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悩みを突き抜け、使命に目覚め、奇跡を起こしたひろくん先生の人生ストーリー


はじめまして、こんにちは。

教育総合コンサルタントのひろくんです。

わたしは現在お母様方の様々なご相談をさせていただいたり、

お子様のお勉強の相談や算数・数学の指導を行っています。

30歳の時から約28年間いくつかの塾で指導や

教育カウンセリング・コンサルティングを行い、

その間、中学受験では、東京の男女御三家をはじめとする

トップ校への合格指導、高校受験でも開成、早慶の付属校、

そして大学受験でも東大、一橋、早慶を含む数十人以上の

TOP校の合格者を出してきました。


また、学校の勉強がわからなくなった、塾に行っても成績が思ったように上

がらない、

あるいは発達障がいのお子様に対して、わからないところをわかるようにし

て、勉強を楽しく理解をして、やる気を出させる指導も

おこなってきています。


その数は、約3500人を超えるお子様とお母様の

総合的な教育コンサルティングをしてきました。


その経験を生かして、現在はフリーでオンライン・オフラインも含めて

お母様方へのコンサルティングを中心に、

算数・数学の指導や、勉強・子育てに関するアドバイスを行っています。


そんなわたしが、今単なる教科指導や進学相談にとどまらず、

皆さま特にお母様がもっと幸せに日々を過ごし、

お子様によりたくさんの愛情をそそげられるようになれる

お手伝いをさせていただくようになった理由と、

将来なにを目指しているのかを、

過去の自分を振り返りながらお話をしていきます。


●超問題児の幼児期・不登校、家庭内暴力の小学生

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だれにでも「黒歴史」と呼べるものがあったりしますが、

わたしの幼児期は、手が付けられないほどの悪ガキ・問題児でした。

自分で覚えていることはそんなに多くはないですが、

年中か年長のころ5,6歳くらい上の近所の男の子とけんかをして

(といってもけんかになってなかったと思いますが)

相手が手が付けられないちびから、自分の家まで

逃げていったときに(大人な対応(w))、

その悪ガキちび(わたし)は、わんわん泣きながら追いかけて行って、

家の中に石を投げ入れたことを覚えています。(なんというワルだ)


そんな悪ガキは、小学校に上がって小3,4年ぐらいになると

コミュニケーションがとれなくなってきました。

(それまでも取れてはいなかったと思いますが、

小さい子はその子と付き合ったほうがいいか悪いか等の判断ができず、

なんとなく付き合っていたのだと思います)


その結果、いじめに合いだし、だんだん学校に行きたくなくなり、

不登校になっていきました。

不登校といっても、時々気が向いたら行ったりはしていましたが、

それにもまして、家で家庭内暴力が始まり段々悪化をしていきました。

そんな問題だらけの子供でしたから、今更ながら

ほんとうに両親には迷惑をかけたと思います。

お父さん、お母さん本当にごめんなさい。

(母親は、あらゆる手を尽くしてくれました。)


そのような状態が収まってきたのが小6の頃からで、
その要因が3つあります。

1つ目が、

ある時友人に眼鏡を割られて、ぶちきれてその子をぼこぼこ

(といっても小学生のぼこぼこですから今思うとかわいいものですが)

にしたことがきっかけで、クラスであいつは怒ると怖い(強い)やつだと

一目置かれるようになったこと。


2つめは、

自分自身が精神的に少し成長し、

他人とトラブルを起こさないような距離感を無意識にとるようになってきたこと。


3つめは、

担任の先生が今思いおこしても涙が出るぐらい情熱的で

愛に満ちた人であったこと。

(この素晴らしい先生は、我々の代が卒業すると

その直後に脳溢血で亡くなってしまいました。)

これらが要因で不登校も家庭内暴力も収まっていきました。


●超勉強に目覚めた中2以降・楽しんだ高校・勉強しきれなかった浪人時代


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そんな小学校時代ですから、当然のことながら勉強時間は0。

よくお母様方が、「子供が全然勉強しないんです、」

とよくおっしゃるが、

それでも学校の宿題ぐらいは多少はやったり、

いやいやながらたまにはやったりはしていますが、

私の場合はそもそも学校に行っておらず、

勉強そのものに興味がなかった

(理科の実験だけは好きで家でよくやっていたが)ため、
ほんとうに0でした。


そんなわたしが、ふとしたきっかけで数学に興味を持ち、

その時こんな短絡的なことを思いつきました。


「小学校でいじめられたり、嫌な思いをしたのは勉強ができないことと、

家がお金持ちじゃないからだ。

じゃあ医者になれば馬鹿にされないし、お金持ちにもなれる。」

(我ながらなんと幼く短絡的な思考だったのでしょう。)


