シビビー(カラスノエンドウ)
生まれ育ったところは昔は村だったようだ。
その村の名前は学校名に残るのみで住所からは消えてしまった。
保育園から小学校、中学校とかつての村の名前が付いた学舎でメンバーが変わることなく過ごしてきた。
かつて子供だった頃、そうもう半世紀も前のことになるが、遊ぶものも少ない時代、草花は子供たちが受け継いできた伝統の(多分)遊び道具だった。
春になるとレンゲやシロツメクサを摘んで花束や首飾りを作った。
まさにみちくさをくいながら帰ったものだった。
シビビーは春先はまだ実がならない。
実を付けても中の種が膨らんでサヤから飛び出しそうになるまで待たなければいけない。
ちょうどいい具合に膨らんだ頃に中の種を取って笛にする。
切った長さによって音程が変わる様を子供心に知っていた。
いい音が出ることが確認できたら
「シビビー、シビビー、シビビービー」
とリズム良く鳴らすのがお決まりだった。
二十歳くらいの時、一緒に仕事をしていた40歳くらいの方に
「シビビー」の話をしたら
「何それ? カラスノエンドウのこと? 初めて聞いた呼び名」
と涙を流しながら大笑いされた。
知らなかった。
シビビーは全国的にシビビーじゃないの?
インターネットなどない時代。
自分が話す言葉を概ね標準語だと信じていた。
シビビーは方言?
それを確認する方法もなく、ひたすら周りの方に聞いて歩くしかなかった。
ここ愛知でも名古屋弁は使わないし、三河弁と大まかな分類はされても
やはり限定の地域しか使わない言葉はたくさんある。
シビビーはそれこそ私の生まれ育った校区でしか通じない言葉なのだ。
春になって庭にシビビーが芽を吹いてきた。
今なら調べられるとネット検索してみたら
シビビーが出てきた!
しかも地区はバラバラで、滋賀だったり、山梨だったり。
こうなると由来が気になってしまうが
そこまでの情報には辿り着けなかった。
私にはやっぱりカラスノエンドウではなくシビビーなのだ。
この響きだけで半世紀前の春の光景が蘇ってくる。
両親に守られていたころのうららかな光と風の匂い。
なんでもない日常を穏やかに思い出せる今日
父の10回目の命日でした。
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