三島由紀夫。名前は聞いたことがあるだろうが、私は彼の著作を長く愛好していて、小説嫌いになった今でも、たまに読んでおおとなったりする。
そして、彼は、晩節での日本を予言するような発言が結構有名で、今の時代に彼の言葉を引用して予言通りだなんていったりする。
三島の「文化防衛論」に対し、私は三島のドキュメンタリーででてきた年老いた芥正彦の「「天皇の文化概念としての側面」ってなんなんだ。」と、いう発言が割と好きで、天皇に文化概念としての側面がある? のかについては微妙だと私は思う。しかし、三島のエロス感においては天皇に文化概念(絶対的存在としての)をもっていなければ、彼の文学は成立しえなかった。三島文学そのものは、要するに天皇的なメタファが数多く出てくる。金閣寺の金閣寺。豊饒の海一部「春の雪」での主人公の恋人を奪うのも「天皇」であるし、ともかく、天皇の文化概念としての側面を三島が見出しただけの主観であることに違いない。じゃあ、王朝文学はどうなんだ。天皇がでてくる文学は、貴族の文化であって、少数じゃないか。むしろ、庶民は「遠野物語」的なもののほうを信奉しているじゃろ。ほか、御伽草子とか。庶民文化に江戸時代なんて、「天皇」なんて出てこないやん。色恋沙汰ばっかで。
と、挙げたらキリがないが、三島が貴族ぶりたいというのが「文化概念としての天皇」として表出したのだろうと考える。そもそも、三島は華族ですらないし。学習院には通っていたが。貴族ではないのに貴族ぶった三島のエピソードとして有名なのは、太宰の斜陽についての批判です。繰り返しますが、三島は華族ではありません。武士といってはいますが、「百姓」と「武士」の家柄が「父」、「母」であるので、完全な武士とも言い難いのです。ということは、三島の「文化防衛論」というのは、実に独りよがりなのです。
私は、天皇における「神性」が日本を「未開社会」にしてしまったと考えているのだが、それを「象徴」と定義しなおしたからこそ、今の発展があるとかんがえている。それを批判する三島は「反動」的ではありますが、あまりに急進的過ぎる天皇をなくせという天皇廃止論者と比べると、些かマシのような気がするのです。私は天皇は今の状態で私は良いと思います。
しかし、そのデメリットとして喪失したのは「神道」の崩壊です。天皇家はそもそも、須佐之男命と、天照大神が近親相姦してできた子供から始まった家系で、天皇による「人間宣言」によって、「日本神話」そのものが崩壊してしまったのです。なので、日本人は「無宗教」といわれるのです。
私は「武士道」的なものよりも「百姓道(?)」的なもののほうが、日本人の大半なので、庶民の歴史から「生き方」を探るべきだと思います。そういう意味では私はパオロマッツァリーノ、民俗学などを評価したい。武士も特にお偉方は「貴族文化」であり、少数過ぎるからです。私たちの歴史ではなく、貴族のお偉方の歴史文化です。はっきり言います。大半の日本人は元々は「百姓」の人たちです。
三島由紀夫と古林尚の対談で古林は、「(よくない人たちに)利用されるだけ」と言われていますが、本当にその通りで実際によくない方面の「日本は終わりといいたいだけの人たちの理由付け」や「陰謀論的なもの」に利用されています。
三島の蜂起理由は、はっきりいって、「二・二六事件」のように悲劇的に死にたい程度のものなのではないかと。本気でやるにしては、あまりに準備不足に感じます。拡声器は使っていないし、現場ではほとんど聞こえず、あげく、乃木希典のような切腹死。まるで、彼の書いた短編「憂国」じゃないですか。それに彼はバタイユの死とエロスにこだわったり、ジャンヌダルクの処刑で興奮したり、どうも、政府転覆を企んでいたと考えにくいじゃないですか。それに、日本文化的なものがグローバルなものの浸食によって滅びることを新聞に書いて非難したそうですが、日本は、世界でも、「日本文化」をうまく、守ってきているとペイパルの創業者で哲学者のピーターティールがいうように、また、裏千家の千玄室さんが、「世界の要人たち」に茶道をしてもらい、文化的なものによって、座らせ、茶道の作法でお茶を飲んでもらったように、日本的なものが完全になくなったとはどうも考えにくく、消費社会や現代建築によって、確かになくなってきていますが、完全に日本的なものがなくなったわけではありません。しかし、キャピタリズムの発展によって、各国の文化的なものは、世界のどの国からもなくなっていくでしょう。ですが、現代建築においてその「日本的」とされるものが消えたとする非難は、「戦前的(明治大正昭和)」な建築様式の喪失であって、「江戸時代の住宅」はもう喪失しているのです。日本の建築の普遍的な文化というのは、実は「木造建築であること」なのです、しかし、木造建築は、まだ、日本に残っているのです。だから、日本文化そのものが喪失しているわけではありません。
だから、三島のいう文化は「貴族文化」と、「明治時代~第二次世界大戦前の文化」のことだと思います。三島の奥の院は「永遠の過去」ではなく、「永遠の青春への郷愁」なのです。