と考えて、医学部に行くことにしました。(笑)


そんな勉強時間0だったわたしが、猛勉強して標準偏差値では70は超えるようになりました。

どれくらい猛勉強したかというと、

たとえば、中3になる春に盲腸の手術で1週間入院しましたが、

病院にも参考書問題集を持ち込んで、手術の前も後も

朝6:00に起きてから22:00消灯後も電気スタンドをつけて

隠れて0時まで勉強し続けたり、

学校でも休み時間0で勉強し、給食の時間や家での食事の時間も

勉強し続けました。(まわりはあきれていましたが(笑))

それでも、残念ながら第1志望には届かず、抑えの学校に進みました。

(ちなみに目覚めのきっかけになった数学だけは、

中3の夏前に高1の内容は終わっていました。)


そこで、心機一転勉強を継続すれば、医学部も受かっていたと思いますが

(今考えると受からなくて正解でしたが)

志望校に合格できなかったため、半ば投げやりになったことと、

部活(吹奏楽部)が楽しく、ほぼ3年間そのことだけに集中しました。(笑)


当然の結果、現役では受けられるところはなく、

1浪してもやはり受けられるところがなく、

(当時は共通1次試験で5教科7科目必修で1000点満点中最低でも

860~900点以上ないと、2次試験の受験資格すらありませんでした)

自分が受けられるところを受けて(千葉大園芸経済)受かりましたが、

結局いきませんでした。


そのころから家計が怪しくなってきたため、

新聞配達の奨学生で働きながら2浪をしましたが、

やはり届かず弘前大の数学科に仮面浪人のつもりで入学をしました。

(まだあきらめない、しつこい(笑))


ところが、1年たって家庭の事情で遠距離での

大学生活を続けることが不可能となってしまい、中退をしていまいます。

(人生の中で、この1年は全く別の意味で

とても深い意味があったことは後に気づきますが)


●超暗黒の20代 仕事→神経症→ひきこもり→過食症→拒食症

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途方に暮れていた私を救ってくれたのが、ある親戚の方で、その方のつてで

とある仕事を始めました。

しかしながらその仕事が合わずわずか数年でやめてしまい、

そこから神経症になり、ひきこもり、そして摂食障害に陥りました。


そのころの私は、自分を客観視することができず、

なにかあると自分自身を徹底的に攻め続け、更に傷つき、落ち込み、

「なんて自分はだめなのだろう。」とか「自分は何をやっても駄目だ。」

など自己肯定感が0どころかマイナス100万ぐらい自分を責め続けていました。


ここから脱却したのが30歳になるとき、ふと思い付きで応募をし採用された学習塾でした。

なぜ、この時に外に出て仕事をしようと思ったかは、今分析をすると

1つには、心が完全に自己崩壊を起こす1歩手前まで来て、かすかな生存欲求がでてきたこと、

そして「あれだけ頑張った勉強のことなら、

ひょっとしたら自分でも誰かの役に立てられるのではないか。」と思ったためだと思います。

そこで、師匠と呼べる方に出会い、指導のノウハウを教えていただきました。

その後転職をして別の大手塾で教えてはじめて、その方の指導力の高さと

それを受け継いだ自分の指導力が、ベテランの方々と比べてもそん色がない高水準になっている

ことを知りました。

そこから、算数・数学の指導や進路指導、お母様との教育コンサルなどを行い、

順調にスキルアップをしてきました。

(ただし今振り返って客観的にみるとその当時の自分は、勉強の指導力だけにしがみついて、

本来の自己肯定感はまだほとんどない状態だったと思います。)



その後、2005年11月に人生を大きく変える事件が起きました。


●マンション購入、2年足らずで取り壊し、ダブルローンを抱る

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2005年11月(42歳)、その事件は起きました。

おぼえていらっしゃるかたもおられるかもしれませんが、1級建築士のAが設計をしたマンションの

設計に耐震偽装をしたことが発覚をしました。


「〇歯耐震偽装事件」
です。


なんとそのマンションを1年前に購入をしていたのです。

途中経緯は省略しますが、最終的に取り壊し、

建て替え命令が行政より出されました。

結果取り壊されるマンションのローンを抱えながら、

新たに立て直す新しいマンションのローンも支払うことになりました。


マンションの難しいところは、1人でも反対者がいると立て直すことができないことです。
(その土地と空間の権利を分割してもっているため。)


支払い始めてようやくその重みがわかってきました。

今、冷静に考えればさまざまな策や方法が考えられますが、

当時はせっかく手に入れた自分の家を失いたくないという考えから、

(というより事件が発覚した時点から神経をやられてしまっていたんだと思いますが)

