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自分が犠牲になっても守りたい相手の本当の心理とは…

よくドラマや漫画の脚本にもある「自己犠牲よって他人を守るシーン」
その心理についてちょっと考えてみた。
人は自分の幸せを第一に考える。なのに、なぜか自己犠牲で他人を助けたいと本心から考えている場合がある。
でもそれは自覚なき偽りだと思う。

もちろん私も私が死ねば、娘が助かるという場面になったら(そんなドラマチックで非現実的な事が起こるわけもないが)、自分の死を選ぶと思う。
それは娘を愛しているからなのだが、その先があった。

仮に私が死ねば助かるという状況で、そちらを選ばず自分が生き残った場合、愛している娘がいない世界になるのだ。しかも自分の責任で。そんな未来に耐えられるわけがない。罪悪感に苛まれ続ける人生になるのは明らかだ。
だから逃げるのだ。愛する娘を助けるために自分は死ぬんだと言い訳をしながら。
だから、「キミさえ幸せなら私は死んでもいい」的なセリフなんていうのは詭弁だと思う。もし上記のような場面でそんな言葉を残して死んでいこうものなら、生き残った者への呪いでしかない。最低なセリフだと思う。
自分は耐えられないから、自分のために死を選ぶ。的なことを言うべきである。まぁ普通はそこまで自覚できていないだろうから仕方がないのだが。

そんなことをふと考えた。ひとまず自分が幸せであるために、愛する人も幸せな人生を歩んでほしいな、と祈ることにした。
〜 おわり 〜

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