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首と僕【SF短編小説】

 僕の彼女が車に轢かれた。

 という連絡が、僕の携帯端末に届いたとき、僕は次の企画のために出版社に居たので、すぐに彼女のところに行くことができなかった。
 今はほとんどの車両は自動運転で、交通網はコンピュータが制御している。だから“轢かれた”なんて事象は非常に稀で、なにが起こったのかすぐには理解できなかった。貨物トラックの老朽化したAIが故障して、そのせいで制御を外れた車が、たまたまその場を通行していた人間ひとりとロボットの彼女にぶつかった後、街灯に衝突して炎上したらしい。人間は重傷を負い、ロボットは胸から下が大きく破損した、ということだ。ウェブニュースを見ると、確かに該当する内容があった。

 オンラインではなくリアルで関係者と会って、生でいろんな話を聞ける貴重な機会なのに、それ以上にレアな人身事故が(いや彼女は人間じゃないけど、同じ車が人間もはねているので)起こるなんて、本当にタイミングが悪い。でも、彼女のことが気がかりで、仕事が手につきそうにない。僕は打ち合わせ中の編集者にことの顛末を伝え、非常に残念だけれど、この後のランチミーティングは延期して欲しいと告げた。編集者は驚いた様子だった。事故そのものではなく、僕の彼女がロボットだということに。
「すごいな、パートナー設定ですか?俺の親戚でもいますよ、子供が独り立ちした後、ペットロボットと暮らしてる人。人型はかなり高価ですよね。いいなーどこのメーカーのやつですか?」
「僕のはロボティクスの、五年くらい前のやつです。祖父がロボティクスの社員で、社販で割引が効くってんで、祖母が他界してからパートナーとして一体使ってたんですよね。で、祖父が死んだ時、ロボットの電源も切れちゃって。まだ契約期間が残ってるから、親族なら代替機を使えるけどどうする?ってメーカーが。それなら僕が使わせてもらおうかと」
「ラッキーですね。でも事故って、大変じゃないですか」
「有機電脳は無事みたいなので、何とか。保険も適用されるはずだし。ただ、まずは警察に行かないと」
「そうですか。じゃあランチミーティングはまた改めて。急いで打ち合わせやっちゃいましょ」
 僕と同世代のように見える彼は、椅子の上で姿勢を正した。僕らは連載の打ち合わせとスケジュールの確認をハイペースで済ませた。
 そのあと、僕は出版社の玄関でオートタクシーを捕まえた。とにかく警察に行かなきゃならない。

◇◇◇

 警察の受付で指紋認証をすると、廊下に案内灯が点滅し、交通課の方向を教えた。
 それを辿ると個別対応窓口に案内され、横一列に並んだ窓口の中のひとつに、点滅は続いている。
 そこにいた50代くらいの男性の警察官が立ち上がって僕を出迎え、向かいの椅子を指し示した。ゴツい身体つきと強面の顔。今は大げさな同情の表情を浮かべているけれど、凄めば相当怖いだろう。制服の胸に「交通課窓口ご案内係: 一郎・イゴ・高瀬」と刻まれた名札が揺れている。
谷垣たにがきさんですね。こちらへおかけ下さい……この度は、大変な事故が起きてしまって、ご心痛のところお越し頂きましてまことに恐縮です。被害を受けた方が人間ならね、まず病院に行っていただくところなんですけど、まあロボットということで、少し手順が違いまして。いや実をいうと機械の故障で起こる小さな事故は、ちょくちょく起こってるんですけどねー人身事故みたいな大きいのは久しぶりで。まったく事故というものは、どれだけ予防しようと起こってしまうものですねえ」
「はあ」
「今回の事故の概略と、この後の手続きの流れを説明させていただきますね」
 と彼は言い、事故の背景を語り始めた。3200年代に一気に普及した貨物機のAIの老朽化が進んで、この数年は事故が増加していること、普及台数が多いのでリカバリーが追いつかないこと、人が死んだことで社会問題として表面化するかもしれないこと……つまり彼女と一緒に事故に遭った人は亡くなったということだ。そして現場の写真を見せてもらいながら事故の詳細な説明を聞いた。警察に届けを出す手続きのあと、貨物トラックの持ち主である運送会社に損害賠償請求ができること、等々。