支払いが厳しくなるとお金をあちこちから借りたり、とうとうサラ金にまで手を出してしまいました。


妻にはまったく内緒で、自分一人でドツボにはまっていったのは、


当時の私の価値観では、

「家庭を支えるのは男の責務として当然で、それができない奴はどうしようないくずだ。」とか、

また手に入れた家(マンション)を絶対に手放したくない、という思いから

誰にも言えず、

相談もせずに頭の中の視界がどんどんかすんでいきました。

そうなるともう次の支払いをどうするかということしか頭になくなってしま

います。

毎日毎日次の支払いをどう乗り切るか、「まだどこか借りれるところがある

はずだ」、

そんなことだけを日々考え、そして「もし払えなかったら死ぬしかないのか?」と日々恐怖と不安と格闘をしていました。


そんな状況で、仕事もうまくいくはずがなく、

会社から与えられた予算はまったくいかず、

(前の職場のことですので詳しく言いませんが)以前、勤務していた会社は

あれな会社でしたので、ここでは到底書けないようなお声がけをいただいたり、

なによりもつらかったのが、会社の数字や上司もそうでしたが、仕事がうまくいかなくて、

お客様であるお母様(お父様)や子供たちに時間割やその他のミスで迷惑をかけてしまい、

お叱りを頂戴したりして、そのような流れになると悪いことが起こる流れが止まりません。

例えば、部下にちょっとしたミスがあり、講師の先生がやるべき内容をやっていませんでした。

その結果、大クレームとなり、上司である私が監督責任で謝るのは当然ですが、

そのお父様が、かなり激しい方で、

「土下座をしろ、」

「金を全額返せ、」

「無理ならお前が全額払え、」

しまいには、

「今すぐこの場で首をくくって責任をとれ、

 早く死ねよ。お前が死ぬまで待っててやるから。」

とまで言われました。

当時は、そのような方への対応のノウハウもなく、そもそもメンタルがボロボロの状態でしたから、

自分自身を責め続け、号泣しながら

「申し訳ございません。」

とただひたすら土下座をし続けました。

そのような大きいものから小さいものまで、ありとあらゆるネガティブな現象が起き続けました。

これは、今考えると当然のことで、自己肯定感がなく常に自分を責め続けていれば、

それに見合う現象がまわりにも必然的に起きてくるものです。


毎日トイレの中で泣き崩れて、それでいて支払いのことを考えると、

それこそ口から胃や心臓が飛び出してくるのではないかと思うぐらい、

何度ももどしたりして心も体もボロボロの状態が続きました。


●人生の転機と奇跡

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そんなときに、ある1冊の本をたまたま手にし、そこから人生感や考え方が180度変わっていきました。

