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GTDと拡張性/共同執筆について/比較ツール論 Evernote編その3/新刊のきっかけと出版戦略について

Weekly R-style Magazine ~読む・書く・考えるの探求~2019/02/18 第436号

はじめに


はじめましての方、はじめまして。毎度おなじみの方、ありがとうございます。

去年の11月に発売となった『知的生活の設計』が、Kindleストアで半額セールになっております。

また、本の第1章部分がnoteで無料公開されています。

知的生活/知的生産の技術本としてだけでなく、ブログ本としても面白く読めるので、ご興味ある方はぜひどうぞ。

〜〜〜略称の難しさ〜〜〜

さて、新刊がいよいよ発売となるわけですが、困っているのがハッシュタグです。

Twitterのハッシュタグでは記号が使えないので、『「やること地獄」を終わらせるタスク管理「超」入門』というタイトルに二度登場する「」(かぎかっこ)が使えません。

あと、そもそも長いのでフルネームを覚えてもらえない可能性もあります。パソコンならコピペでOKですが、モバイルだとその操作は面倒です。

というわけで簡単に入力できるハッシュタグ向きの略称を考えようと思ったのですが、これが非常に難しい。

タイトルが長いので(≒文字数が多いので)、略するパターンも多数考えられますし、「地獄」というインパクトのあるキーワードを採用するかどうかでもかなり印象は変わってきます。

また、略称の作り方も、いくつかあることがわかりました。

・意味を残す(略称だけで意味が伝わる努力をする)
・音にこだわる(略称だけで何のことかがわからなくても気にしない)

たとえば、「タスク入門」とか「地獄入門」であれば、(どう伝わるのかは別にして)何かしらの意味は伝わります。しかし、「やるおわ」や「やるかん」だと、それだけではなんのことかさっぱりわかりません。ただ、音の響きがあるだけです。

で、アニメ作品の略称だと、後者のパターンが目立ちます。「だんまち」とか「よりもい」というのを見て、実際のタイトルをイメージするのは相当に難しいでしょう(前者は、『ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか』、後者は『宇宙よりも遠い場所』です)。

略称を作るなら、この二つのどちらを採用するのかも決めなければいけません。なかなかハードです。

そもそもとして、こういう略称はあまりトップダウンで決めない方がよい、という問題もあります。言葉の流通と一緒で、人が自然に使うものをそのまま採用するのがベストなはずです。

ただし、ハッシュタグが乱立してしまうと、エゴサーチで感想を追いかけるのが非常に困難になってしまうので、最低限公式的なハッシュタグを準備しておいて、それについては私はチェックしていますよ、という言い方ができればいいかなとは考えております。

もうちょっと時間があるので、その間は悩んでおきます。

〜〜〜Webのローコンテキスト〜〜〜

ローコンテキストなコミュニケーションと、ハイコンテキストなコミュニケーションというものがあります。

前者は共有している文脈が少なく、しっかり言葉を尽くして行われるコミュニケーションです。対して後者は、共有している文脈が多く、言葉をあまり使わずに行われるコミュニケーションです。

極端な例を挙げれば、「おい、お茶」とか「あれやっといて」というのがハイコンテキストなコミュニケーションです。

で、日本文化ではハイコンテキストなコミュニケーションが多い、という話をよく聞くのですが、その正否は別にして、日常生活がハイコンテキストなコミュニケーションで満たされていて、しかもそれ以外のコミュニケーションを知らない人が、いきなりローコンテキストなコミュニケーション空間に放り出されたら、それはやっぱり大変でしょう。

なにせ「日本語」という同じ言語を使ってコミュニケーションしていても、そこで行われている「ゲーム」は異なるのです。というか、異なるゲームをしているのに、同じ言語を使っているから、その齟齬に気がつかずに混乱が深まる、という方が近いでしょうか。

これは別に、ローコンテキストなコミュニケーションが、ハイコンテキストなそれよりも上位に位置している(≒日本人のコミュニケーションは幼稚)という話ではありません。状況に合わせて、アプローチを変える必要があるだよな、という話です。

〜〜〜レビューの偏り〜〜〜

品の良くない趣味だとは知りつつも、Amazonのカスタマーレビューをちょこちょこ覗いてしまいます。しかも、自分の本だけでなく、他の人の本までチェックしてしまいます。

で、そうしてチェックしているときに、極端に星5つに偏ったレビュー・グラフを見つけると、「ほんとかよ」とうさんくさい目で見てしまうわけですが、これはあまりよろしい物の見方ではないな、ということに気がつきました。

たとえばある著者の新刊が出たとします。その新刊を発売直後に買う人はどんな人でしょうか。もちろん、その著者のファンです。当然、好評価される可能性は高いでしょう。

なると、発売直後につくカスタマーレビューが好評価に偏るのは別段不自然なことではありません。その著者が多くのファンを抱えているならば、10や20くらいの好評価が集まるのもナチュラルな出来事です。

