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僕が芸術家と名乗る理由

Twitterのプロフィールのところに、僕は自分のことを「歌人(ゲーム短歌を発案)・書道家、総合すると芸術家。」と書いています。

それはいわゆる自称ではあるんだけれど、そもそも芸術家を名乗る線引きがあるわけでもないし、名称独占資格(医師とか弁護士みたいな)というわけでもない。
本人が芸術家だと思ってそれ相応の活動をしていれば、それはもう立派な芸術家なのだ。

人によってはおこがましいと思う人もいるだろうけど、

「おこがましい」とは、「出しゃばったまねをする・身の程知らずなことをする・差し出がましい・分不相応で生意気だ」などの意味で用いられる表現である。

実用日本語表現辞典より

僕が芸術家を名乗るのにはそれなりの理由がある

僕の伯父は芸術の才能があって、独特で味のある書をしたためて人に配ったりしていたのだけど、その出来栄えを褒められて発表の機会やミニ個展のよう話があると、すぐに謙遜して断ってばかりだった。
そして何も発表せぬまま伯父は年老いてしまい、今では80代で思考も硬直化し、マイナポイントの申請をするのも面倒だ、と言っている有様なのです。

才能を腐らせて“ただの頑固なおじいさん”になってしまった伯父を見るにつけ、僕は絶対にそうはならないぞと心に決めたのです。

なので、自分に芸術の才能があると思えば僕は芸術家なのだし、TwitterやSNSで知り合った方々には芸術家として認知して頂ければ、これ以上なく幸せなのです(リアル社会で業務上の繋がりとか全くない皆様なので言えるワガママです)。


僕は幼少期から風変わりなところがあって、朝から晩まで百科事典を読んでいたりしたので、両親が病院に連れて行ったらしいのです(今思えば失礼な話だけど…)。

その時のことを親は今でも詳しくは話さないのだけれど、言葉の端々というパズルピースをかき集めて絵にしてみると、どうやら「知覚性OE」「想像性OE」と関係しているらしい
OEとは過度激動(刺激増幅受容性)のことである。

知覚性OEとは…

知覚性OE:「神経質」という言葉で表される性質で、増長した知覚意識を持ち、まぶしい光、大きい音、匂い、触感など感覚器官に与えられた刺激に過剰に反応する。靴下の縫い目や服のラベルが気持ち悪かったり、隣室の時計の時を刻む音が気になって集中できない、などの例がある。鋭い感性は、幼少の頃から絶景に息を呑み、名曲に涙を流すといった美的感覚にも通ずる。

Wikipediaより

想像性OEとは…

想像性OE:隠喩などの詩的表現に優れる。「注意力散漫」と見られ、「おとぎの国の住人」と揶揄されるほどの強い想像力をもつ。白昼夢を楽しみ、前夜見た夢にも過剰に反応する。いわゆる英語圏で言うところの、"think out of the box"(枠にとらわれない独創的な考え方)あるいは"think different"ができる能力として賞賛される資質である。

Wikipediaより

上記の2つは大体当てはまっていて、神経質と注意力散漫は同居しないと思うのだけど、程度の軽重であり矛盾はしないらしい。この辺りが幼少期はより尖っていたらしく、かなり手のかかる子どもだったようだ。
実際、生活上面倒なことが多くて境遇を悲しんだりしたこともあったけれど、年齢を重ねるに従って不快な部分が減り、才能や資質が伸びてきたと思う。

短歌、書、スプラトゥーンの広場イラストなどのデジタルアートなどは、これまでの僕の人生では全く縁のなかったことだけど、一気に自分のものに出来たと思うし、続けていける自信もある。

やっとこの年齢にして、自分が何者であるかがわかってきたかな、という感じだ。
そう思うにつけ、現在の僕を取り巻く環境(マイクラ仲間、スプラトゥーン仲間、短歌仲間、書の仲間)が素晴らしく欠けがえのないものだと痛感する。

芸術を仕事にして収入を得ることが究極の目標だけど、そこまで行かなくても自分の才能を理解してくれる人たちに囲まれて生きて行ければ本望です。


ってこんな文章、誰が読んでくれるんだろう(笑)

まあ、いっか!

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