なんか気になったからwikisocionに載ってるユングによるN(直観)の定義と自分の感覚を照らしあわせてみる

こんにちは。

今日はちょっとした
私の勉強ノートみたいな
趣でやってみようと思います。

では早速。


元ネタ

こちらのページ。

http://www.wikisocion.net/en/index.php?title=Psychological_Types#Intuition_3

Psychological Types by C. G. Jung (1921) - Translation by H. Godwyn Baynes (1923)

簡単なまとめ

直観: 無意識の知覚のこと。

直観の現れ方

客観的直観: 対象の潜在的な知覚とそれに随伴する思考や感情の知覚。
主観的直観: 無意識の心理的な事実の知覚。

具体的直観: 反応的。感覚を介して知覚した、物事の実際にまつわる何か。
抽象的直観: 能動的。観念的な繋がり。

直観の使われ方

内向的直観:  認知や内的知覚のために内側に向けられる。
外向的直観:  行動や達成のために外側に向けられる。

定義確認

Intuition
(From intueri = to look into or upon) is, according to my view, a basic psychological function (v. Function). It is that psychological function which transmits perceptions in an unconscious way. Everything, whether outer or inner objects or their associations, Can be the object of this perception.

直観とは、無意識に生じる知覚であり、外界内界の何らかのもの、もしくはそれらの関係性が対象となる。

⇒ グラフでいうならノードとエッジ両方を見てるってことね。これは私の感覚と一致する。もっとも、私はエッジ(リンク)のほうが「純粋」な直観じゃないかと思ってたけど。

ノードの方は「以前」に知覚した、あるいは判断した結果としての、直観ではない質の情報が往々にして含まれていると感じるので。たとえば「くさい」は感覚(S)だし、「きらい」なら感情(F)だと思う。

私の感覚では、そういう情報も「対象物を成す要素」としてパッと浮かんでくるので、依然として直観(N)ではあると思う。S/T/Fがフリーズドライされて対象と一緒に無意識に沈んでるって感じなのかも。

Intuition has this peculiar quality: it is neither sensation, nor feeling, nor intellectual conclusion, although it may appear in any of these forms. Through intuition anyone content is presented as a complete whole, without our being able to explain or discover in what way this content has been arrived at Intuition is a kind of instinctive apprehension, irrespective of the nature of its contents.

直観は、感覚でもなく、感情でもなく、知的結論でもない。直観は、その内容の性質とは無関係に、一種の本能的な理解である。

⇒ 私の感覚では、「瞬間的に、あるいはふとしたときに突然無意識的に、想起される対象のメタ情報」という感じ。

Like sensation (q.v.) it is an irrational (q.v.) perceptive function. Its contents, like those of sensation, have the character of being given, in contrast to the 'derived' or 'deduced' character of feeling and thinking contents.

知覚する内容は「それはそういうもの、所与のもの」として受け止められる。

⇒ そうかも。

Intuitive cognition, therefore, possesses an intrinsic character of certainty and conviction which enabled Spinoza to uphold the 'scientia intuitiva' as the highest form of cognition.[61]

それゆえ、直観的な認識には確信と納得という本質的な性格があり、スピノザは「直観的科学」を認識の最高の形態として支持することができたのである。

⇒ そうだね、疑ったりしない。それは知覚したあとの話だし、通常見たもの自体は疑わず、当然のことと受け止める。「私は豆腐が好き」としたとき、私はそのことを疑わないし、豆腐を見たら好物であると自動的にみなす。

Intuition has this quality in common with sensation, whose physical foundation is the ground and origin of its certitude. In the same way, the certainty of intuition depends upon a definite psychic matter of fact, of whose origin and state of readiness, however, the subject was quite unconscious.

⇒ "state of readiness"がよくわからない。直観の確実性が、心理的事実によるものなのはいいとして、readinessとは?鼻が利くとかそういう話?

Intuition appears either in a subjective or an objective form: the former is a perception of unconscious psychic facts whose origin is essentially subjective; the latter is a perception of facts which depend upon subliminal perceptions of the object and upon the thoughts and feelings occasioned thereby.

