文章の書き方の困難について/本をジグザグに読む/ハーバードの個性学入門/閉鎖的な空間の利用法/あなたの人生に一冊のノートを

Weekly R-style Magazine ~読む・書く・考えるの探求~ 2019/04/22 第445号 

はじめに

はじめましての方、はじめまして。 毎度おなじみの方、ありがとうございます。

すっかり春らしくなって、気温も上がってきました。皆様はいかがお過ごしでしょうか。

私としては、選挙カーが静かになってくれたのがたいへんありがたいところです。

文章を書いているときもそうなんですが、最近始めたポッドキャスト収録のときにもマイク放送はたいへん厄介なのです。

まあ、立候補している人も必死に頑張っておられるのでしょうから、あんまりやいやい言いたいわけではありませんが、もう少し、実りのある一週間の使い方はないのかなと考えてしまいます。

〜〜〜素数ゲーム〜〜〜

ゲームアプリを漁っていたら、以下のゲームを発見しました。Panasonicが開発しているゲームです。

下からボールが飛んでくるので、そのボールに書かれた数字が素数ならタップ、素数でなければスワイプする、というゲーム。スワイプされたボールは分裂するので、またそのボールに対してタップかスワイプの操作を行います(因数分解、というやつです)。

一桁のボールならさすがに間違えませんが、数が50くらいになってくると、一瞬「ん?」となります。その「ん?」が短ければ短いほど高得点が取れるゲームです。

きっと、素数好きの人なら楽しめると思います。

〜〜〜グッズ〜〜〜

以下のようなツイートをいただきました。

私の脳内には、「自分のグッズを作る」というコンセプトがまったく存在していなかったので、すごく面白かったです。チェスをしていたら、相手が飛車を打ち込んで王手してきたような気分です。「えっ、そういうのアリなの?」っと。

でもまあ、作ってはいけないというルールはないのですから、これはもうアリなのでしょう。

それにしても、「しゃべる目覚まし時計」って、一体どんな台詞をしゃべってくれるのだろうか、などと考えるだけで楽しくなってきますね。

〜〜〜出版プラットフォームいろいろ〜〜〜

以下の記事を読みました。

「LINEノベル」という新しい小説投稿プラットフォームが誕生したようです。

こうしたプラットフォームは、現在「乱立」と表現できるほどたくさん生まれているのですが、以下の点が面白く感じました。

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 これらの作品を、読めば読むほど無料になる「読めば無料」システムで提供する。読書をすることで、無償チケットが提供される。
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一般的には、こうしたプラットフォームではすべてが無料公開されていて自由に読めるものと、「スタミナ制度」によって読める量が制限されているものがあります。

後者の場合、たとえば一日に10のスタミナがあって、その分は読めるけども、なくなったら読めない。でも一日経てばそのスタミナは回復する。あるいは、お金を出してスタミナを回復させることができる。そういう形です。つまり、読める量に制限があるわけですね。

一方、「LINEノベル」の場合は、一つの作品を読めば無償チケットがもらえるので、「読む」→「チケットをもらう」→「そのチケットで読む」→「チケットをもらう」と、さながら永久機関のように読み進めていけます。

だったら、無料で自由に読めるのと変わりないのではないか? と思われるかもしれませんが、人間の心理のバイアスから考えればこれは同じとは言えないでしょう。

「なんでも自由に」という状況では、人はなかなか選択しないものです。でも、「もらったチケットがあれば読める」となれば話は変わります。そのチケットを使わないこと(≒何かを読まないこと)が「もったいない」ような気がしてくるのです。

さらに言えば、せっかくチケットを使って読み始めたのですが、その作品を一応読んでみよう、という気持ちは高まりやすいでしょう。「なんでも自由に」だと、最初の二、三行でページが閉じられてしまう可能性が非常に高いことを考えれば、これはなかなか有効な「読んでもらう」施策だと言えそうです。

というわけで、すでにあるカクヨムやnoteに加えて、このLineノベルも面白い投稿プラットフォームになりそうな予感がします。

ただし、どれを使えばいいのか悩んでしまう、という問題も同時に発生しそうではありますが。

〜〜〜気になった本〜〜〜

今週見つけた本を3冊紹介します。

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 善き生き方とは何かを問う徳倫理学。徳の本質を、実践における理性的思考の考察によって明確化し、我々の幸福をつくりあげるために不可欠のものとして示す類のない入門書。
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 ロックミュージックはいかなる手段で、誰に抗い、何を訴えつづけてきたのか。一体なんのために。スコッツーアイリッシュのアパラチア山脈への移住からはじまる巨大なるサーガ、ついに誕生。
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 あわよくば、生きるヒントに。

