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ロックダウンを生き延びるコツは「ただ感情を放出すること」。人・モノ・金・情報よりも大事なこと。

駐在員の友達ができた。彼女は私と同い年で、私と同じく東大卒、学科までも同じだ。
ホーチミンの一等地にある家賃3,000ドルの高級レジデンスに、会社の全額補助で住んでいる。
専用の社用車がついており、会社までの約1キロの通勤や、プライベートの外出も含めて面倒を見てもらえる。

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かたや私は、家賃300ドルの家に住み、毎日の足としてバイクタクシーを使っている。
「家賃が十倍違うね! 同い年で同じ大学卒なのにここまで違うの面白いね! 童話みたいだね! 『アリとキリギリス』かな! 『王子と乞食』かな!」
とよくネタにしている。

彼女は歩行中に足を捻挫し(ベトナムの路上には罠みたいな穴や段差がよくある)、日系のクリニックに行き、一万円の湿布をもらった(保険適用なので自費負担は無し)。
私はバイクタクシーに乗っている時に運転手の信号無視によりコケたことがあるが、運がついているので自然治癒した(私の保険は安いので、病院に行くと一回25,00円の自費負担がある!)。

ちなみに、多くの駐在員は、バイクに乗ることを禁止されている。理由は、ホーチミンの道路事情は日本に比べて格段に悪く、「バイクは危険」とみなされるからだ。

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さて、ホーチミンでは、7月から本格的なロックダウンが始まった。
公共交通機関が止まり、必需品以外の店が営業停止し、レストランも出前も使えない。
生活に必須の職業(電気ガス水道、病院……)以外の人は出勤も禁止。
教師の私はオンライン授業に、商社の彼女も在宅ワークとなった。

ロックダウン中はずっと家にいるため、家の充実度によって生活の質がかなり左右される。
彼女は、考えられる限りホーチミンで最高クラスの住環境に身を置いており、他の人に比べロックダウンの痛手が少ないように感じる。

公共交通機関が止まり、多くの人が自分のバイクや徒歩で買い出しに行かなければならない中で、彼女は相変わらず社用車が使える。
全てのレストランが営業中止なのだが、彼女のレジデンスはホテル併設のため、毎日の朝食も提供される。ルームサービスも取れる。
毎日の洗濯、清掃サービスも続いている(コロナを理由に打ち止めになるマンションも多いのに)。
多くの一人暮らしの日本人が、誰にも会わず、自宅とスーパーの往復だけの生活を続ける中、彼女は、同じレジデンスに住む同僚にも会える。

しかし、彼女はロックダウンが結構こたえていたようだ。
結局、会社の意向もあり、先月、日本に帰国してしまった。

彼女とは別に、ホーチミンでできた女友達がいる。日本語が話せるベトナム人、tuyếtだ(ベトナム語で「雪」という意味なので、みんなに「ユキ」と呼ばれている)。
ユキは頭がよく、好奇心旺盛で、そして何より底抜けに明るい。

ユキはカフェをオープンさせた矢先にコロナで休業命令が出てしまった上に、コロナにかかってしまった。
ベトナムでは、無症状の陽性者は隔離施設に連れて行かれ、厳しい管理下に置かれる。
ユキが連行されたのは休校中の幼稚園の教室。
ベッドも無いし、冷房もない。医者もいない。
写真を送ってもらったところ、仕切りも無いところで10人ぐらいがごろごろしている、避難所のような‬場所だった。‪‬‬‬‬‬

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私は彼女を心配するメッセージを送ったのだが、返事は

‪「今、友達みんなにオンラインゲームのLinkを送ったから一緒に遊びましょう。あと、マッチングアプリでいい男見つけました」‬‬‬‬‬‬‬‬

‪あまりの気楽さに拍子抜けしてしまった。‬‬‬‬‬

ロックダウンはホーチミンに住む者に平等に訪れているはずなのに、受け止め方は全くちがう。
かたや仕事は安定し、安全で良質で健康な生活が保証されている。
かたや仕事を失い、病気にかかった上に、知らない人と一緒に隔離されてまずい飯を食らっている。
しかし、なんで後者のほうが元気なのか??

