いのちえ

長年勤めた会社を2023年3月で定年退職しました。 何気ない日々、日常のことや、今まで…

いのちえ

長年勤めた会社を2023年3月で定年退職しました。 何気ない日々、日常のことや、今までの人生のことなど 命の絵を描くように綴っていけたらと思います。

最近の記事

シビビー(カラスノエンドウ)

生まれ育ったところは昔は村だったようだ。 その村の名前は学校名に残るのみで住所からは消えてしまった。 保育園から小学校、中学校とかつての村の名前が付いた学舎でメンバーが変わることなく過ごしてきた。 かつて子供だった頃、そうもう半世紀も前のことになるが、遊ぶものも少ない時代、草花は子供たちが受け継いできた伝統の(多分)遊び道具だった。 春になるとレンゲやシロツメクサを摘んで花束や首飾りを作った。 まさにみちくさをくいながら帰ったものだった。 シビビーは春先はまだ実がならな

    • 還暦からの再就職奮闘記 その3 意外だったWワークの効果

      noteに投稿を始めて一年が経とうとしている。 定年退職後、毎日が自由時間の日々の中で、自分に課したnoteへの投稿は週一ペースで続けていた。 再就職してから投稿する間隔は開いていくばかりだが、それでも自分の日記のようで、振り返るとこの一年の自分の行動、心理状態などが思い出されて、投稿してきて良かったと思える。 さてさて再就職の厳しい現実に打ちのめされ、体重、体脂肪減らして道に迷いそうだった状態から何とか脱出できた気がする。 それは意外にもWワークを始めたから。 そう余

      • 退職した会社が気になる?②

        以前退職した会社が気になるのかという投稿をさせていただいた。 この頃は悠々自適生活満喫中で、失業保険の給付を受けながらのんびり過ごす日々だった。 あれから半年、再就職先に行き始めて4ヶ月目となるが 色々な場面で感じる違和感が 長年勤めていた会社でのルールが染み付いているためだと感じている。 タイムカード一つにしても カードをかざしての勤怠管理が当たり前になっていたため 急に一昔前に戻ったような気になってしまう。 着替えを済ませてからの打刻や 30分切り捨ての時間管理も

        • え? コロナ感染 軽症過ぎる

          あの大騒動から始まったコロナ菌の出現から早4年。 怯えながらも、だんだんコロナ前の生活に戻ってきた日常の中で、 「まだ一回も罹ったことない?」 と聞かれるくらい罹患者が珍しくなくなってきた。 それでも自分は大丈夫!なんて根拠のない自信を持っていたりしたのだが とうとう私も感染者になってしまった。 ただ今回は、新しい仕事で気力、体力を奪われている実感があり 職場の介護施設でコロナ感染者が出たので気をつけてくださいと言われた時 「今の私では免疫力弱くてまずいかも」 の予感が

        シビビー(カラスノエンドウ)

          結局 行って良かった同窓会

          あまり乗り気でなかった同窓会。 参加の返信ハガキを投函したのも期日ギリギリだった。 ところが、 開催日が近づいて来た頃 多分来ないだろうと思っていた遠方に住む友達から連絡があり じわじわと楽しみの気持ちが増えていった。 相変わらず悪戦苦闘している仕事に追われて 同窓会を待ち侘びる気持ちになれなかったのだが 当日の朝になると10年ぶりに大好きな友達に会える嬉しさが込み上げて来た。 電車が通っていないこの地域。 終点である最寄り駅まで車で30分。 その駅まで迎えに行きながら

          結局 行って良かった同窓会

          還暦からの再就職奮闘記 その2

          介護施設の厨房で働くようになって2ヶ月が過ぎた。 最初の頃より慣れて来て少しは楽しく働けていい頃なのに、日を重ねる毎に足取り重く、相変わらず心臓のバクバクはおさまることがない。 なぜ? 色々な人がいて当たり前。 経験値ゼロからの仕事なので、年下上司に叱られて当然。覚えが悪くて若い先輩に呆れられても仕方ない。 そう頭では理解出来ても心の奥底で傷ついている自分がいる。 胃腸の調子はずっと良好でなく、持病のヘルニアも悪化の一途だ。 体重、体脂肪が減少しているのは良かったとし

          還暦からの再就職奮闘記 その2

          最期の言葉を言えなかった兄の気持ちは

          先日久しぶりに、亡くなった兄の奥さんから電話があった。 兄が逝ってしまって2年。 寂しさ故に納骨も出来ず、ずっとリビングに鎮座していたお骨を ようやく納めに行って来たとの報告だった。 娘からも 「お父さんがそろそろ納骨して欲しいって言ってるよ」 と言われたそうだ。 最近占いの勉強をしているという姪は 兄の言葉が聞こえるようになったのか 聞こえるフリをして母親を気遣っているのか (おそらく後者だろう) 兄の言葉を伝えてくるらしい。 癌発覚から2年間、ずっと元気で働いていた

          最期の言葉を言えなかった兄の気持ちは

          同窓会に行く?

          同窓会の案内が届いた。 高校の同窓会だ。 以前はもっと頻繁に開催されていたと思うが 個人情報保護のため「同窓会名簿」というものがなくなり 案内も難しくなったことに加え、コロナ禍という考えもしなかった事態もおき こういう集まりはめっきり減っていた。 日常が少しずつ戻つつあることと、還暦という節目なので同窓会も開催されるようになったのだろう。 1年前に開催した中学の同窓会では幹事の一人だった。 「今どきの方法」 を駆使してLINEやメールで案内をし 取りまとめはネットの無料ツ

          同窓会に行く?