「考えすぎても、いいじゃない! 」
 人気絵本作家ヨシタケシンスケのみんな待ってた、初エッセイ集!
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〜〜〜Q〜〜〜

さて、今週のQ(キュー)です。正解のない単なる問いかけなので、頭のストレッチ代わりにでも考えてみてください。

Q. 選挙カーによる名前連呼の代わりになる選挙活動って、どんなものがありうるでしょうか。

では、メルマガ本編をスタートしましょう。

今回は、少し長めの記事を1つと、少し短めの記事をたくさんでお送りします。ちょっとしたチャレンジです。

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2019/04/22 第445号の目次
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○「文章の書き方の困難について」 #物書きエッセイ

○「本をジグザグに読む」 #物書きエッセイ

○「ハーバードの個性学入門」 #ミニ書評

○「閉鎖的な空間の利用法」 #やがて悲しきインターネット

○「あなたの人生に一冊のノートを」 #ノーティングの技法

※質問、ツッコミ、要望、etc.お待ちしております。

○「文章の書き方の困難について」 #物書きエッセイ

次のツイートが目に入りました。

魂です。魂の叫びを感じます。

おそらく、同種の悩みを抱えている人は多いのではないでしょうか。私も気持ちは非常によくわかります。

よって今回は、この問題をじっくり検討してみます。たまねぎが、きつね色を通り越して飴色になるくらいまでじっくり検討します。

■外せない点

まずは、プライオリティー(priority)の確認です。一番大切なことは何か。

もちろんそれは、「書く」が生まれることです。どんなに優美な方法論であっても、「書く」が生まれないことには話になりません。同様に、大多数の人が支持していても、自分の「書く」が生まれないなら、やっぱり却下です。

さらに言えば、この〈自分の「書く」が生まれる〉にもいくつかの段階があります。単に原稿用紙のマス目が埋められるレベルから、自分が心底面白いと思えるレベル──魂の叫びにある「つまらん」が出てこないレベルという言い方もしてもいいでしょう──まで、段階が広がっています。

ここで、非常にざっくりと「書かれるもの」を三つに分類してみましょう。

・新聞記事
・雑誌記事
・エッセイ

新聞のニュース記事は、文字数も少なく、「ニュース的文体」というのも確立しているので、それに沿って適切に情報を配置すればOK、という側面があります(もちろん、それだけではないでしょうけれども)。

対して、雑誌記事は、雑誌ごとにそれぞれ固有の雰囲気があります。そうした雑誌に記事を寄せるライターは、自分の文章を書きつつも、その媒体にあった雰囲気に揃えることが(おそらく)要求されます。少なくとも、個性全開にして書ければOK、とはならないでしょう。

最後のエッセイでは、むしろ書き手の個性が全力で要求されます。ニュース記事のように「誰が書いているのかは特に気にならない」という書き方ではあまり仕事の依頼はこないでしょう。「その人の文章を読んでいるんだ」と強く感じさせられる文体が求められるはずです。

このように、職業として文章を書く場合でも、求められている「自分の」の度合いは結構変わってきます。つまり、ときと場合によっては「お行儀の良さ」が求められることもある、ということです。

文章の中に「自分の」色合いがなくても全然構わないどころか、むしろその方が良い、という場面も想定できるでしょう。

この点は踏まえておきたいところです。

■問題ない人/ある人

さて、ここまで確認した上で、もし最初に構成を作り、そのままその通りに書ける書き手は、特に問題はありません。「特に」というか、「何一つ」問題はないでしょう。そのまま書き手ライフを goes onしていただければと思います。

また、事前に構成を立てる必要がなく、「何でも書いたら、それでOK」な書き手も、特に問題はないでしょう。そちらも、そのまま書き手ライフをgoes onしていただければと思います。

問題は、そうではない書き手です。つまり、上の二つの両極端の間に位置する書き手です。

最初に構成を作ってはみるものの、その通りには書けない。あるいはそうした構成があることで、〈自分の「書く」〉が発揮できない。そうした書き手には、何かしらの対処が必要となります。

