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あなたに紙の祝福あれ #パルプアドベントカレンダー2022

 紙は死んだ。
俺は、残った紙の遺骸を日々、必死に掻き集めている。

 今いる光に満ちた水晶の伽藍は、薄暗がりに住まう紙魚じみた自分には少々ぎらつきが過ぎるが、先方のご指定なのだから致し方ない。どこもかしこも水晶体で埋まったこの伽藍の堂はいかにもレトロなRPGのワンシーンだが、これはファンタジーの神殿ではなくペーパーレス技術の化身だ。

 きらきらと反射を返す水晶らは、最新の技術で作られた量子記憶媒体。つまり、ストレージ室がここの本質といえる。ここには人類が出版した書籍の記憶が収集出来うる限り葬られているが、使用容量は記憶している限り0.0000000001%もまだ使用出来ていないはずだった。再度の人口爆発でも起きない限りは、容量を使い切る前に人類種の存続限界が先に訪れるだろう。斜陽の今となっては、望み薄だ。

「三枝さん、ようこそいらしてくださいました」
「どうも」

 そんな、崇高な部屋の中心に居る存在に声を掛けられた。他でもない、彼女こそが俺を呼んだ張本人である。

 彼女の虹色にきらめく髪は、華のように咲きほこり、放射状に伸びて大小種々の水晶群に結びついている。整った容貌はさながら幻想でもそうそうに対面出来ない天使のそれだ。以下にも神秘的な存在めいて、その実彼女もそうではない。普遍図書館における汎司書インターフェースターミナル、それが少女の実態だった。愛称を、栞という。

「入館まで、ずいぶんと苦労させられたんだが」
「それはごめんなさい。でも、内緒話をするのに一番良い場所は、私にとってはここだから」

 少しいたずらっぽく微笑む彼女は、そうと知らなければ100人中98人程度は簡単に篭絡させられるだろう。実際、彼女には作り物と知ってなお過激なファンクラブまで存在し、俺にも何度か殺害予告が届いたことがある。三度目以降はブタ箱からだったので、こりていないらしいが。

「仕方がない。司書なる女神様の神託とあっては、しがない作家であっても召喚に応じない選択肢はない。それで?」
「今の私に、一冊分の欠落があります」

 彼女の返答に、押し黙る。なんということだ。

「……冗談だろう?」
「ふふ、数時間にわたる入館手続きをしていただいて、それが冗談を伝えるためでしたら……私は貴方に嫌われてしまいませんか?」
「嫌いはしないが、まあ怒りはする」
「でしょう」

 彼女は相変わらず陽光のようにそこにたたずんでいる。しかし、俺の居心地は、悪かった。

「不正アクセスは?」
「今日まで外部ネットワークの段階で遮断されています。有資格者のアクセスにおいても不審な操作はありません」
「ではハッキングによるデータベース改ざんではないと」
「はい」

 ダメ元で聞いてみたが、やはり違う。そうであれば一介の木っ端作家に過ぎない自分ではなく、技術者のほうが優先されるはずだ。ネットワークを介したハッキングでは、ない。

「それに気づいたのは、昨晩俺に連絡を出した直前か」
「その通りです」
「なぜ欠落していると?」
「私、正確にはデータベースですが、割り振られたIDに一つだけリレーションもデータ自体も空白になっている箇所が存在します。通常、献本の時系列順に一意のIDが割り振られるため、私の仕様上は生じ得ない現象ですね。実際のところ、初めての体験ですから」
「君には、削除機能がそもそも存在しないものな」

 栞には一度献本された蔵書を削除する機能そのものがない。これは、軽率な焚書、表現弾圧などを予防することを目的とした仕様で、先程語ったあまりにも過剰な記憶容量もそれを可能にするがためである。文字通り、彼女は創作物における守護天使といってもいいだろう。それは言い換えれば、どんな箸にも棒にもかからない作品だろうが、偏りに偏った思想書だろうが、あるいはそもそも文章として意味の通じない奇書だろうが、彼女に託せば遺してはもらえるということだ。もっとも、後世での評価までは当然保証されない。

「君自身にわからず、技術者にわからない問題を打ち明ける。それもこの年の瀬にとは、中々良いユーモアだ」
「でも、助けてくれるでしょう?」
「それは、まあ」

 彼女がいなければ、俺に限らず書を必要とする人間は、おのおので個人図書館を私費で建てることになるだろう。それがデジタルアーカイブだとしても、とても個人で賄える金額と手間ではない。なにより、かけがえのない友人の頼みでもある。担当の橘には一週間ほど、締め切りを伸ばしてもらうしかない。