その人生を変えた本との出会いは、必然的な偶然といえるものでした。

というのも後でその本を見ると見たことがないブックカバーで(つまり行ったことがない本屋さん)、

いったい、どこのどの本屋さんに行ってその本をどのように手にしたかは、いまだに謎です。

詳しくは、また別の機会にお話をしたいと思います。


簡単に言うなら、

日々の考え方や物事の捉え方、そして人として生きる意味について

今までと全く別の捉え方で生きていく方法を学び始めるきっかけ

その本が与えてくれた。」ということです。


そこからは、今考えると正に奇跡のような展開で、自分の心も周りの人への対応も、

逆に周りの人からの対応も、そして会社や環境、仕事の流れ、成果、

お母様や生徒たちとの関係など

すべてがうまくいきだし、以前とは真逆の正に好循環の嵐が続きました。


たとえて言えば、もしパラレルワールドがあるとすると

全く別次元の世界へワープをしたみたいな、

そのくらいの劇的な変化でした。

それでも支払いはどうすることもできず、最終的には離婚も覚悟で妻にすべてを打ち明け、

マンションを手放しました。

これだけのことを打ち明けても離婚もしなかった妻には感謝の言葉をどれだけ言っても言い尽くせません。


その新しい価値観に基づいた生活の中で、

1つ1つ自分自身の心と向き合って

心のブロックや不安、恐怖を克服し、自分自身に対する愛と

そしてまわりにいる家族、

生徒、生徒のお母さんお父さんへの愛と感謝の念を得ることができました。


●今、そして未来へ

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わたしは、2020年(58歳)に会社を退職をしました。

今はアレな会社ではなく、素晴らしい会社であり、

21年間お世話になった会社には、大変感謝をしております。

ですが、会社組織である以上、

通っていただいている生徒の成績を上げることが使命です。

しかしながら、単に勉強の仕方や受験テクニックを教えただけでは、

成績が上がらない、勉強そのものに取り組めないお子さんもたくさんいらっしゃいます。

その原因理由は様々ですが、そんなプロセスで心が疲弊されていらっしゃるお母様方をたくさん見てきました。

お母さんが疲れ切っていると子供も元気がなくなります。

子供が元気にいきいきと前に進むためには、お母さんが満たされて幸せであることが1番です。


しかしながら、育児、子供の世話、仕事、家事とたくさんのことを一人で抱えて

疲れてしまっているお母さんを進学塾では向き合ってサポートしてあげることはできません。

なぜなら、ご両親もそして雇っていただいている会社も生徒の勉強をみる、

そして子供の成績を上げることのためだけに子供を通わせているからであり、

会社は、それをやってもらうために、お給料を払っているからです。

組織の中でやれることに限界を覚えたわたしは、

フリーで自分の意思を実現していこうと決意しました。


その意志とは、


世の中の育児や子育てあるいは、それ以外のさまざまな問題を抱えて

困っているお母さん方の力になりたい、

サポートをしたい。

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心が軽くなって、愛があふれ出てくるようなお母さんになってもらいたい。

そうすることによって日本中のお母さんが、輝き幸福感を持ち、

そして愛に満ち溢れていけば、


おのずと子供たちにも愛は降り注がれて、その結果子供たちも幸せになることができる、


そんな愛に満ち溢れた幸福なお母さんで

世の中をいっぱいにできれば、

世の中は、もっともっと明るく、すばらしい社会になると確信しています。

(その中にもちろんお子様の勉強のサポートもあります。)


私が実体験をした「奇跡」は、だれにでも起こすことができます。

別に魔法でも超能力でもなんでもなく、

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自分の軸をしっかりと持って生きるための考え方、

心のあり方をしっかりと確立することです。


お母さんが幸せいっぱいの家庭は、子供も旦那様も幸福になれます。


男性の意識改革も当然必要ですが、対峙してけんか腰でまず男よ変われ、

といってもすぐには変わらないと思います。(もちろん様々なアプローチの仕方があっていいと思います。)


わたしは、今自分の人生を冷静に俯瞰(ふかん)してみることができます。

それは、自分自身の中の様々な心のブロックや恐れや怒りなど

様々なネガティブな心と向き合い、克服をしてきたからです。


自分を責めたりして、心の中が空っぽになると

人は他人に対して愛情を注ぐことができなくなります。


そのように悩んでいらっしゃるお母様を今までたくさん見てきました。


(不思議と自分の心が満たされて、愛でもって接することができると、

お母様方から勉強以外の悩みや相談を受け、

時には泣き崩れるくらいつらい思いを

お話していただくようなこともたくさんありました。)


もちろん、まだまだ自分自身不完全なところや

人間的にもっと成長しなければならないところもたくさんあります。


なので、わたしもいっしょに成長していきながら、

笑顔のお母さんで日本中を埋め尽くしていき、

そして子供もお父さんも愛で満ち溢れた

ご家庭でいっぱいにしていきたいと思います。


(追伸)

わたしは、個別指導で発達障害やグレーゾーンのお子様をお預かりすることが多くあり、

発達障害について、ひとつひとつ勉強をしてきました。

勉強すればするほど、お子さんに関わればかかわるほど、

ある1つのことに気が付きました。


この状況って、自分にそっくりじゃないか?


そんな疑問がだんだん強くなり、2018年(56歳)の8月に専門医に診断をしてもらい、

予想通り、自分が発達障害であったことがわかりました。


なんで、こんなに人生苦労するんだろう?

なんでこれができないのだろう?

子供時代は、なんであんな無茶苦茶なことをしていたんだろう?

と思っていたことの原因がわかりました。

(ほとんどの問題は、間接的に克服していました。放置している問題もありますが)

発達障害に限らなくても、人間だれしも多かれ少なかれ

自分自身のことや家族のこと、あるいは人間関係のことなど

様々なことでの悩みはあります。


今思い返すとこれは、

たくさん苦労して、自分も他人も愛せないような心になり、

自己嫌悪の塊のような自分自身を克服した、

そのノウハウを今悩んでいる人たちにシェアして、

みんなをハッピーにしてあげなさい、

という神様の(たとえです)心遣いだ

ったのではないかと思っています。


こんな自分でも、子供たちに勉強の楽しさを教えられて、

お母様方にも笑顔になってもらえるお手伝いができる、

そのための、知識や経験をどんどんシェアをしていきます。


それが、まさに人生をかけた私の使命だと確信しています。


ここまで、お読みいただきまして、ありがとうございました。


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