第二十五回 社会におけるメディア(1)

梅棹忠夫氏の『情報の文明学』に「放送人の誕生と成長」という文章が収録されている。1961年に書かれた論文だ。

今でこそ「放送」に関わる仕事は、やや特殊ではあるものの珍しくはない。しかし、NHKがテレビ放送を始めたのが1953年。その当時では、放送に関わる仕事をする人々は、まだ十分な定義と認知を持たない人々であった。そにを梅棹は「放送人」と名前を与えた。

そして、その「放送人」が持つ特徴について検討も重ねている。

梅棹は突飛な話を持ち出す。

こうみるならば、放送人は一種の教育者である。教育者が、その高度の文化性において聖職者とよばれるならば、放送人もまた一種の聖職者である。現代ふうのよそおいと感覚をもった聖職者である。あるいはまた、放送事業というものは、聖職の産業化である、ということもできるであろう。

放送に関わる人間は現代の「聖職者」であるという。現代で、それに同意できる人が一体どのくらいいるだろうか。

聖職者というものはえらいものである。かれらがはたしている社会的効果は、はなはだとりとめのない、はっきりしないものであるにもかかわらず、あるいは、はっきりしないからこそ、社会的にたいへん尊敬をうけるのである。

梅棹は続ける。

おなじことが、モダン聖職者たる放送人にもいえるのではないか。だいたい、もし単純に会社の資本金や業績だけでくらべたら、放送会社というものは、とうてい第一級の大企業ということはできない。もともと時間というものは、一日全部を売り切ったところで二四時間しかないのだから、時間を売る会社がめちゃくちゃにおおきくなれるわけはない。それはいわば、永遠の中小企業である。それにもかかわらず、放送会社の社員たちは昂然と胸をはり、一流会社のプライドにみちている。(後略)

大変な先見性である。おそらく2000年以前であれば、バカにされていた意見だろう。なにせテレビ局と言えば、第一級の企業である。その地点からみれば梅棹の予見はまるっきり外れている。でも、2010年代の現代であればどうだろうか。

もちろん、今でもテレビ局は大きな企業だ。しかし、明らかに苦戦している。何故かと言えば、梅棹が指摘したとおり、彼らが時間を売っているからだ。その仕組みの中では絶対に限界があるのだ。しかし、テレビ局は成長してきた。なぜか。それは時間以外のものを売っていたからだ。

単純に言えば、それは広告である。少し視点を引けば、それは「消費」を(企業相手に)売っていたとも言えるし、「ライフスタイル」を売っていたとも言える。視聴率というデータがあり、広告費という巨大なお金がある。これを聖職者と呼ぶのは難しいだろう。

つまり、ある種の逸脱を経てテレビ局は大きくなってきた。それが成立したのは、競争相手がいなかったからだ。が、現代は違う。マスメディアは相対化され、思うように売ることができなくなってきている。そして、一番基本的な「時間」の売り方で、ネット相手に苦戦している。自由度ならばはるかに相手の方が強いからだ。

であっても、結局はいかに時間を売るのか、いかなる時間を売るのか、というところに話は帰ってくる。それが放送産業の根幹であるからだ。これがぐらついてしまえば、その上にはどんな建物も構築することはできない。

おそらく2000年以前までは、放送産業の本来的な役割以上にその規模が大きくなってしまったのだろう。最近の苦戦は、それがやっと見合う規模に落ち着き始めた、という風に私には見えてくる。

だからそれは悲しむべきことではない。本来的な役割を見据えた上で、それをいかに継続していくのかをしっかり考えれば済む話である。

社会と情報、それにメディアが持つ役割を考える上で、≪モダン聖職者≫という視点はたいへん有用だ。おそらくそれはインターネットに存在するアマチュアリズムによるマイクロメディアについて考えるヒントにもなるだろう。

しばらくこの連載ではそのあたりについて考えてみたい。

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