          むむ、甘くないぞ。還暦過ぎの再就職ただいま奮闘中。

          28年間事務職をしてきた私が、再就職先に選んだのは経験値ゼロの厨房の仕事です。 50代で読み漁っていた定年後の人生についての本の中に、 「本当にやりたかった仕事をやってみる。」 ということが書かれていた。 現実的には60歳を過ぎて新しいことを始めるより それまで培ってきた経験を活かした仕事をする方がいいだろう。 それなら嘱託で残る方が手っ取り早いし,収入もおそらくそれが一番良かったと思う。 それでも、事務職というものは経験値が重宝されると思えなかった。 自分なりには頑張

          むむ、甘くないぞ。還暦過ぎの再就職ただいま奮闘中。

          失業給付金支給終了です

          先月末で失業保険の給付期間が終了した。 長いと思っていた半年があっという間に過ぎていた。 長年働いて来たので、出勤しない日常が想像できなかったし 半年も家でじっとしていられるだろうかとも思っていた。 でも、振り返ってみると本当に充実した日々を過ごすことができたと思う。 退職してすぐに思い立った家のリフォームは、外壁塗装を含む全ての工事がやっと先日終了した。 私が家にいたからこそ依頼できた工事だった。 発達に心配のある孫の世話を手伝うことは想定外だったが、今後も続いて行く

          失業給付金支給終了です

          A型の取説? 輸血が必要な時だけで充分です。

          血液型の性格診断って信じますか? 血液型で人の性格を判断するのは日本人と韓国人くらいらしい。 前職でコミニュケーションスタイルの研修講師をするために勉強した時に、血液型での性格診断には何の根拠もない事を教えてもらった。 なんとなく統計のようなデータとかがあるのではと思っていたのだが。 私も若い頃は結構信じていた。 A型の私とO型の夫は相性がいい。 そう血液型のおかげだ(と思っていたが) A型だから真面目で几帳面で優柔不断なところがあるのよね。 (え?待って待って。冷静

          A型の取説? 輸血が必要な時だけで充分です。

          幼馴染と旅行に行ける幸せ

          今から10年前の話。 幼馴染4人でグアムに行っていた。 友人Aー海外旅行初めて 友人B ー海外旅行30年ぶり 友人Cー毎年数回の海外旅行に行くセレブ そして海外旅行デビューして2年目の私 勿論頼りはセレブの友人C。 手取り足取り海外旅行についてのレクチャーを受けながら 半年も前から準備を進めていた。 パスポートってどこで取るの? いくらかかる? ドルはどこで替えよう。 飛行機の中で書くものって何? まるで修学旅行前の子供である。 ひと月前くらいからはクリスマスとお正

          幼馴染と旅行に行ける幸せ

          メルカリ奮闘記

          だいぶ前にメルカリに出品をした時のことを書かせてもらった。 仕事を辞めてから好きなハンドメイドで小銭を稼ごうという魂胆があったのだが、世の中そんなに甘くなく、私の作ったものなど見向きもされない状態だった。 もうメルカリなんか嫌いだ! と縁を切るつもりが、やっぱり何かをしていないと落ち着かない貧乏性で、あれから半年近い月日をハンドメイドに費やしていた。 その間、地元のフリマに参加もしてみた。(惨敗) 友達の陶芸展に便乗して作品を展示してもらったりもした。(惨敗) 増えて

          メルカリ奮闘記

          寄席に来たかと思った大阪のお坊さんの法要

          兄の3回忌法要に行ってきた。 私は、天理教の家に生まれ育ったために、そもそも仏教に関して非常に無知である上に、同じ日本でも冠婚葬祭の風習などは、ところ変わればという面があり、地元以外では戸惑う事が多い。 兄は大学卒業後はずっと大阪で生活してきた人なので、生まれ育った家の風習ではなく、大阪の風習、大阪の家族の思うようにやってくれれば良いと葬儀の時から伝えて来た。 当たり前のことだけれど、この期に及んで親兄妹に気を使ってくれなくて全然大丈夫だ。 2年前のお通夜の時に来てくれ

          寄席に来たかと思った大阪のお坊さんの法要

          蔓延る(はびこる)とは、まさに蔦が延びることだった!

          我が家の敷地には物置がある。 家を建てたのとほぼ同時に設置したので、物置もかれこれ30歳になる。 その物置は、我が家の敷地の角に置かれているため、二軒のお隣の家の塀に隣接している。 その塀と物置の狭い隙間に蔦が生えてしまっていた。 田舎のコミニティはテレビに出て来るように密接で塀の向こうから 「あらお隣さん、今日もお元気?」 などとフネさんといささか先生の奥さんのような関係を想像されるかもしれないが 全くそんなことはなく、住人のお顔すらわからないような関係でいることも珍し

          蔓延る(はびこる)とは、まさに蔦が延びることだった!

          終戦の日を前に思うこと

          8月に書こうと思っていた記事を、「創作大賞」への参加チャレンジで前倒しにしてしまったので、5月の記事を今一度あげさせていただこうと思う。 私が生まれたのは、戦後18年経った時だった。 子供だった私にとって戦争は遠い遠い昔の話で ヒット曲だった 「戦争を知らない子供たち」 を兄と一緒に歌っていたのを思い出す。 そう、私たちは戦争を知らない子供たちなのだ。 還暦を迎えるような歳になってあらためて思うと 18年前など、「ついこの間」という感覚だった。 両親が「戦争中は、、、

          終戦の日を前に思うこと