊 急 事 態 の 宣 言 を 継 続 し よ う と す る と き は 、 百 日 を 超 え る ご と に 、 事 前 に 国 会 〔 新 設 〕 第 九 十 五 条 一 の 地 方 公 共 団 体 の み に 適 用 さ れ る 特 別 法 は 、 法 律 の 定 め る と こ ろ に よ り 、 そ の 地 方 公 共 団 体 の 住 民 の 投 票 に お い て そ の 過 半 数 の 同 意 を 得 な け れ ば 、 国 会 は 、 こ れ を 制 定 す る こ と が で き な い 。 〔 新 設 〕 二 五 の 承 認 を 得 な け れ ば な ら な い 。 4 第 二 項 及 び 前 項 後 段 の 国 会 の 承 認 に つ い て は 、 第 六 十 条 第 二 項 の 規 定 を 準 用 す る 。 こ の 場 合 に お い て 、 同 項 中 「 三 十 日 以 内 」 と あ る の は 、「 五 日 以 内 」 と 読 み 替 え る も の と す る 。
( 緊 急 事 態 の 宣 言 の 効 果 ) 第 九 十 九 条 緊 急 事 態 の 宣 言 が 発 せ ら れ た と き は 、 法 律 の 定 め る と こ ろ に よ り 、 内 閣 は 法 律 と 同 一 の 効 力 を 有 す る 政 令 を 制 定 す る こ と が で き る ほ か 、 内 閣 総 理 大 臣 は 財 政 上 必 要 な 支 出 そ の 他 の 処 分 を 行 い 、 地 方 自 治 体 の 長 に 対 し て 必 要 な 指 示 を す る こ と が で き る 。 2 前 項 の 政 令 の 制 定 及 び 処 分 に つ い て は 、 法 律 の 定 め る と こ ろ に よ り 、 事 後 に 国 会 の 承 認 を 得 な け れ ば な ら な い 。 3 緊 急 事 態 の 宣 言 が 発 せ ら れ た 場 合 に は 、 何 人 も 、 法 律 の 定 め る と こ ろ に よ り 、 当 該 宣 言 に 係 る 事 態 に お い て 国 民 の 生 命 、 身 体 及 び 財 産 を 守 る た め に 行 わ れ る 措 置 に 関 し て 発 せ ら れ る 国 そ の 他 公 の 機 関 の 指 示 に 従 わ な け れ ば な ら な い 。 こ の 場 合 に お い て も 、 第 十 四 条 、 第 十 八 条 、 第 十 九 条 、 第 二 十 一 条 そ の 他 の 基 本 的 人 権 に 関 す る 規 定 は 、 最 大 限 に 尊 重 さ れ な け れ ば な ら な い 。 4 緊 急 事 態 の 宣 言 が 発 せ ら れ た 場 合 に お い て は 、 法 律 の 定 め る と こ ろ に よ り 、 そ の 宣 言 が 効 力 を 有 す る 期 間 、 衆 議 院 は 解 散 さ れ な い も の と し 、 両 議 院 の 議 員 の 任 期 及 び そ の 選 挙 期 日 の 特 例 を 設 け る こ と が で き る 。

日本国憲法改正草案 自民党

を盛り込んでいます。このある種、危険な改憲にはなかなか賛成することは難しい。結局、日本は戦前から何ら進歩していないし、この体制から抜け出すことはできないのだろうと感じてしまいます。

話は戻りますが、伊東氏はこの日本のねじれ的なものに対して以下のように批判しています。

こうした状況から生まれる悪弊が二つあります。ひとつは、属国状態の苦しさから、現実逃避や虚勢のために、民主主義の理念や、愛国の精神を、金科玉条としてやたらとふりかざすことです。もうひとつは、その結果として自己暗示にかかり、アメリカとの実際の力関係や実力差を見誤ることです。

これらの欠陥は、現在の論者にも受け継がれています。しかも、かつては単なる虚勢でしたが、いまは、アメリカと対等なのが当然だと信じ、安っぽい正義感から不平等性や密約を暴き、煽ったり憤ったりしてみせるので、危なっかしくてしょうがない。

まるで、日本は成熟した大人の国から、純粋で思慮のないこどもの国に逆戻りしたかのようです。そのうえ、いつの世も、こうした言説を批判する者には、非国民や反民主主義のレッテルが貼られるので、誰もとめられません。

戦後民主主義とその敗北――いまだ終わらない「戦後」と向き合うために

 これは、日本の言論人の欠陥的要素を的確についています。

 では、日本は如何にして自立するべきなのか、これはとても、難しい問題です。伊東氏は如何のように処方箋として答えます

この“火消し”はなかなか困難ですが、まずは私たちの足元を見つめ直す努力が必要です。その際、丸山の思想に頼るのは、時代が違いすぎるので、お勧めできません。いまの時代を代表する団塊の世代の思想も、火に油をそそぐのでダメです。

たとえば、団塊世代の村上春樹は、「卵と壁」の比喩を使い、つねに壁につぶされる卵の側に立ちたいと述べますが、いま必要なのは、きちんと自分の立場で物事を考えることでしょう。少なくとも、私は弱者ぶらずに、壁の側に立ちたい。また、そのことが皆さんにも求められていると思います。

戦後民主主義とその敗北――いまだ終わらない「戦後」と向き合うために

 これは、優れた答えだと思います。
 そして、伊東氏の村上春樹の壁と卵への批判はなんにしても「当事者意識のない日本人」への猛烈な批判です。的を得ていると思います。
 そして、私は、その日本人が自立していくためには、自由民権運動の「中江兆民」や江戸時代の「一揆」を起こして、権利を獲得していく百姓などに求めていきたいと個人的には思っています。子供がだだをこねるように、文句批判ばかりをするような今の状態では幼児のようです。
 私はこう結論付けていたのですが、伊東氏は、

どの思想もその時代の空気の中に入れてみないと、なかなか正しく理解できないものですが、敗戦直後と現在では、時代がまるで違います。丸山の思想は、貧しく困難な時代のなかで、民主主義を自分たちでつくっていこうとするものでした。

しかし、いまの日本は、かつてないほど、物質も権利も保障も満たされているのに、なおかつ不自由や不平等を訴え、解決してもらおうとする時代です。人々は、民主主義の「作り手」から「お客様」へとすっかり変わってしまった。そんな世の中では、丸山の思想は、クレーマーのお説教やアピールに都合よく使われるのがオチでしょう。

私は現在の日本の国民と国家の関係を、丸山だったらどう言うかな、と夢想することがあります。後年の凝り固まった丸山はともかく、往年の丸山なら、いまのリベラルのようなことは言わず、国家に要求してばかりで独立心のない国民を一喝すると思うんですけどね。

戦後民主主義とその敗北――いまだ終わらない「戦後」と向き合うために

 と述べています。
 「民主主義」の作り手から、「お客様」に変化してしまった。これは、戦後の民主主義の停滞ぶりを見事に表現しています。
 伊東氏こそ、日本の戦後もっともすぐれた思想家として評価したい。
 彼の著作は、どれも素晴らしいので、ぜひ読んでいただきたい。

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ぜひ、伊東氏の著作を読んでいただきたい。

 

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