■あらかじめの構成

ここで、さらにその状況を精査します。

先ほどから何度も登場している「構成」というのは、「構造」とイコールではありません。構造的情報が含まれることもありますが、志向しているものは異なっています。

どういうことでしょうか。

ここで言う「構成」とは、「あらかじめ決めておいた構成」ということです。「この順番で書こう」「こうした要素は入れておこう」という、一種の計画(あるいは要件)と言い換えてもよいでしょう。

その要件は、執筆者以外が設定する場合もあれば、執筆者自身が設定する場合もあります。前者であれば、文字数制限やフォーマットがありますし、広告記事(記事広告)なら、宣伝文やアピールポイントが入ってくるでしょう。後者であれば、「こういう風に書きたい」という自分の意志が、それにあたります。

でもって、これは前号で書いた話とも通じます。

上記のような要件は、自由な連想を主体として見れば、「制約」として機能します。たった今、この一行を書き終えたばかりの私が、次に書きたいこと(次に書こうと頭に浮かんだこと)を書くのではなく、事前に誰か(=依頼主や過去の自分)が決めた「こう書くべし」に沿って書く。そういう制約の中での執筆行為が、「構成に沿って書く」ということの意味です。

だからもし、その人が頭に浮かべる(≒連想する)ことが、事前に作った構成と大いにずれる傾向を持つならば、そこには大きな溝が発生することになります。これはもう苦しいことです。

当然、「構成」と「気ままに書く」を行ったり来たりするのにも労力がかかります。

■問題の俯瞰

上記が、一番フォーカスしたい問題なのですが、そこに分け入る前に、もう少し状況を俯瞰しておきましょう。

構成と執筆を巡る問題は、上記の問題を含めて大きく二つ考えられます。一つは、そもそもとして構成が作れない問題。もう一つが、構成を作っても、その通りに書けない問題です。そして、後者の亜種として、構成があると筆が乗らない問題があります。

まず、事前に構成が作れない問題に関しては、構成の「型」が充分に頭に入っていない状況が考えられます。たとえば、新聞記事のような型の制約が強いものに関しては、「冒頭に○○を書いて、その後○○を続けて、最後に○○で締める」のようなパターンを把握しておくことが大切です。それをまったく把握していなければ、事前の構成を組み立てることは不可能でしょう。

こんな状況を考えてみましょう。私がこれまで一切「実用書」を読んだことがなかったとします。そんな状況で、私が実用書を書くことになったら、きっと事前に何かを考えるのは不可能でしょう。おそらくは、文章をとりあえず書いてみて、「ああ、これではダメだ。これではダメだ」と修正を繰り返して、コンテンツを整えていくことになりそうです。

逆に言えば、私が実用書の構成を考えるときに、「まず用語の確認からスタートして、その後ツール操作の基本をチェックし、最後に実践的な例を紹介して終わろう」と流れを組み立て、要素を選別できるのは、そうした「型」が頭に入っているからです。言い換えれば、いくつもの実用書(あるいはそれに類するコンテンツ)をたくさん摂取してきたからです。

よって、あらかじめの構成が必要にもかかわらず(たとえば、目次案を作らないと執筆にgoサインが出ない状況など)、それが作れないときは、同種の系統の本をたくさん読むこと(あるいは目次だけでも確認すること)か、そのようなパターンを抽象化してまとめてくれているコンテンツから学ぶことが必要でしょう。

一言でまとめると「勉強せよ」となります。

■構成≒執筆パターン

次にいよいよ、「立てた構成通りに書き進められない状況」に進みます。

この状況も、二つのパターンに分けられます。

・提出先が構成を決めていてそれに従わなければならないパターン
・自分が書く対象について理解していない状態で構成を作ったパターン

一つめは、成果物を求めている先が、「このような順番で書いてください」とか「こういう要素を盛り込んでください」と指定していて、書き手はどうであれそれに従う必要がある(従わないと成果物として認められない)状況です。

二つめは、「この順番で書いて、あれとそれを盛り込もう」と考えた自分が、対象のことをよく理解しておらず、結果的にとんちんかんな構成を作ってしまった状況です。

共に、「立てた構成通りに書き進められない状況」ではありますが、対処は少し異なります。前者の場合は、構成(与えられた制約)を動かせませんが、後者の場合は後から自由に変更できます。もちろん、後者は自由に変更することで、状況に対応していくことになります。

■動かせない構成への対処

ではここで、「提出先が構成を決めていて、それに従わなければならないパターン」への対処法を大々的に解説していきたいところなのですが、残念ながら私の引き出しにはスマートな方法がただの一つもありません。

