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あなたに幸せになってほしい。

noteを書く理由は人それぞれ、共通しているのは「発信したい」「伝えたい」「共感してほしい」といった、「認知されたい」欲求によるものだと思っている。

だから、数多いるユーザーの中で私という人間を形容するには、「何を知ってほしいのか」を言葉にすることが重要だろう。

私の手に、全世界、全宇宙に聞こえる拡声器が握られていると思って、大袈裟に緊張しながら言おう。

人を愛してくれ。

それが最後に残った。

この言葉を私の見ているものと同じ角度で解釈し、頷く人がどれだけいるだろう。

これから話す話は、ピンとこない人には全くといっていいほどこない話。
そういう人はもう、この記事を閉じてもらって構わない。
私とあなたの波長が合わなかっただけなので。


私の哲学では、人が幸せになるためには愛が必要だ

あなたを愛している。
ちゃんと私が見ているから。
いつでも帰ってきていいよ。
おかえり。
頑張ったね。
つらかったね。
さみしかったね。

そう言って、ただ抱きしめる。

損得感情でも、打算でもない。
あなたに何かをしてもらいたいのではない。

何かをもたらしたかではなく、
あなたがあなただから、そうする。


それが愛だと思っている。

それなのに、自分を愛して、隣人を愛さない。
他人に関心がない。恋人、夫婦、親子でさえも。

愛されないので、意固地になる。

ゴミ袋を劈くカラスのように、他人の関心を奪い合い、
針鼠のように、内側に入ろうとする他人を棘で貫く。

愛情を愛情と認識できない。
そうやって生きていく人たちを見て、悲しい。

愛を与えられた人でないと、人を愛することはできないのだろうか。

親が愛されなければ、子を愛することはできないのだろうか。
その親の、親は?どこまで遡る?

人を幸せにするのがどうしてこんなに難しい?


私は、家族に、夫に、友人に恵まれて生きてきた。

愛を知る人間として、夫を、隣人を愛していく責任があると思っている。
私は全知全能の神ではないので、自分の手の届く範囲の人に愛を与えよう。幸せにしよう。

冒頭に戻ろう。

私は、世の中にあふれるカラスや針鼠を見つけるたび、心を痛めている。
けれど、私は慈善活動家ではない。

私にできることには限りがある。

ただ、名前も知らないあなたに幸せになってほしいと思う人間が、
ここに一人いるということを知ってほしかった。


ここまで読んでくれたあなたは、愛したい人はいますか?


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