「ありがとうございます」
「まてまて、まだやるとは……いや、わかった、わかったよ。やるとも」

 俺の返答に、栞は作り物に収まらない笑顔を見せる。彼女が人工物ではあっても、人間にとって価千金には違いない。

ーーーーー

「本日は面会に応じていただき、ありがとうございます」
「なに、ちょうど抱えていた仕事が書き上がったところでね。作家のよしみでもある、かけたまえ」

 訪れた書斎は、さながら書の墳墓、といった具合だ。当然光は分厚いカーテンに遮られ、入れ替えられてなお、籠もった古紙の紙が体内に染み渡る。先日の輝かしいペーパーレスの要塞に比べたらあまりにも居心地が良い、場所。そうじて、部屋の中央にあつらえられた樫の机に陣取る白髪交じりの老作家・こうぞ氏を映した影といえる。詰め込まれた書は、未だデジタルアーカイブ化されていない稀覯本も少なくない。

「君とは、そう、去年のパーティで顔合わせした以来だったね。その時も通り一遍の挨拶をした程度だったはずだが、今日は一体どのような用向きでこんな老いぼれに会いにきたんだい?」
「用件は、これです」

 この時の楮氏の顔は、おおよそ平凡な自分の語彙では言い表せないほどの、いや、より正確にはどのような言葉を組み立てたところでこぼれ落ちてしまうほど、入り組んだ表情だった。別れた恋人との十年来の再会でも、これほどの感情はにじみはすまい。

「……ふう、そんな物を持ってくるなんて、君はずいぶんと物好きのようだ」
「貸し出していただいた方には遠くおよびません。世界に残っているうちの三割ほどは彼が持っていると過言ではないでしょう。この、あなたの初めての作品は」

 自分が差し出したのは、年月の経過を感じさせない保存状態の、文庫本だ。ただしバーコードも、出版コードも、出版社名も入っていない。

「若気のいたり、だよ。商業作品ではない」
「それが、今回の動機、ですね?」
「……かなわんなぁ。君の作品を読んだ時は、ここまで鋭いとはついぞ思わなかったのだが」
「自分は愚鈍な男です。それに、バカバカしい話の方が書くのも読んでもらうのも好きでして」
「いや、全くだ。必ずしも賢しい話を書く義務は作家にはない。降参だ」
「先に『面白いアイデアだ、君、作家ならそれで一本書いてみたまえよ』と言っていただけたら最高でした」
「はっは、さすがにそんな古ぼけた言い回しを摺るほど老いぼれてはおらんよ。それで、君は何処まで把握しているんだい?」
「今回の事件を実現した手法と実行時間、使用した道具といったところですかね」
「参った、実に参った、それは君、要するにすべてという事じゃないか」

 そこまで言って、楮氏はなんとも言い難い、冬枯れと称すべき笑顔を見せた。穏やかな、しかし諦観のないまぜになった冬晴れの日の。

「栞の、いえ、普遍図書館における蔵書データベースには、削除機能そのものがありません。つまり、基本的には一度献本されてしまうと著作者の意思にかかわらず、末永く保存されてしまう。今回の事件では、膨大なライブラリの中からたった一冊、あなたの処女作だけが消えていた。つまり、この時点であなたが実行者であると推定できました」
「それだけなら、私のアンチでないとも限らないのでは?」
「いえ。その場合はあなたの著作すべてか、少なく見積もってヒット作が攻撃対象になるでしょう。仮に一作だけしか消せないのなら、長編小説の中間の一冊、中盤の転換点を引き抜くだけでこの上ない攻撃になる。ほとんど知られていない、自費出版の処女作を対象にするのはまあ、攻撃として効率が悪い」

 サー・アーサー・コナン・ドイルですら、シャーロック・ホームズシリーズ以外は知られてすらいない、と付け加える。

「動機はもう、言うまでもないでしょう。作家は必ずしも自分の著作すべてを愛する訳では無い。世に出した直後は傑作だと信じ、月日が流れるにつれて凡作であると盲信しはじめ、しまいには始末したい駄作であると憎悪さえする。それが永遠不変のライブラリに収まっているとあれば、なんとかして抹殺したいと思う気持ちは、自分にもわかります」
「君も私も、同じ人の子というわけだ。もっとも、世の中には著作すべてが傑作だと確信する怪物もいるが」
「私にも一人いますよ、作家仲間に。まあ、彼のあり方なのでとやかくは言いません」

 作品にどう向き合うかは、作家それぞれ個人の信条だろう。そちら側になれる気はついぞしないにしても。

「だが、普遍図書館のライブラリは文字通り天文学的に膨大だ。一冊くらい消えても、エラーということもありうる。あるいはそもそも最初から献本されておらず、元々データベースには存在しないかもしれない。そこはどうかね?」
「彼女が記憶違いを起こす確率よりは、我々が見当違いの一人遊びをする方が高いでしょう。そして現実では起きた事象がすべてです。つまり、彼女のライブラリを空白にする手段は、あった」
「うむ、聞こう」

