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祖父の話した昔の言葉に、おもう事。

最近すっかり、長文気味でダラダラ書いています。
大丈夫な方のみどうぞ。

小学生の頃お盆に、祖父の家に遊びに行った時に
祖父は珍しく自分の昔の話をしてくれました。

戦争に行っていた事は、うっすら聞いてはいたので
まさか本人からしっかりと聞かせてもらう事に
なるとは思ってもいなかった私でした。

祖父は、戦場で九死に一生を得る体験を経て
生き伸びてその後も家族を持った上で私が存在していました。

詳しく話を聞くと、その
九死に一生を~の出来事について話していました。
せっかく生き延びたのに
『あの時〇ねば良かった。』
と言い出したので、私はただただ唖然としていました。

何を言い出すんだろうと、子供ながらに
他の家族も数人その場に居たので、かなり
困りました。
私がその場で何を言ったかは忘れましたが、
祖父には祖父の想いがあって、その場で
言ったのだと思います。

この場面・出来事はいまだに忘れられないですね。
大人も、いや、大人だからこそあらゆる苦難を体験し
乗り越えて来たのですから。

それから数年後、祖父は肺癌になりました。
肺は生きるために呼吸する臓器です。
生きる気力はとても大事である事は、言うまでもありませんが
今朝方、とある考え方の一つを見て
祖父が病んでしまった肺に哀しさが込み上げます。
(哀しんでばかりも良くないのですが)
どちらかと言えば、そうかもしれないなぁ。
の考えに近いです。

詳しく書いたり載せると、絶対的な答えの様になるので
載せませんが。
視点を変えて考えると、見えてくるものがあると
感じた次第です。

言葉にはその人の思想・思考などが含まれているでしょうし
何も言わずに耳を傾ける事が必要だっだ様に
今となっては思うのです。
肯定も、否定もしない。

でも、想いは受け止める。

サバイバーズギルドと言う言葉もありますから
戦争に行っていたならば、尚更だと思います。

私は、残念ながらあまり祖父とちゃんと会話を
多くはして来なかったのが、何と言いますか…心残りです。

どんな人柄、趣味趣向だったか…(゜-゜)
・頑固でいつも一生懸命。
・お米作りに心血を注いでいた(本当に凄かった)
・どこにいても家族の為に動く。
・牛肉の入ったうどんが好き(かわいい)
・スパゲッティを私が食べてると、嫌そうな顔をして
『そういうの食べてるの?(と言った様なことを)』と言って来る。
・とても照れ屋さん。
・お酒と煙草がすき。
・木のソリとか作ってくれた。マメで器用(わらじ編むのも上手かったらしい)

わりと閉鎖的な考えなのかと思ったら、案外知らない内に
海外でも国内でも旅行に行ってたりして
そういう所に旅行好きの血を感じたり。
(私は脳内旅行で終わりがちですが)

晩年は、田んぼをする事に本当に注力していました。
自分の体が動く内は、と。

介護は、祖母と私の父とヘルパーさんにして貰って。
お酒が飲めただけで、父に褒めてもらえるような
状態でした。

想いって、抱えてても話す相手も場も無ければ
ずっと抱えたままですね。
noteに書く事によって、今改めて祖父の人柄や
輪郭を思い出します。
声だって忘れていません。

お盆は各所で荒れ模様が見受けられたのが残念ですが
落ち着いたら、お墓参りは出来る時にしておきたいと
思います。

では、最後までお読みくださいましてありがとうございました。
お疲れ様です( ^^) _旦~~

昨日書いたものを最後の辺り追記しました!(^^)!

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