「お金で買えないものがある」。「お金より人とのつながりが大事」。
それも確かにそうだし、あてはまる人もいるだろう。
しかし、この二人を見て私が思ったのは、「感情を外に出すことの上手さ」だ。

ユキは、思ったことをすぐ口に出す。
ロックダウン中も、「遊びたい」「人に会いたい」としょっちゅう言っている。
実際のところは、陰性判定が出て隔離施設から解放されたあとも、3週間の自宅隔離が続くので、絶対に人に会えない。
分かっているのだが、ずっと言っている。
そして、それを言うことで割と満足しているフシがある。

対して駐在員の彼女は、ギリギリまで一人で耐える。
7月の後半、ふと彼女から「オンライン飲みをしないか」と連絡が来て、ZOOMで話した。初めは他愛ない話をしていたのだが、だんだん、彼女がかなり精神的にまいっていることが、分かってきた。
聞けば、同じレジデンスにいる同僚とも特に話していないという。同僚と仕事上の電話をしたついでに雑談することもあるが、それ以外ではほとんど他者との会話がないらしい。

ZOOMの終わり際、彼女がポロッとこう言った。

「今日渋澤さんと話せて私は救われたと思う」

私はとても驚いた。

私と彼女は特別仲が良いというわけでもなく、数ヶ月に一度、何人かで会うぐらいの仲だった。
ホーチミンで私以上に仲が良い人がいなかったのだろうか。もっと早く身近な同僚などに弱音を吐いてもよかったのに、それもできなかったのか。
何より、「救われた」と言うほどに困っていたのに、それもギリギリまで隠していたのか。
ZOOMに誘う時の文面でも、ZOOMを始めてしばらくの様子でも、そこまでしんどそうには見えなかった。
見栄を張っていたのか、あるいは彼女自身が自分の辛さに気付いていなかったのか。

もし彼女がユキみたいだったら、ここまで溜める前、大して辛くない時点で「辛い、辛い」と周りに言いふらし、ガス抜きできていただろう。

ホーチミンに住む別な友達から、良い話を聞いた。
ホーチミンのロックダウンが始まった頃、アムステルダムに住む知人が、こうメッセージしてきたらしい。
「辛いことがあればなんでもいいから連絡しろ。それがコビドから逃れる術だ」
知人は去年、アムステルダムで厳しいロックダウンを経ていた。

実際のところは、アムステルダムとホーチミンは遠く離れており、会えるわけでも、物資を送れるわけでもない。
それでも、とりあえず、なんでもいいから連絡する。
内容は無くても良い。とりあえず連絡すればいい。
それにより、解決はせずとも、解消するものがある。

外国に住む私達は弱者だ。
金銭的には、現地の平均的な年収を上回る人が大半だが、言葉も不自由だし、頼れる人脈も少ない。
この世に生まれ落ちたばかりの赤ちゃんみたいな状態だ。

自分は赤ちゃんだと自覚するのは、恥ずかしいことではない。だって、ただの事実なのだから。
赤ちゃんが何の意味もなくただ言葉にならない不満をぶつけて泣き叫ぶように、私達だって、して良い。
ユキのように私に言ってもいいし、私のように紙に書いてもいい。
実際に泣き叫んでもいい。

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私が住んでいるタワーマンション群では、ロックダウンになってから、子供の叫び声がよく聞こえるようになった。
夜になると、どこかしらの誰かの叫びが、16本あるマンション中の壁に反響する。
すると、またどこからか別の子供が叫んで、小さなコールアンドレスポンスが起こる。

イタリアのロックダウンみたいに、ベランダで歌を楽器のセッションが始まるという粋なことは起こらない。でも、それでいい。ただ感情を放出すればいい。

見栄もプライドもない、我慢もしない子どもたちが教えてくれている。
そして、それを「迷惑だから」とか言って止めたりせずに許している、ベトナムの大人たちも大好きだ。


というか、もしかしたら、大人も一緒に叫んでるのかも。




渋澤怜(@RayShibusawa

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