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熟達の果てにたどり着く先は…【熟達論】

何かの達人になりたい…という思いはあります。
らるです。

今日は、『熟達論』を紹介します。

こちらは、

スプリント種目の世界大会で
日本人として初のメダル獲得者。
男子400メートルハードルの日本記録保持者
であり「走る哲学者」とも呼ばれる為末大さんが
宮本武蔵による兵法書『五輪書』の
現代版を書きたい
…という思いから
著された本です。

感覚的な話も多く
ご本人自身も

この「熟達論」は、私自身の体験と、幸運にも話を聞くことができた方々の体験を集め、私が整理し積み上げた推論である。その意味で、これは私の個人の体験の中間報告のようなもので、科学的な検証プロセスを踏んではいない。私の仮説は普遍的なものなのか、それぞれの分野からはどう見えるのか、またどこに疑いの余地が残るのか、ぜひ多くの方にご意見をいただき一緒に考えていきたい。熟達に関することが一つ一つ明らかになれば、それは私も含め多くの人々にとって大事な学びになるはずだ。

為末大. 熟達論―人はいつまでも学び、成長できる― (p.35). 新潮社. Kindle 版.

「私の個人の体験の中間報告」
「多くの方にご意見いただき
一緒にかんがえていきたい」

と書かれているように
すでに固まった何かではない
ということです。

ただ、とはいっても
確かにこうかもしれない…と
思わせる説得力を感じる
面白い本だったので
内容を紹介していきます。


熟達の探求プロセスの5段階

熟達のプロセスは
次の5段階になると言います。

第一段階・遊 
第二段階・型
第三段階・観
第四段階・心
第五段階・空

簡単に説明すると

まず「遊ぶ」こと。
不規則さと面白がる姿勢を身に着けます。
これがないと、探求が続きません。

次に「型をもつ」こと。
技能の土台を作る、時間のかかる部分。

そして「観察する」こと。
視覚だけでなく、全身を使って行う。
部分を切り分けて観察することで
関係と、構造が見えてくる。

そのうえで「中心をつかむ」
ここまでの段階にたどり着くと
型の輪郭が崩れて
自分にとっての中心部分だけが残る
個性を自覚し表現できる。

最後にたどり着くのが「空」
ここは、これまでの話から
一気に飛んで
「自我が無くなる」状態。
いわゆるZONE状態。

ずっとここに居られるわけではないし
体験しても、結局元には戻る…が
「今を生きる」ことが身体的に
わかる
ようになる。

そして、この空の体験の先には…

すべては遊びから始まった。熟達への道のりを経て、私たちはまた遊びに戻っていく。

為末大. 熟達論―人はいつまでも学び、成長できる― (p.165). 新潮社. Kindle 版.

遊びに戻っていきます。

熟達の果てに戻っていく先が
「遊び」だというのは
仏教に通じるところがあり、面白いですね。


この本を読んでいて

「私がやっていることで
 当てはまることは無いかなぁ?
 今は特にスポーツはやっていないし
 ないかなぁ…」
などと考えていたのですが

あとがきに、こんなことが
書かれていました。

走ることと書くことは似ている。今回、文章を考えているうちに夢中になって自分が消え去る感覚に陥ったことが何度かあり、改めてそう感じた。

為末大. 熟達論―人はいつまでも学び、成長できる― (p.167). 新潮社. Kindle 版.

「書く」ことが「走る」ことと
似ているのなら、
今、私が毎日やっている、
この「書く」という行為も
熟達のプロセスに当てはまるのかもしれません。

私がやっているのは
「書く」における「遊」の
段階だと思いますので
次は、型、をやっていく必要があるのかと
思います。

私が書きたい文章における「型」とは
何なのか…ということを
考えてみたいと思いました。

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