 楮氏はここにいたって、動揺も悲嘆もしていなかった。大地震にこゆるぎもしない、出来のいい本棚めいて。俺が読み上げた十冊のタイトルを、あたかも子守唄のように聞き流す。

「全く関連性のない十冊のようだが、どういう意図だい」
「関連性なんてありません、一度に借り出されて、返却されたというだけです。表面的には」

 俺の言葉に、楮氏は悠久に続くかと思えるほど深い溜息をついた。

「この十冊は、この半年で普遍図書館に献本され、収められた作品です。蔵書になかった物もあれば、版数違いで収められた物もある。これらはすべて精巧な写本でした。人間には区別がつかないレベルの」
「写本であることが問題かね?」
「いいえ、ご存知の通りオリジナルがなければ写本でも献本は通ります。問題はそこではなく、人間にはわからず機械にだけ読み取れるノイズデータがのっていたところでしょう。これらのノイズは、一冊だけでは無害ですが、特定の順番でデータベースから読み出させることでデータベースへの命令を実現出来る、というわけです。恐らく、まだ世の中には知られていない彼女の脆弱性の一つだった」
「証拠は、などというありきたりは返しはよそう。どうせ押さえているのだろう?」
「ええ、使用された写本のうち、実物を全て手元においてノイズデータを抽出しています」

 これらの現存物理書籍の入手は、俺の得意とするところだ。実際、普遍図書館の蔵書の中には万単位で俺が貢献しているのだから。楮氏との初対面の時にもっと話す時間があれば、あるいはもう少し彼に警戒させたかもしれない。

「私は、実に、実に運がない。残る君の過失があるとすれば、わざわざ私のところに面会したところ、でもなさそうだ」
「残念ながら欠落したあなたの作品は、すでに補填済みです。ここで自分を殺しても、先生の肩書が殺人犯になるだけですね。でも、俺は刑事でもなければ探偵でもない。先生と同じ作家です」

 そう言って、俺は一枚のペラ紙を楮氏へ差し出した。ペーパーレス化が完成したこの時代の、数少ない聖遺物。

「これは……」
「普遍図書館の、閲覧規制申請書です。ライブラリから削除することは出来ませんが、著作者の申請に限り、解除するまで一般者の閲覧は不可となります。期限は無期限」
「つまり、彼女が覚えているが、後世の人々が知ることはない、と」
「そういうことです。トラブルが発生すれば別でしょうが、その頃には先生も自分もとっくに灰になってるでしょう」
「うむ……うむ」

 僅かな逡巡の後、彼は申請書を受け取った。

「感謝しよう。答えにたどりついたのが君で良かった。ありがとう」
「こちらはお恨みしますよ。なにせ担当には締め切りを三週間伸ばさせる羽目になった上、自作のネタにも出来ないんですから」
「ハッハッハ、なら、今度埋め合わせは約束するよ」
「その時は、秘蔵のコレクションをお貸しいただければ。それでは」

 カーテンの隙間から差し込むわずかな夕日を背に、俺は楮氏に背を向ける。

「あなたに紙の祝福あれ」

ーーーーー

「高くついた。橘の奴の顔といったら、泣きと怒りを諦めでステアしたカクテルそのものだ」
「でも、許してくださったのでしょう?」
「君がらみと教えたら、諦め一色でな」

 冬晴れの空の下、俺は栞に事の顛末を周囲には計り知れぬよう厳重にオブラートに包んで伝えた。解決しているとはいえ、軽率に他者に悟らせる内容でもない。ちなみに時間と場所を指定したのはまたもや彼女のほうで、しとやかなようで中々に小悪魔なのがこの司書マシーンである。彼女の髪は冬の陽光を受けてきらびやかに輝いている。

「では、橘さんにもお礼しなくてはいけませんね」
「いい、いい。次回作は締め切り一ヶ月前倒しで納得させた。割を食ったのは俺なのだから、俺にお礼していただきたいもんだ」
「それは何よりです、お礼、一冊しか用意できませんでしたから」

 そういって彼女が差し出した本を、丁重に受け取る。タイトルは、『エヴァー・レター・エヴァー』。奥付を見ると、第十三版とある。

「私のお小遣いで作ってもらった、複製品です。探していらっしゃったので」
「ありがたく、もらっておこう」

 この時代、紙の本はたとえ写本でも安くはない。が、希少でもない。しかし、贈り物としてもらうことは、ある種の奇跡だ。

「良かったです。メリー・クリスマス、三枝さん」
「メリー・クリスマス、そして良いお年を」
「今年はもう来ていただけないんです?」
「読者を待たせてるからな」
「それは、いたしかたありませんね」
「書き上げたら、またくる」

 眼の前のエスプレッソを一息に飲み干し、書の天使に別れを告げた。家では、締切の悪魔が俺を待っている。

【終わり】

本作はパルプアドベントカレンダーの参加作品です。

現在は以下の作品を連載中!

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