で、時間が経って、その本の知名度が上がり、ファンでない人も手に取るようになると、「この本は、合わなかったな」(not for me)な人も出てきて、評価が均されます。これもまた自然な現象です。

仮にその著者が、炎上商法で知名度を獲得しているならば、星5と星1が両方集まるU字にグラフは形成されるでしょうが、そういう手法を用いずに、自然にファンを増やしているならば、きっと(最初は)星5が極端に伸びた形になるのでしょう。

もちろん、レビューを「買っている」場合も似たような形になるので、その識別が難しいところではあるのですが。

〜〜〜その待遇では〜〜〜

先日、「バイトテロ」が話題になっていました。詳細は割愛しますが、アルバイトスタッフが不適切な画像や動画をアップロードしてしまう問題は、スマートフォンが普及して以来、周期的に発生しています。

で、その原因についての分析もいろいろあるのですが、一つ単純なことを書いておくと「その待遇で、企業に忠誠心(※)を持ってもらえるのだろうか」という疑問があります。
※おおげさに書きましたが、大切にしたい気持ち、というくらいの意味です。

コンビニは、最低賃金ギリギリで募集をかけることが多い業種ですし、低価格の外食産業も似たようなものでしょう。で、それらは「接客が得意な人を集めるため」というよりは、誰にでもできる単純作業をこなせる人をともかくシフトに入れたい、という意図がばっちり透けてみえます。

まず、これが問題です。接客が得意/好きではない人なのですから、「お客さんのためになることをしよう」(お客さんのためにならないことはしないでおこう)という思考は働きにくいでしょう。

さらに、です。

私が問題だと思うのが、多くのコンビニが最低賃金ギリギリで募集をかけていることではなく、どれだけ働いてもその境遇がほとんど変わらないことです。はじめから、「お前は一時しのぎの使い捨てである」と宣言されているようなものではありませんか。

そんな企業のために頑張ろうという気持ちが(もともと真面目な人を除いて)どれだけいるのだろうか、と考えると、やっぱり難しいのではないでしょうか。

スタッフ教育の一環として、「あなたのお給料は、お客様が買い物してくださった代金から支払われているんだよ」(≒だからきちんと接客しないとだめ)という言説がよく用いられるのですが、この言葉が正しいにせよ、そのスタッフがめちゃく頑張って売上げアップに貢献しても、時給が50円や100円あがることはほとんどありません。そんな状況で、「あなたのお給料は、うんぬん」と説かれたところで、説得力は皆無でしょう。

これは「歩合制せよ」といった話ではなく、頑張る価値のない(頑張っても報われない)職場環境を提供しているのだから、そんな環境を大切にしない人が働いていてもなんら不思議な話ではない、というごくごく自然な帰結ではないか、という話です。

さまざまな締めつけを強化すれば、「不祥事」は防げるかもしれませんが、根本的な問題は何一つ解決されないままでしょう。

〜〜〜ものはいいよう、のバレンタイン〜〜〜

たまたまバレンタインデーが妻の休みの日だったので、「何か欲しいものある?」と聞かれたときに、「晩ご飯を作って欲しい」と言いました。毎日の晩ご飯づくりは私の担当なので、たまには、というくらいの軽い気持ちで言ったのですが、コンマ2秒くらいで嫌な顔をされたので、コンマ3秒くらいで言い直しました。

「たまには君の手料理が食べたいな」

まあ、ものはいいようです。前者は「家事を変わって欲しい」と聞こえるのに、後者はとてもスイートな響きがあります。

結果、その日は晩ご飯を作ってくれました。めでたし、めでたし。

〜〜〜Q〜〜〜

さて、今週のQ(キュー)です。正解のない単なる問いかけなので、頭のウォーミングアップ代わりにでも考えてみてください。

Q. 一冊の本を買う前に、どんな情報をチェックされますか? それはここ10年で変化しましたか?

では、メルマガ本編をスタートしましょう。

今週も「考える」コンテンツをお楽しみくださいませ。

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2019/02/18 第436号の目次
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○「GTDと拡張性」#BizArt3rd
 GTDの次なる一歩について。

○「共同執筆について」 #物書きエッセイ
 二人以上で本を執筆する方法について考えます。

○「比較ツール論 Evernote編その3」 #比較ツール論
 これまでの比較を通して浮かび上がるEvernoteの使い方。

○「新刊のきっかけと出版戦略について」 #物書きエッセイ
 次の本のきっかけとそこから考えられる出版戦略について。

※質問、ツッコミ、要望、etc.お待ちしております。

○「GTDと拡張性」#BizArt3rd

前回、「GTDと未来」の中でGTDは過去のデータの利用はあまり考慮されておらず、チェックリストを使う発想もほとんどない、ということを書きました。

しかしそれは勘違いだったようです。

◇「GTDと未来」 - タスク管理のScrapbox
https://scrapbox.io/taskmanagement/%E3%80%8CGTD%E3%81%A8%E6%9C%AA%E6%9D%A5%E3%80%8D

