Manabu Tatokoro

放浪しながら,今は,緩和ケア病棟で働いています.

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最近の記事

あしたから出版社

一昨日、「夏葉社日記」を読みながら、咄嗟に注文した「長い読書」が、実は「師匠」の書いた本であり、そこに今読み終えようとしている本のあとがきが書かれているという、鳥肌の立つ偶然を味わった。 文中に度々登場する師匠の著書「あしたから出版社」を、どうしてもすぐに読みたくなり、文庫版をAmazonで購入し読み終えた。 文庫本はAmazonで買うことに抵抗はないものの、単行本は、デザインや手触りを味わうため、本屋に注文して買うことにしている。 注文してから手元に届くまで数週間はかか

    • 内なる治療医との対話

      (2019年に書いた,ある病院からの依頼原稿です)  「ご本人は病気のことをどのように捉えていますか?」「ホスピスへ移ることについて、ご本人はどう考えておられますか?」私がホスピス外来で、来院した家族に必ず投げかける問いである。 「どうって言われても・・・」「本人にはまだホスピスのことを話していません」、多くの方がそう答える。紹介状や、外来での家族との対話の中から、患者本人の意思は見えてこない。多くの場合、「抗がん治療をしない患者はウチではこれ以上診られない」と言われ、かとい

      • わすれられない患者さん

        「がんサバネット通信」に寄稿したエッセイです。 第二次ベビーブームの頃、子宝に恵まれない若い夫婦がいた。当時は不妊治療の黎明期。妻は丸一日溜めた尿を検査容器に入れて、毎週、満員電車で「お茶の水医大病院」へ通った。その甲斐あってか、男の子が誕生した。 その時の担当医であったA先生を、「もうひとりの父」として母から刷り込まれて育ったその男の子は、後に医師を志し、お茶の水医大を目指した。 男の子は念願叶い入学したものの、大学内にA先生を知る人はすでにおらず、その足跡をたどること

        • ともに歳を重ねに〜越後村上

          師走を迎える頃になると、 必ず思い浮かべる街がある。 16年前、 何もかもが嫌になり、 仕事を放り出してその足で東京駅へ向かい、 目についた電車に飛び乗った。 年の瀬も押し迫りどこか慌ただしい雰囲気の車内で、 鉛色の空と荒れ狂う冬の日本海がふと心に浮かんだ。 何かに導かれるように、 羽越本線に乗り換え、 さらに北へ。 辿り着いた終着駅の名前に覚えがあった。 少し前の新幹線車内誌の記事が甦る。 ふだん大して読まない車内誌なのに、 「鮭の街」が特集されていたその記事はなぜか

        あしたから出版社

          夏葉社日記

          本というよりは書店が好きで,中学時代に初めて訪れた「神田古書店街」がこの世の楽園に思えた. そのため,茨城県から神田に行きやすい高校,古書店街に最も近いお茶ノ水の公立大学に通い,勤務中に古書店街へ通える職場を選んだ. このようなものだから,大学時代,同級生と昼食を共にすることはなく,昼休みはほぼ毎日古書店街を彷徨い,そのまま講義に戻らない日も多かった. その後,各地を転々とする中でも,その街の書店を歩き回り,好みの書店を見つけては,休日ぶらり訪れるのが何よりの楽しみだった.

          夏葉社日記