 僕は、差し出されたタブレットの電子書類に必要事項を入力した。高瀬さんはそれをチェックし、幾つか僕と質疑応答して設問を埋めると顔を上げ、にこやかに言った。
「こちらはこれで終わりですねーお疲れ様でした。この後、谷垣さんのほうにこの……加害者側の弁護士から連絡があると思います。あっ今日はもうお引き取り頂いて大丈夫ですよ」
「僕はこの後、家に帰って良いんですか?」
「そうです。保険のことは、彼女さんのメーカーからの連絡をお待ち下さい」
 何となく、有無を言わさぬ雰囲気だ。けれど、僕は言葉を続けた。
「彼女には、どこに行けば会えますか?」
 彼は驚いた表情で「えっ?いやあどうかなあ。修理にしばらくかかると思いますけど」と言った。僕は頷いてみせた。
「分かってます。ただ有機脳が無傷なら、少しだけでも話をしたいんです。彼女もショック受けてるだろうし」
「うーん……」高瀬さんは渋い顔で腕組みをし、下を向いた。
「なにか不都合なことでも?」
 高瀬さんは眉間に皺を寄せて、上目遣いに僕を見上げると、言いにくそうに口をひらいた。
「事故や事件に巻き込まれて被害を受けたロボットなんですけど……当然、怪我をしてるというか、壊れてる訳ですよ。でね、その剥き出しの機械部分を見てショック受けちゃう人も結構いるんですよね。酷い壊れかたをした場合は特に……頭ではロボットって知ってても、改めて生々しい事実を見せつけられると、みたいなね。最近のは、言われるまでロボットと分からないモノも多いですし」
「そういうもんですか?」
「まあ。それだけ家族の一員として受け入れられてる個体が多いってことでしょう。それ自体はいいことのハズですが……修理が終わってもショックが忘れられず、ロボットと上手く接する事ができなくなって手放したり、時には……虐待、なんてことも、その」
「そんな」
「なので、いま、お会いになるのはおすすめしません」
 僕は憤りを込めて大きく息をついた。
「ずいぶん理不尽な話だ。人間がロボットをヒトそっくりに作っておいて、違ったところを見せつけられるとショック受けるなんて」
 高瀬さんは苦笑いをした。
「確かに。けどよくあることですよ」
「こんな理不尽なことがよくあるんですか?」
「警察沙汰なんて理不尽な事だらけです」
「……分かりました。でも、場所を教えて貰えませんか。大丈夫、しっかり考えてから、会うかどうか決めます」
「…………」
 高瀬さんはもう一度、険しい目つきで僕を見てから、目線を手首の端末に落とし、それを指先で操作した。僕の手元のタブレットに「ロボティクス修理対応センター」の情報が表示された。僕がその情報を自分の端末に転送している様子を眺めながら、高瀬さんは目つきを和らげて、薄く微笑んだ。
「彼女さん、いたわってあげて下さいねー。人間なら即死級の重症ですから」
「ありがとう。そうします」
 僕は丁寧に礼を言った。僕がこの後すぐに、彼女の元に向かうことを、彼は見抜いているようだ。流石は警察官だ。そして彼が彼女のことを気遣ってくれたことが、純粋に嬉しかった。

