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新しい方法と認知的慣性の力

使うツールとか、やり慣れている方法って、それよりも良いものがあるにしても、移行するのってなかなか難しいですよね。頭というか体が慣れちゃっている感じ。物理学的に言えば、惰性……じゃなくて慣性の法則っぽい雰囲気です。

その慣性が働いている方法だとスムーズにできるんだけど、そうでない方法だとうまくいかなかったり、苦手意識が生まれちゃったりして、結果それが慣れることを遠ざけて、結局うまくいかない、みたいな悲しい疎外は結構あります。

たとえば、我が家では家事は比較的分担しているのですが、だいたい掃除機をかけるのは妻の仕事でした。なぜかと言えば、なんとなく私は掃除機のゴミパックを替えるのに苦手意識を感じていたからです。そんなに難しい作業でないことは頭ではわかっていますが、やり慣れていないので面倒そうに感じられて、それが面倒だからそもそも掃除機を使わない、という期間が長く続きました。

一方、一度意を決して掃除機のゴミパックを替えてみたら、やっぱり思っているよりも全然簡単だとわかり、それ以降はグイグイ掃除機をかけています。線を越えたら風景が変わることって結構あります。

あるいは、つい最近メルマガ作成に必要な作業を自動化しました。複数の媒体に合わせた原稿パターンを作成し、ついでにepubファイルを作って、ダウンロード用のサーバーにアップする、という一連の手順をスクリプトで代替するものです。

たぶんそれまでは、一連の手順に20分かそこらはかかっていたと思います。で、それが「make
」コマンド一発で終わるようになったのです。信じられない効率化です。

そうしたことが可能なのは知っていました。一応プログラミングの知識も、日曜大工レベルではあります。でも、自動化には手を付けていませんでした。なんだか面倒そうだからです。

おかしなものだと思います。もうメルマガ515週続けているので、私はその作業を515回やってきたことになります。20分が、515回。あんまり計算したくない合計時間が出てきそうです。

そのスクリプトを書くのには半日以上かかりましたが、そんな時間は余裕でペイできるくらいの効率化は得られるでしょう。つまり、トータルで見れば、よっぽど「面倒」なことを私は続けてきたのです。

それもこれも、そのスクリプトを書くのが「面倒だ」と感じられたことが原因です。手動でやるのは、慣れているから、手間と時間はかかるけれども、ほとんど惰性でできる。でも、スクリプトを書くには、いろいろ新しい知識を学んで、試行錯誤しなければならない。その「新しい行為」が持つコストが、とんでもなく大きく感じられたのです。

この二つの例は、私がその境界線を乗り越えたから語れていますが、今でも地下倉庫のワインセラーのように、じっくりと熟成を重ねている「面倒な作業」はたくさんあるのでしょう。境界線を越えた人間から見たら、「なぜそんなことをやっているのかわからない」と首をかしげられることを、「いや、面倒だから」という(一見不合理で、でも当人にとっては完全に合理的な)理由によって、粛々と続けるような。

もし、育てたい人の力があるとしたら、そうした慣性をエイヤっと乗り越える力なのでしょう。あんまり、乗り越えすぎても、落ち着きがなくなりそうですが。

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