書き手にもいろいろタイプがあると思うのですが、私はそうした状況に対処するのが非常に苦手なタイプです。よって、「なんとか言葉をねじり出す」みたいな泥臭い方法しか思いつきません。

最初にプライオリティーに設定した、〈自分の「書く」が生まれる〉なんてほとんど無視されています。

よって、このパターンへの対処法に関しては、集合知を求めたいと思います。「こういう方法があるよ」というのをご存じの方は、ぜひ教えてください。

■メタな舞台裏

という、行き止まりみたいな話を上に書きました。普段の私ならば、消しているような話です。

そうなのです。この文章も、最初に「あれとこれを書いて、この辺の話題に触れる」と自分で構成していたのですが、いざ文章を書き始めてみると、充分に掘り下げられない部分に遭遇しました。つまり、「自分が書く対象について理解していない状態で構成を作ったパターン」です。

普段なら、その行き止まり部分をさっくり削除した上で、最初に考えていた話の流れを修正します。でもって、あたかも「最初から、私はこういう話の流れを想定していましたよ」みたいな顔をして文章を続けていきます。

あるいはここまでの文章で、話の途中に「俯瞰」が入っていることに気がつかれた方もいらっしゃるかもしれません。どう考えても、これは話の冒頭に置くべき内容です。

これも普段なら、何食わぬ顔をしてその部分を冒頭におき、それに合わせて文章の流れを調整します。あたかも、「私の思考は、このような段階(ロジック)を経て、まっすぐ進んできたんですよ」と言わんばかりの顔をするわけです。

今回は、「自分が書く対象について理解していない状態で構成を作ったパターン」の実例として、そうした修正をせずにそのまま文章を掲示していますが(だから、たぶん読みにくかったと思います。すいません)、普段はこうして「気ままに書い」た後、全体の流れを意識して、配置を変え、それに合わせて文章全体も少なからずイジります。それがデフォルトの進め方です。

■未知なる歩み

なぜそれがデフォルトの進め方になるのかと言えば、書き始める前の自分は、自分が何を書くのか(書けるのか)を理解していなからです。

それを理解しないまま、よくある「型」を用いて構成を考えるので、どうしてもズレが生まれます。「型」通りに連想(≒執筆)する人以外は、皆そうなります。

逆に言えば、自分が何を書くのか(書けるのか)を完璧に理解できる人は、事前に「あたかも自分が書くように」構成を立て、その通りに書き進められます。非常にスマートなやり方です。

しかしそれは、執筆中にどんな「発見」も存在しないことも同時に意味します。そんな執筆が楽しいのかどうかはわたしにはわかりませんが、そもそもとして、「自分が何を書くのかを完璧に理解できる人」が存在しうるのかも疑問があります。

実際の執筆では、自分が想定していた通りに筆が流れるとは限りません。これは絶対に入れたいフレーズだと思っていたことが、まったく居場所がない文章ができあがることも稀です。

でも、その行為は間違いではありません。何か間違いがあるとすれば、事前の自分の想定の方でしょう。

つまり、です。

「提出先が構成を決めていてそれに従わなければならないパターン」では、その構成から外れてしまうことは失敗となります。なにせ、成果物が成果物として認められないのです。これは失敗と呼んで差し支えないでしょう。

しかし、「自分が書く対象について理解していない状態で構成を作ったパターン」の場合はそうではありません。そもそも、そんな構成に従うことそのものが無理ゲーであり、うまくいかなくて当然なのです。

不幸な問題が起きるのは、この二つを重ねて捉えてしまうときです。つまり、自分が事前に作った構成通りに書けないことを、失敗だと捉えてしまう。前者の価値観で、後者の行為を捉えてしまう。こうなると、文章を書くことは非常に苦しくなります。

ぜひとも、その苦しみは解放したいところです。

■ひとまずの終わり

結局今回は、文章を書く上での苦しみについていろいろ考えることになりました。

私の考えでは、事前の構成通りに筆が完璧に進むというのはレアケースで、そこから逸脱するのがデフォルトです。

よって、執筆法について言及するなら、必ずこの問題への回答(あるいは苦肉の策)を提示する必要があると感じます。少なくとも、「最初にしっかり構成を考えましょう。あとはその通りに書きましょう」というのでは、水の上を歩く技術(※)と同じです。

では、どのような対処方があるのかというと、それこそがまさに「シェイク」なわけですが、その話は次回続けるとしましょう。

(つづく)

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倉下忠憲

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