自己愛ばかりが肥大して自己肯定感が抉れている死

この記事では、私の抱えてきた醜い感情をデトックスとして洗いざらい吐いてしまおうと思う。

自分がポンコツだった理由はまあ家庭環境が理由。




相互でいつも関わらせていただいている山田唄さんが、今日物凄い記事をポストされていた。


ああー。山田さんは物事の客観的分析を、文に落として分かりやすく伝えるのが本当に上手い。
そして私は、いま心を蝕んでいるものの正体に気づいた。


自己愛が育ちまくっている

私はプライドが高いくせに自己肯定感がすこぶる低い。


いままでは、己のセンスとどでかいナルシシズムで補強されて、ある意味自分の絵が大好きだったし、人に求めてもらえると何処かで信じて疑わなかった。
けれど、いざ人目に幾ら届けようと発信した所で見て貰えない事が続いた。
そして強い思い込みとナルシシズムは壊れた。


私は、誰かに「いいね、それで大丈夫」とGOサインを出してもらわなければ安心できないタイプだ。
純粋に楽しそうなことは自らどんどん飛び込んでいくけれど、
己の価値を数字なり周囲の反応なりで直視させられる場面
は他人に
これ、おかしくない?大丈夫?」と確認しないととても出かけられないし、人目に晒せない。


小さい頃からの記憶が私を縛っている。



幼少からの記憶を辿っていく

私は周囲の一般的な人と足並みを揃えて生きることがまるで無かった。

保育園から不登校で遅刻し、友達グループからは取り残され、名前を覚えて貰えない。

小学生では、朝の登校班の集合時間に昼夜逆転で間に合わず、いつも遅れて昼過ぎに母と車で登校。
クラスでは保育園と同様に友達グループに入れず、酷い時は自分の机が「物置」にされていた。絵の具で机は汚れ、酷く自己が傷付いたのを覚えている。


施設に入ってから、子供会だったか、他の施設の子たちの集まるキャンプのようなものに参加した。
そこで5年生ぐらいの先輩に、自分の名前を馬鹿にされた。
「変な名前」って。

私は今でこそ自分の名前を美しいと思っている。でもそれは生きてくる途中で「綺麗な名前だね」と幾度も褒められたからで、それが無かったら自分の名前なぞ何とも思わなかっただろう。


施設の小学校でも、同学年の気の強い女の子から煙たがられた。
よく仲間はずれというか、「○○はそっち行けば〜?」という風に、気に入らない子を自分たちの行かない方へ誘導する言葉をよく使われた。

聞こえている場所でよく悪口も言われた。今なら直に殴りに行くけれど、当時は人の肩をたたくことすら困難でそれもしなかった。

おまけに、その頃は壊れた家庭と引きこもりのおかげで客観性がまるで無く、ボサボサの頭、おかしなコーディネートの服、人前で頭を掻きむしりフケを落とす遊びをする、等の頭のおかしい子供。
言動がとんちんかんだから、よく馬鹿にされた。

そんなこんなで、どんどん自己憐憫の感情で膨れ続けて行った。


自分は「憐れまれて、周囲から遅れを取り、大切に扱われない存在」という価値観になっていった。
そしてそこからの逃避先として、既に小学生の頃から絵を描いていた。

みんな、なぜそんなに弾けるように笑って楽しそうに生きているのか分からなかった。
いつも眉間に皺が寄り、低学年にして眉間皺を深く刻んでいた。


ああ、書いていて辛くなってきた。
どうしてみんなは楽しそうなのに、自分はあんなに……こんなに、苦しいんだ?


いつも疎外感があった。自分が焦って周囲に追いつこうとする事が当たり前で、周囲もそれを求めた。
そして弱音を吐くと「甘えるんじゃない」「もっと頑張りなさい、ダラけるな」と怒られた。
ふつうに出来ないのは自分の努力が足りないせいで、学校に行きたくないと泣き叫んで訴えても担当職員は「じゃあ施設かラ出ていきなさい」と厳しく当たった。
基本的には優しいしいい場所だったんだけどね。

施設から卒業離園して、母は亡くなっていたので父のいるアパートに戻った。
そこでもアルバイトに行くのがとてつもない恐怖で、バイトに行きたくないと零すと
「お前は赤ちゃんか。ここに転がり込んで大学を辞めた挙句、更に何もせずお父さんの生活の足を引っ張るのか。ほかに何も出来ないんだからお金くらい稼げ」
みたいに言われた気がする。

元々は優しい人なんだと思う。
私が外から見ると「ダラケているように見える」子で、さらに自分のことを伝える力が無かったからそういう言葉が出てしまったんだろうと思う。


そこから幾らか経ったあと、知り合いのつてで果物の梱包を手伝う機会があった。
そこでも客観性がまるで育ってなくて、影でチーフに「あの子、オドオドしてて見ててイライラする。なんなの。臭いし。」と陰口を言われた。
それを親友があろう事か私に教えてきた。親友はそのチーフに怒っていた。
なんでそんなこと教えるかなと思ったけど、「チーフが怒ったのは私の身だしなみと言動が悪いからで、チーフは当たり前のことを言ってて私が悪いんだよ」と窘めたことを覚えている。

もっとも、それがわかっていても、それをどう直すかが分からないのでオドオドしていたし臭かったのだと思う。(鬱でお風呂に入れず、体臭が強めなので本当にチーフはキツかっただろうなと思う)


なんか、まじで辛くてウケる

なんか、どこに行っても、いつも怒られたな。
褒められたことと言えば、絵と、習字と、俳句と、採用されたポスターの得、それから詩だった。
近年では、歌も褒められて歌うとザワついたりするようにはなったな。
賞を取ったり、県の冊子に載ったり、施設長に施設長室に呼ばれてめちゃめちゃ褒められたりした。
お祭りでつくる看板や商品も分かりやすく褒めてもらった気がする。



でもさ。
私自身は馬鹿にされる存在なんだろ。そういう「才能」っていう付加価値が、他人からわかる価値がないと、駄目なんだよね。
私が幾ら「私は頑張りました!」って言ったところで、周囲にとっては真逆で渋い顔をされるんだよね。
だってそれらが無かったらただの駄目な子だもんね。


はあ〜………………泣きそうだ。


じゃあどうすればいいんだろうね

どうすればいいかわからない。
どうすれば自分を愛してやれるのかわからない。
自分はいつも阻害されている。いつもみんなと共に笑い合うことが出来ない。
いつも笑われる、馬鹿にされる。いつも遅れを取っている。いつも劣っている。いつも醜い。いつも頭がおかしい。いつも誰かを不快にさせる。いつもいつもいつもいつも。

だからもっと頑張らなくてはいけない。ありのままでは愛して貰えない。
頑張ったねって言ってもらうために、私は他者から認めて貰わなくてはいけなかったんだ。

私は、いつだって頑張ってたよ。
きっと、誰よりも。



……………………自殺してもいいよね?さすがにこれだけメンタルキツい環境だったら。
まあ失敗したからいま生きてるけどね。

この呪い解きたいねえ〜。解けるかねえ〜。あ〜思い出したら死にたくなってきた。
そういえば10代の時に最も口にした言葉は「死にたい」だったなあ〜、毎日心の中なり小声なりで言ってたので。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?