 再びオートタクシーでロボティクス修理対応センターに向かう。僕は乗り込むと口頭で行き先を告げた。タクシーは滑らかに走り出し、みるみる警察のビルが遠ざかる。
 僕の座席の目の前に小さなモニターがあり「ニュース」「通話」「音楽」「動画」「検索」とメニューが表示されている。ナビシステムが「到着まで40分です」とアナウンスしてきた。
 僕は「検索」をタップし、ロボティクスのトラブル問い合わせ窓口を探し出すと、事故番号を入力した。数秒の音楽の後、通話が繋がり、AIオペレーターの声が聞こえる。
「事故番号14927-5500 本件についてのお問合せは、指紋認証をお願いします」
 僕はモニターに表示された認証マークに右手の親指を押しつけた。認証マークの色が変わった。
「幸太・メロ・谷垣さま。fim4889-99-k30480についてのお問い合わせでしょうか」
「そう」
「ステータスは修理中です。全体損傷深度67%、脳以外の損傷深度89%、有機電脳のダメージ検査中、意識レベル79%、身体自由度15%……」
 具体的な数字を聞くと、思いの外ダメージが酷そうで、僕は胸が苦しくなった。
「15%? 脳は無事だって聞いてるけど」
「首から下は物理ダメージが深刻です。予備のボディに取り替えることになりますので、お時間をいただきます」
「どんな修理をするの?」
「ボディの動作チェックの後、頭部と接続し、トータル接続動作チェック。有機脳の作動率チェックとパーソナルメモリのチェック。意識知能検査。この手順のなかで問題を発見した場合、該当箇所を割り出…」
「もういい。えーと、それ全部終わるのどれくらいかかるのかな」
「平均約5日間。個体の使用状況や脳回路の経年変化によって変動します。カスタマイズ追加は別途料金と日にちがかかる場合がございます。詳細はメンテナンス担当とご相談ください」
「わかった。ロボティクス修理対応センターに訪問のアポを取って欲しい」
「既に連絡済みです」
「そうか」
 僕はため息をつくと座席にもたれた。そういや昼食を摂る暇がなかった……疲れがどっと押し寄せて来て、急に身体が重くなる。そうだった朝が早かったんだよな。彼女は僕が出かけた後に家を出たんだろう。日用品を購入するのに、宅配だと送料がかかるし、外では沢山の情報を得ることができるから脳にもいいと彼女は言っていた。でもこれでまた、当分は宅配になりそうだ。彼女……望夢のぞむは今、どうしているんだろう。なにを考え、どう感じているんだろう……。
 窓の外をぼんやり眺める。車は全てAIに制御され、車両は等間隔を保ってスムーズに走っている。先程まで曇っていた空が少し明るくなってきた。

◇◇◇

「死人に花なんか必要ないってお爺ちゃんなら言うかもね。ほんとケチだったから」
 と言いながら母は、祖父の番号の前に備え付けてある花瓶に、持ってきた花を差し込んだ。僕は一歩下がると辺りを見回した。
 白い壁面にずらりと並んだ小さな引き出しの前に、名前と管理番号が刻まれている。引き出しの中にはひとりぶんの遺骨が収まっている。ここは公営の霊場で、約一万人分の遺骨が収容されているとどこかで聞いた。

 祖父は、葬式も死後の遺骨の管理もいちばん金のかからない方法で、と常々親戚に言っていたし、自分で公営業者の手配までしていた。金銭には比較的余裕があったはずだけど、暮らしぶりも慎ましく、主な娯楽は読書だった。それは母や叔父が幼い頃からそうだったようで、ふたりは祖父がいかにケチだったか、それで子供の頃どれほど窮屈な思いをしたか、親戚と顔を合わせる度に話していた。だから彼が社販割引とはいえ人型ロボットを購入したことは、一族の皆を驚かせた。

「本当は、私と兄さんの上にもうひとり女の子がいたんだって。けど、小さい頃に亡くなったらしいの。お爺ちゃんがロボット買う時、その女の子の写真をロボットのメーカーに持っていって、成長した姿をシミュレーションして作ったらしいの。だからお爺ちゃんの家でロボットを見るたびに微妙な気持ちになったなあ」
 そんな訳で、祖母の死後、母は実家にあまり行かなくなった。身の回りの家事はロボットがこなせるし、気をつける必要が無くなった、とも言える。僕がそのロボットを見たのは一度だけだ。親族の集まりの時、細やかに祖父を気遣っていた姿は高校生くらいに見えた。事情を知らなければ、祖父と孫娘の組み合わせにしか見えなかっただろう。
 それから数年後に祖父は亡くなり、ロボットも自分の意志で自身の主電源を切ったという。つまり自死になるのか。ロボットが自死をするとは信じられない、本当に?その話を聞いたとき、僕は初めてロボットに興味を持った。

