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身を焦がすような恋が 陽だまりの友情に変わる頃

電車に乗って、大切な友人がわたしの町に遊びに来てくれた。
前回わたし達の地元近くで遊んだとき、「次は小樽に行くね」と言ってくれたその約束を果たしてくれた。
昔から、絶対に適当なことを言わない子だった。嘘をつかず、真面目で、賢くて、しっかりと物事を考えてから言葉を口に出す子だった。
わたし達が出会った高校時代から10年経った今も、その誠実さはずっと変わらない。

自分が乗る電車の時間を、わたしに間違えて伝えてしまった彼女。待ち合わせ場所の駅で顔を合わせた途端、謝罪の言葉が挨拶がわりとなった。

頭がいいのに時々詰めが甘くて、しっかり者なのにどこか抜けている。
そんな可愛らしい魅力に溢れた彼女が、高校生のわたしの心をどうしようもなく惹き付けて離してくれなかった。

そう、わたしは出会った当時、彼女に恋をしていたのだ。

それまでは、周りの女友達と同じように男の子を好きになり、バレンタインに手作りチョコをあげたりもし、恋バナできゃっきゃと盛り上がっていたから、突如芽生えた彼女への気持ちにはずいぶん戸惑った。

何か勘違いをしているんじゃないか、ただ友情の気持ちが大きすぎるだけなんじゃないか、と、恋心を否定するための色んな可能性を考えてはみたけれど、どれも苦しい言い訳にしかならないとすぐに気付かされた。

彼女が別の友達と嬉しそうに話しているだけでモヤモヤし、わたしを一番に好いてほしいとワガママな独占欲を抱き、彼女に親しく愛称で呼ばれるだけで心が踊ったあの想いは、今冷静に振り返ってみても、やっぱり紛れもなく恋だったと思う。

わたしの気持ちが彼女にバレていたかは分からない。賢くてよく気が付く子だったから、馬鹿正直で隠し事が下手なわたしの秘めたる恋心なんて簡単に見破られていたかもしれない。

わたしは結局高校卒業まで気持ちを伝えずじまいだったし、これからも当時の恋心を明かすつもりはない。

きっと、彼女の方から訊いてくるなどしない限り、わたし達の間でこの片想いが話題に上ることはないだろう。

片思いって、誰かと共有できれば楽しい部分もあるけれど、それができなかったわたしには、苦しいことの方がはるかに多かった。

彼女のことは大好きだったけれど、同時に、彼女に嫌われることへの恐怖がいつも付きまとっていた。少しでも長く一緒にいたいのに、下手なことを言って嫌われたらどうしようと思うと神経がすり減り、心が疲れてしんどいこともしょっちゅうだった。

彼女への苦しい恋心に比べれば、過去の「○○くんかっこいい! 好き! 一緒にデートしたい!」なんていうふわふわした気持ちなんて、軽くてすぐに飛んでいってしまう風船みたいなものだった。本当は今まで一度も恋なんかしていなかったのかもしれない、と、高校生のわたしは愕然とした。

今でも憶えているのは、彼女と二人、教室でお昼を食べていた休み時間。
どんな会話の流れだったかは忘れてしまったが、彼女が不意にわたしの目を真っ直ぐ見て言ってくれた、「○○(わたしの愛称)のことが一番大好きだよ」という言葉。
それを言われたとき、わたしはまだ10代まっただ中の幼い小娘ながら、「あ、わたし、今日死んでもいいかも」なんて大層なことを思ったものだ。

後から思い出して誰かに大げさに語ったのではなく、彼女の言葉を聞いた次の瞬間、真っ先にそう思ったのだ。
生きてきておよそ17年、そんなことを思ったのは初めてだった。
だからまさか忘れるはずもない。その直後思いきり緩んでしまった頬と、熱くなった顔をなんとか誤魔化すため下を向いたこともよく憶えている。
彼女は記憶にないかもしれない。
でも、ただの友達と呼ぶにはあまりにも情が深すぎるわたしの反応に彼女が何かを感じ取ってしまっていたなら、今も憶えられているかもしれない。

それは分からない。もう今さら掘り返すのも恥ずかしいから、分からないままでいい。

今のわたしは、彼女に嫌われることに恐怖したりしない。彼女から別の友達の話を聞いても嫉妬したりしない。彼女といる時間に苦しさを感じなくなった今、わたしは彼女を友人として大切に思っている。

カフェでランチを食べているとき、彼女が石のついたブレスレットを身に付けているのを見つける。わたしが誕生日プレゼントとして贈ったブレスレットだ。会うときは必ず付けてくれているので、嬉しくなってまたそれを指摘すると(毎回いちいち指摘しているから、そろそろ「もう言わなくていいのに」と思われているかもしれない)、彼女は「一番のお気に入りだから」と笑って答えてくれる。

彼女は今も、わたしを惹き付けるのが上手い。
何を言えばわたしが喜ぶのかよく知っている。10年も知り合っていれば当然のことなのかもしれないが、「嬉しい」「好き」「お気に入り」なんていう言葉を、照れもせず素直に伝えてくれるのだ。

彼女の後に別の恋もしたけれど、涙にくれるような失恋だとか、ある出来事がきっかけで突然気持ちが冷めるとか、そんなふうにして彼女との関係が終わってしまわなかったことを、本当に良かったと思う。

もう彼女を想って感情の激しい波に翻弄されることはなくなった代わりに、あの昼休みに味わったような、天にも登る幸せを感じることもなくなったけれど、
今のわたし達は、冷めることも燃え上がることもない、平和であたたかな陽だまりの中にいる。

お互いに近況を報告し合って、仕事の愚痴を聞き合って、たわいもないことを喋りながらお散歩し、美味しいものを食べて「美味しいね」と言い合う。

ただそれだけで楽しいと思えるこの陽だまりを、これからもまた10年、その先の10年も、どうかずっと守り続けていられますように。

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