直観は主観的な形でも客観的な形でも現れる。前者は、本質的に主観的な起源を持つ無意識の心的事実の知覚であり、後者は、対象に対するサブリミナルな知覚と、それによって引き起こされる思考や感情に依存する事実の知覚である。

⇒ この辺はNi/Neの違いと混同してたかも。その区別とは別ということね。主観的直観はすごく動物、もしくは本能っぽいね。自分にあるのかないのか、よく分からない。

Concrete and abstract forms of intuition may be distinguished according to the degree of participation on the part of sensation. Concrete intuition carries perceptions which are concerned with the actuality of things, while abstract intuition transmits the perceptions of ideational associations. Concrete intuition is a reactive process, since it follows directly from the given circumstances; whereas abstract intuition, like abstract sensation, necessitates a certain element of direction, an act of will or a purpose.

直観の具体的な形態と抽象的な形態は、感覚の参加の度合いによって区別することができる。具体的直観は事物の実在性に関わる知覚を伝達し、抽象的直観は観念的連想の知覚を伝達する。一方、抽象的直観は、抽象的感覚と同様、ある種の方向づけの要素、意志や目的を必要とする。

⇒ あ~。ちょっとスッキリ。拡散的に対象物のメタ情報(≒グラフでいうノード)が見えるのが具体的直観で、関係(エッジ)が抽象的直観ね。それで、抽象的なほうがより純粋。これは私が思ってたことと一緒だ~。

In common with sensation, intuition is a characteristic of infantile and primitive psychology. As against the strength and sudden appearance of sense-impression it transmits the perception of mythological images, the precursors of ideas (q.v.).
Intuition maintains a compensatory function to sensation, and, like sensation, it is the maternal soil from which thinking and feeling are developed in the form of rational functions. Intuition is an irrational function, notwithstanding the fact that many intuitions may subsequently be split up into their component elements, whereby their origin and appearance can also be made to harmonize with the laws of reason.

知覚された要素は結果的に構成要素に分解できたり、繋がりや見た目には蓋然性があり論理に調和的でありはするが、(その本質、動作様式として)直観は知覚機能である。

⇒ うん、そういう理解。私の勝手な推測だけど、脳は単に「近しいもの」を寄せ集めてクラスタリングしてるだけだと思う。その「近しい」というのが自然な法則を形成しているのだと予想。ちょっと離れるけれど、ソシオニクスのVortical-Synergestic認知はこれに近しいものを感じるな~。

Everyone whose general attitude is orientated by the principle of intuition, i.e. perception by way of the unconscious, belongs to the intuitive type [62] (v. Type).

一般的な態度が直観の原理、すなわち無意識による知覚によって方向づけられている人は皆、直観型に属する。

⇒ 勘が目立つ人って感じ?ある意味動物っぽくて省エネ。

According to the manner in which intuition is employed, whether directed within in the service of cognition and inner perception or without in the service of action and accomplishment, the introverted and extraverted intuitive types can be differentiated.

直観がどのように使われるかによって、認知や内的知覚のために内側に向けられるか、あるいは行動や達成のために外側に向けられるかによって、内向的直観型と外向的直観型が区別される。

⇒ Ni/Neの区別はここでは利用方法なんだね。同じものをどのように使うかって感じ?でもそれだと私のイメージには近いかも。知覚としてはNiもNeも同じものってことね。今わたしはユングの話をしているけど、そういえばMBTIの本にも「~は直観を主として内界で使い~」って表現があったねえ。

In abnormal cases a well-marked coalescence with, and an equally great determination by, the contents of the collective unconscious declares itself: this may give the intuitive type an extremely irrational and unintelligible appearance.

⇒ DNAに刻まれた本能がそのまま具現化しちゃってるとか?元型って名前がついてるけど、人間の精神の大元のテンプレートみたいな。脳は内臓など体の各器官からも情報を受け取って、それが無意識に反映されてるはずだから、その状態がそのまま絵になっちゃうみたいな?

感想

Niは予知夢みたい。

「意志をもって方向付けて内界を知覚」するのだけど、内界にネタ(外部からの一時的な刺激)が転がってない状態だと無意識の混沌がそのまま見えそう。それってなんか夢、そのもの。

もしかすると、「3人寄れば文殊の知恵」を無意識のうちに、自分の頭の中でやってるのがNiユーザーなのかもしれないですね。

無意識から神を召喚するのがNiとばかり思っていたので、ちょっとお近づきになれた気がします。

ユングさん的には、Ni/Neの違いは単なる使い方の違いってことなので。あ、でも、Niがゆんゆん描写になるのは変わらないと思います。あとお風呂で妙にNが冴えるのは余計な無意識のノイズが減るからなのかもしれませんね。集合的無意識のお父さんがご機嫌ってこと。

おしまい。

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