 祖父はどんな気持ちで、早くに亡くした子供の姿を模したロボットと暮らしていたのだろうか。彼にとってそのロボットはどんな意味を持ち、何よりロボットは本当に自死したのだろうか?
 僕はそれが知りたくなった。だから彼女と暮らしてみる気になったんだ。

◇◇◇


 センターの玄関先にエアタクシーが止まったとき、僕はうたた寝をしていて、AIの呼びかけで慌てて起きると、ちょっとふらつきながらタクシーを降りた。
 敷地は広大で、工場らしき建物や、倉庫のような建物が幾つもあって、それらの隙間を縫うように、部品をたくさん積んだ運搬ロボットやフォークリフト、技術者らしき人間が、忙しそうに行き来している。頭上を小さなドローンがヒューンと高い音を立てて飛び去った。
「失礼ですが、幸太・メロ・谷垣さまでよろしいでしょうか」
 穏やかな声に振り向くと、ツナギのような細身のユニフォームを着た壮年の女性が立っている。一応、問いかけの形ではあるけれど、連絡と同時に身元照会は済んでいるだろう。女性は左手にタブレットを抱え、右手を僕の方に差し出してにっこり笑った。
「fim4889-99-k30480のメンテナンス担当の、ナギ・リク・田中と申します」
 僕の手をさっと握り、すぐに離した。動作がキビキビしている。人間だろうか、それともロボット?田中さんは「ご案内します」と僕を促すように行く手を差し示し、僕らは並んで歩き出した。

「彼女の予想が当たりましたね」
「予想?」
「幸太は絶対来るって断言してました」
「喋れるんですか?」
「倒れた時、頭部は運良く芝生の上だったようです。打ちどころも良かったんでしょう。内部の損傷はありませんでした。表面にかすり傷を少々負った程度で、それもリペア既です。ただ……他の部分は」
「聞いてます。ボディは総入れ替えになるらしいですね」
「そうです。修繕保険のお手続きが必要ですが、いまこちらでして行かれますか?ご自宅に戻ってからオンラインでなさいますか?」
「戻ってからします。まずは彼女と話がしたい」
「そうですか。では、心の準備をして下さい。かなりショッキングな見た目です」
 僕と田中さんの目が合い、僕は微笑んだ。
「大丈夫だと思います」
 数秒の間が空いた。田中さんがさりげない口調で
「望夢さんから聞きました。谷垣さんはノベライターネット小説家をされているそうですね」
「ええ、まあ」
「幸太はネタになるって喜んでるかも、と言ってましたよ」
 僕は小さく笑った。
「元気みたいですね。安心しました」
「暇だから、遺書でも考えようかな、とも」
「遺書?」
「死ぬかと思ったから、この感覚を生かしてイメージしてみようか、と……実際、人間だったら、助からなかったレベルの事故ですから」
「遺書ね、へえ。それはぜひ読んでみたい」
「なかなかユニークな子ですよね、望夢さんは。私は沢山のロボットと触れ合ってきましたけど、そう感じます」
「失礼ですが、あなたは人間ですか?」
「そうです」
 僕は思いきって尋ねてみた。
「あのう、パートナーロボットって、人間のパートナーが死ぬと自分自身の主電源を切ることがあると聞いたんですけど、本当ですか?」
 彼女は少し躊躇った、ように見えた。
「そういうことが起こることもあります」
「本当だったんだ……なぜ?どうして死ぬんですか、ロボットは」
 彼女は前を向いたまま「さあ」と答えた。
 僕は彼女の顔を覗き込むようにして「さあ?なんですか、さあって。メーカーも把握してないってことですか?」と畳み掛けた。彼女は立ち止まり、僕も止まった。