 >>
 一点だけ、重箱の隅をつつくような指摘であれば申し訳ありませんが、GTDで「[チェックリスト]」にアレン氏が強く言及しているところが全面改訂版P.389,390にあります。
 <<

実際に確認してみたところ、最終章である15章の一番最後に以下のような記述がありました。

 >>
 このレベルでGTDに習熟してくると、チェックリストというシンプルな手法が重要な役割を果たしてくれる。
 <<

たしかにアレンはチェックリストの重要性を説いていました。まったくもって私の勘違いです。すいません。

一応言い訳めいたものを書かせていただくと、GTD本の青い二冊(『はじめてのGTD ストレスフリーの整理術』と『ひとつ上のGTD ストレスフリーの整理術 実践編』)はページがすりきれるほど読み込んだのですが、『全面改訂版 はじめてのGTD ストレスフリーの整理術』に関しては、内容の差分を確認する程度でしか読み込めておりませんでした。最後まで目を通しましたが、駆け足な読み方になっていたのでしょう。

と、こうして書いてみても、やっぱり言い訳以外の何ものでもありませんね。以後気をつけます。

それはさておき、こうして指摘を頂けるのはたいへんありがたいものです。さすがに何もかもを十全に仕上げるというのは、人間業ではありませんので、──厚かましいお願いではありますが──何かツッコミどころがあれば、どしどし送っていただけると助かります。

ということを話を枕にしておいて、今回は冒頭で引用した文を手がかりに、GTDについてもう少し考えてみます。

もう一度引用しておきます。

 >>
 このレベルでGTDに習熟してくると、チェックリストというシンプルな手法が重要な役割を果たしてくれる。
 <<

アレンはこの話を、書籍のほんとうの最後においています。「おわりに」の直前です。全体の話が一通り語られた後のちょっとした補足、という位置づけです。

で、「このレベルでGTDに習熟してくると」と前置きされているように、この話は一定レベルでGTDを身につけた後、つまり、ある程度不自由なくGTDが実践できるようになった後の話です。

言い換えれば、GTDの最初から最初からチェックリストを活用しようと述べているわけではありません。GTDの基本形には、チェックリストは含まれていない、といっても大きな間違いではないでしょう。GTDをそつなくこなせるようになった後の、いわば発展形としてのGTD。そこでは、チェックリストが活躍する場面がある、というお話です。

このことは、前回も書いた「GTDの拡張」にも通じます。

最初からチェックリストの話をしてしまうと、システム全体の話が大きくなりすぎ、また複雑性も増してしまうので、あくまでスタートラインとしては、頭の中の気になることを気になることを処理する方法を提示する。しかも、それらを「定性的」に処理する方法を伝える、というのがGTDのコアにあります。無駄に複雑性を拡げない意図が、あのシンプルなワークフローには潜んでいるのです。

もし、GTDのワークフローが、あれ以上に複雑であれば、入門者はとっつきにくさを感じてしまうでしょう。逆に言えば、あの処理が定型的・定性的であるからこそ、入門者は習熟しやすくなります。空手の型のようなものです。実践では、型以外の動きをたくさんするだろうが、練習では型をなぞることを反復練習する。そういう関係です。

もし、GTDが20個も30個もリストを提示して、「あなたの情報を完璧に整理しましょう」などと言っていたら、さすがにそれをやろうという気持ちにはならないでしょう。入門者用の簡易化がそこにはあるわけです。

この点を踏まえれば、GTDにはその次があると想定してもそれほど無理はないでしょう。アレンの最後の指摘も、その考えを補強していると捉えられます。

GTDの基礎だけでは十分に対応できないものがあり、それは各々で拡張してかなければならない。ただし、そこにどんな拡張が必要なのかは、個々人によって違う。それを見極めて追加していくのは、やはり個々人の役割となる。つまり、プラグインです。

別の言い方をすれば、GTDのコアとして提示されているのは、「たとえ誰であれ、最低限これは必要であろう」という要素である、と言えます。まさに(ボードゲームやカードゲームでよくある)基本セットと拡張セットの関係ですね。

で、その拡張部分に何があるのかはまた別途の検討が必要でしょうが、少なくともこの観点から言えるのは、GTDに不十分な部分があるからといってGTD全体を即座に棄却していいわけではない、という話です。

これは結構大切な話だと思います。

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