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ビセンテ・カルデロンの楽しみ方

既にあまり記憶がない。何度も行っているのにあまり覚えていない。

最後にカルデロンに訪れた時、ソシオ向けに売られていたカルデロンの椅子が欲しくてたまらなかった。ダンボールに抱えてニコニコでオフィスを出るファンの顔は覚えているけど。。。


『カルデロンの内部~ミュージアム編』

カルデロンではスタジアム内のミュージアムとツアーが一緒になっていた?いたはず。

自分がカルデロンに行くのが夏で、暑くて暑くてゆっくり立ち止まる余裕はなく、写真も適当に撮っていたのだった。

今はメトロポリターノの博物館に移されてるけども。

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これが、あの、コルチョネロというやつですね。

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全体的に暗くて怖いのよね。

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うーん。。。。

ミナスのエンジニア特別学校のマドリードとバスクの若い学生達は、首都に最も高貴で欠点のない競争力のある新しいクラブを創るという衝動で結集し、1903年4月26日、アスレティック・クルブ・デ・マドリードが生まれた。

翻訳家じゃないので訳すのはもういいです。なんか、当初はレティーロ競技場を本拠地として使ってたらしい。レティーロ公園の近く?内部?

ちゃんとした文章は公式ホームページにあります。↓

https://www.atleticodemadrid.com/atm/nuestros-estadios-del-retiro-al-vicente-calderon

ミュージアムに戻りましょう。

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オ・ドンネル競技場?って呼ぶのかな。

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1923年5月・・・まがいにも少しスペイン社会の研究をしてる自分にはピリッと来る年代です。3か月後にクーデターが起きるからなぁ。フランコじゃないほうの彼。

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ふむふむ。

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ほう。

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なんやら、いっぱいあるわ。

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👏、👏、🐀。

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赤白、赤白、赤白、もう目が痛い。

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アラゴネスさんに思いを馳せて。

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僕の青春の一人。リアソールでの毎試合を生で見れてよかった。

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おじさーーーーーんんん。

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言わずもがな。

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レジェンド。

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ムンド、アス、マルカ。レジェスが表紙のはどこの新聞?

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ここに新たなコレクションが加わるんですね。

当時使ってたスマホに動画があるはずなんやけどなぁと思いつつ、撮ってた写真はこんなもんでした。

ここはミュージアムなのか?と思わせるほどのギュッとしたエリアにたくさんの記憶が置かれていたカルデロンのミュージアム。

ここを通るとロッカールームに行くことができるのです。


次はカルデロン内部中の内部、ミュージアムとピッチを繋ぐ、ロッカールームらへんの様子に迫ります。











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