 彼女は静かな目で僕を見て
「逆にお聞きしたいのですが。ひとって死にたい気持ちになることがありますよね。谷垣さんは、そう思ったことがおありですか?」
 僕は瞬きした。「まあ……誰でも一度はあるんじゃないですかね」
「なぜだと思いますか?」
「え?」
「どうしてひとは、死にたいと思うんでしょうか?」
「理由は人それぞれでしょう」
「つまり、本人にしかわからない。そういうことですよね?」
「そう、だと思います」
「ですから……」彼女は横を向くと、またゆっくり歩き出した。「そういうことです。有機電脳は、初期段階である程度、感情分岐のポイントが設定されています。シナプスが成長すると見込まれる道筋にマイルストーンを置くようなイメージで。しかし、成長と進化は個々の脳によって違います。時間が経てばたつほど、電脳は進化します。時と共に脳が作りだす思考と人格は、我々にも予想ができないのです。なので……質問の答えは“さあ、本人にしかわからない”ということになります」
「…………」

 僕は驚きのあまり少々呆然としながら、彼女の後を追った。僕が思うよりずっと、有機電脳というのは、ヒトの脳に近いのかもしれない。
 望夢と話していると、彼女がロボットだということを忘れている自分に気がつく。それは僕が彼女の存在や話しぶりに慣れたんだろうと思い込んでいたけど、望夢の方が僕に合わせて変化、いや進化したのかもしれない……人間みたいに。僕らは望夢が居る工場の入り口に着くまでの間、黙って歩いた。

 到着した工場は、陸上競技場並みにだだっ広くて、天井から伸びた無数のロボットアームと、たくさんの技術者やロボットが忙しそうに作業をしていた。
 幅3メートルほどの台が整然と並んでいて、それぞれの上には修理中のロボットと部品が載っている。全てのロボットは天井から下がったケーブルに繋がっていて、他にもケーブルが何本か、ロボットの状態をモニターする機器に繋がっている。構内はさまざまな物音が反響して混じり合い、控えめな喧騒が広い空間を埋めている。
 通路は狭く、ぎりぎり大人ふたりがすれ違える幅しかない。そのせいだろうか、飛行ドローンがそれぞれの台に物を届けているようだ。ドローンはケーブルやアームを器用に避けながら、構内の空間を飛び交っている。

 緑色の床の上にオレンジに塗られた通路があり、僕は田中さんに従ってその上を歩いた。その先にある台の番号が床に記載されている。
 ふいに田中さんは立ち止まると振り返り、僕をちらりと見て「こちらです」と呟いた。左に曲がって台を5つ過ぎたとき、6つ目の台に“彼女”が見えた。ドキンと鼓動が鳴るのを感じる。

 何かの機械の上に、望夢の首が載っている。首だけが。

 僕は立ち止まると深呼吸した。落ち着け、脳は、記憶は問題ないはずだろ、僕のことは分かるはず、大丈夫だ。
 台には他に、新しいボディが横たわっており、それは鎖骨のあたりから足先まで、半透明の薄いビニールで隙間なくパッキングされて、首とは繋がっていない。
 首の望夢は視線を巡らせて僕に気がつくと、固い笑みを浮かべて口を開いた。
「マスター」

 僕はおうむ返しに「……マスター?」と言い、振り返ると田中さんに「喋り方、デフォルトに戻ってません?本当に大丈夫なんですか?」と訊いてみた。田中さんは肩をすくめた。
「なーんてねっ、びっくりした?」
 明るい声に望夢を見ると、彼女はいつもの笑顔で笑っている。
「幸太、絶対来るって思ってた。関係者以外立ち入り禁止の工場内を取材できるチャンスだもんねえ」
 僕は大いにホッとして、その場にしゃがみ込みそうになったけど、意識して足に力を込めた。望夢の首の正面に立つと、にやにや笑って見せる。
「なあんだ、びっくりさせんなよ。思いっきりいつもの望夢じゃん」
「ふふ、この姿に、幸太がショック受けるんじゃないかって、田中さんすごく心配してくれたんだけど。私は絶対面白がるだろうなって思ってて。ねー幸太、私、家に帰りたいなあ」
「いや無理でしょ。首だけだと不便じゃん、ボディくっつけとこうよ」
「だーって、このボディのチェックだけで、あと30時間くらいかかるって。私、その間、何もできないんだよ。暇すぎてホントどうしよー手も足も出ないよ、首だけに」
 絶妙な言い回しに、僕は吹き出した。
「ふっはは、ちょ、誰がうまいこと言えと」
「やったー受けた受けた」

 田中さんの控えめな声が、僕らの間に割って入った。
「楽しそうなところ、ごめんなさい。確認したいんだけど」彼女は望夢に向かって優しく問いかけた。「家に帰りたいの?」
 望夢はハッとしたように顔を引き締めた。
「帰りたい……一日だけでも。私、いま、幸太と話したい。必要なんだって思う」
 田中さんは僕に顔を向け、望夢は視線のみ、こちらに向けた。田中さんは僅かに首を傾げて僕に尋ねた。
「いかがなさいますか?もし帰るなら、明後日の朝に、またここまで彼女を連れて来てもらうことになりますが」
「いいんですか!?じゃあ連れて帰ります。明後日の朝、またここに来ればいいんですね、分かりました」
 帰れると聞いて、急に居ても立っても居られなくなった。僕はなにを焦っているんだろう?自分の心の動きに内心、驚く。田中さんは、そんな僕を見て嬉しそうに頷いた。

 そうと決まれば善は急げと、田中さんは手首の端末で、何人かと話をし、望夢の首を持ち帰るための算段をした。首の下部、内部が剥き出しになっている部分を、異物混入防止用の特殊な蝋で塞ぎ、小さな携帯エネルギーパックをチューブで繋ぐと、頭部を入れて持ち運ぶためのケースを見繕った。
「これが大きさ的にはぴったりですね」
 と、田中さんが持ってきたのは、ペットロボット用のキャリーケースだった。容器の上に持ち手が付いた手提げタイプで、入り口のところがドアになっていて開閉する。透明なドアは、スイッチで不透明にして、中身を隠すこともできる。
 頭部が傷つくことがないように緩衝材を敷いて、望夢の首をケースに収め、出来上がったものを眺めて僕はまた吹き出した。何というか……ものすごく絵面がシュールだ。小型犬用のキャリーケースの入り口から女の子の首が見えるなんて。あまりに僕が笑うので、望夢は憮然として「笑いすぎ!」とふくれっ面をした。

◇◇◇

 田中さんに見送られ、望夢の首と一緒にエアタクシーに乗り込むと、気が抜けたのか、僕の腹が盛大に鳴った。僕がナビシステムに「翠が浜すいがはま」と言ったので、望夢が「どうして?」と聞いてきた。そこは自宅の最寄り駅からリニアラインで3駅分、離れている場所だからだ。僕は膝にキャリーケースを乗せて、彼女に向き合った。
「だってもう腹が減りすぎて限界。あそこのキッチンカーのバーガー食いたい」
「……そういえば、買い物の後で事故にあったから、食材が無駄になっちゃったんだよね。あーあ、幸太が好きな唐揚げカレー作るつもりだったのになあ」
「ボディくっついたら作ってよ。頭が無事で良かったじゃない」
 望夢はしかめ面をした。
「いつもの買い物だけじゃないんよ。特設コーナーのマンベルのトリュフコーンパック、いつもすぐ売り切れるやつ。やっと買えたのにい」
「トリュフコーン?なんに使うのそれ」
「コーンクリームグラタントリュフ風味。新しいレシピをダウンロードしたから、試してみるつもりだったんだもん、残念」
「そうか、しばらく望夢の料理が食べられないのか……」
「ごめんね」
「望夢が謝ることじゃないよ」
 僕はケースの入り口を開けると手を差し入れて、彼女の髪をそっと撫でた。
「酷い目にあったよな。治ったらどっか行こうよ、一泊旅行とかさ。しばらく行ってないじゃん」
 望夢は嬉しそうに「二年三ヶ月と五日、四時間と三十七分ぶりだね」と言った。膝の上で喋る望夢はなんともシュールな眺めだけど、こうして手を触れていると、ちょっと小動物感覚というか、このまま抱き抱えて頬ずりしたくなってくる。
 僕たちは状況の奇妙さに見合わない、ごく普通の会話をした。目的地が近づいてきた。


 翠が浜は広い公園で、敷地内に大きなショッピングモールや運動施設があって、週末には人で賑わう。空はいつの間にか晴れ渡り、穏やかな日差しが降り注いで、微風が心地よい。
 僕は広場の入り口に数台停まっているキッチンカーの中から、お目当てのバーガーセットをテイクアウトすると、片手にキャリーケース、もう片手に食べ物の包み、背中にリュックサックといういでたちで、ドッグランの横を抜けて、カーブを描く白い階段を登り、街路樹と芝生の中を伸びる遊歩道を辿った。植え込みには小さな花がたくさん咲いている。
 のどかな平日の午後に、人の姿はさほど多くない。ロボット犬と散歩をしている人、音楽を聴きながら端末を見ている人、ランニングしている人。みんな穏やかな顔をしている。色の薄い空はどこまでも広くて、あと一時間もすれば夕暮れの気配が混じるだろう。

 ゆるい勾配を登って行くと海が見えてくる。

 横に長いベンチが風景に溶け込むように設置されていて、僕はその片隅に腰を下ろすと、右隣にキャリーケースを置き、入り口のドアを開けて海の方に向けた。
「海だあ」
 望夢の声。僕は包みを解いてバーガーを一気に頬張り、お茶をすすって飲み込むと、思わず大きなため息を漏らした。
「美味しい?」
 という声に、僕は彼女を覗き込んで「うまい」と答えた。望夢と目が合った瞬間に、僕は思い出した。
「望夢、遺書考えたんだって?聞かせてくれない?」
 彼女は決まり悪そうな顔をした。
「ロボットが遺書なんておかしくないかな?」
「おかしくない。てゆうか、聞くのは僕だけなんだから別にいいじゃん」
「……私の妄想だし、無駄に長いし、退屈だとおもう」
「妄想大歓迎。ノベライター舐めんなよ」
 望夢は笑った。「じゃあまずは、設定から聞いて」
「設定?」
「一人称は人間の男の子なの。十歳くらいの」
「望夢の遺書じゃないの?」
「私の遺書なんだけど、お話でもあって、男の子になりきって想像したの」
「へえ」状況からフィクションということか。「その男の子は人間なの?」
「うーん、人間が半分で、ロボットが半分」
「 ? ……」
 よくわからない。けどまあ、聞いてみよう。

 僕は顔を海に向けて、またひとくち頬張った。辺りには誰もいない。望夢のよく通る声が響きわたる。

「君がこの手紙を読んでいるということは……


……僕はもう遠くにいるでしょう。原っぱの真ん中の道をずーっとずーっと果てまで歩くと、どこに着くか知りたかったのです。道に果てはあるのかな。道が途切れても地面は続く、じゃあ地面の果ては?きっと海に着くでしょう。海をずーっと行くと、海の果てってどんなかな。

 僕は、じゃあ行ってみようと思いました。僕はまだ歳が若いから、これから大きくなって死ぬまでは、たぶん、長い時間がかかるから、きっと世界の本当の果てにたどり着けると思いました。歩ける間はずっと歩いて、ご飯も食べながら歩いて、寝る時だけ地面に寝て、また歩く。海についたら水中サイクリングで進みます。人がひとり入れる丸くて透明なアクリルケースに入って自転車をこぐんです、深いところは少し浮かんで進みます。空気がなくなると、上に浮かび上がって補充します。ご飯は……どうしよう、その時は僕はロボットに切り替えて、食べなくてもエネルギーがあれば進めることにする。うん、僕はその時だけロボットになって、どんどん進みます」

 望夢は言葉を切った。僕はバーガーを食べ終わってずっと気分が良くなり「遺書じゃなかった?」と問いかけた。彼女は「遺書だよ」と答えて、また口を開いた。

「……進んでいる間に僕はいろんな動物と出会って話したり、疲れてちょっと休んだり、夜になって進めなくなると寝たりして、その間もずっと思い出しています。主に君との生活について。だってこうして旅に出る前は、僕は君との暮らしが生活の全てだったから。君と家で暮らして、学校に行って、友達と話したり、授業を受けたり、教室の窓から空を眺めたこととか。

 空には雲が浮かんでいて、遠くまですごく青くて、この青のなかを上に登ると、僕の体も青くなって、見えなくなるのかもしれない。透明な僕はどんどん登っていって、空を漂います。
 僕は下を見下ろして、沢山の人やロボットや動物が動くのを見ます。君が寂しいと言った言葉を思い出して、あのとき僕は、君は家の外に出ればすぐ誰かに、または何かに会えるのに、なんでそんなことを言うのか意味が分からないと思った。だって寂しいはひとりだから起こるんだよね?
 でも飛んでいる僕に、誰も気がつかない。最初のうちは楽しいんだけど、こんなに沢山の人がいるのに、みんなには僕が見えないから、僕はいないのと同じなのかな。なら君に見つけてほしいと思った。僕が溶けて消えたら君は僕を探すのかな、見つからなかったら怒るかな、泣くのかな、しょうがないってすぐ忘れちゃうかも。そう思うと苦しくなった。
 きっとそういう感じが寂しいってことなんじゃないのかな。透明になるのが寂しいってことなんじゃないか……」

 僕はベンチの背にもたれた。正面の海を眺めながら、望夢の声に耳を傾ける。

「空に漂いながら君のことを思い出して、それがちょっとずつ、だんだん辛くなって、我慢できなくなって、空から降りてきて教室で座っている体に戻って、席を立つと君のそばまで行きます。君が笑って、僕は安心する。
 君は僕に『どうして泣いてるの』と言い僕は『寂しいになって、それから苦しいになったから』と答えて、君の手を握る。潰さないようにそっと。
 君を壊すくらいなら、僕が壊れた方が百倍もマシだから。怖いな、だって君はいつか壊れてしまう日が来るからね。僕は君より長く動けるけど、君がいない世界で動いてもしょうがないよね……」

 僕はいつしかまどろみ、夢うつつの中で彼女の声を聞いている。
 彼女の声が紡ぐイメージは僕の頭の中で映像に変わり、望夢の顔をした男の子が、翠が浜の遊歩道を歩いている姿になって、生き生きと動いている。

「……世界の果てまでズンズン行って、進んで進んで進み続けたはずなのに、見覚えのある景色が見えてきて、僕は気がつきました。元の場所に戻ってることに。

 家が見えて来たので僕は走って中に入りました。君が、いつもの椅子に座って『おかえり』と言ってくれて僕は分かったのです。世界の果てはここだったんだって。僕は『ただいま』と言った。どんなに遠くに行っても大丈夫なんだ、だって君がいるところが世界の果てだから。

 君に聞いてほしいんだ。もし僕が君より先にいなくなったら、それは空になってるってことだから、透明で見えないかもしれないけど、ぜったいにそこにいるから空を見てくれよ。そうすれば僕は寂しいじゃなくなる。大丈夫、どこに行っても僕は君のとこに戻る仕組みだからね。
 そしたら『おかえり』って言って笑ってほしい。僕も安心してこう言うからさ。
『ただいま、幸太、ただいま』」

(完)




ネムキリスペクト。今回のテーマは……

君がこの手紙を読んでいるということは

でしたっ!

今回の物語を発想するキッカケはこちらの武川蔓緒さんの小説でした↓
こちら「例の仕掛け」で書かれています。
傑作だと思いました。やっぱり「元になる」文章が良いと……仕掛け部分も良くなるんですねえ。栄養ってだいじ。
蔓緒さん「生首を励ます話(?)」書きましたよ〜ありがとうございました💕


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