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優しくありたい

優しい人でいたいといつも思っている。でもそれは、とても難しい。

わたしは自分を優しいと思いたいけれど、多分そんなに優しい人間ではない。

「優しいフリ」をすることは簡単だ。でも、本当に誰かのことを思って、自分じゃなく誰かのために優しくできるかと言われると、あまり自信が無い。なぜならわたしは自分が一番大事だからだ。

「優しくしよう」と思うとき、そこには「相手のことが好き」、あるいは「相手に良く思われたい」という感情が必ずある。

無条件に、ただ相手のことを思って優しくできるなら最高だけれど、誰にでも等しく優しくするのはわたしにとって難しい。

自分が好ましく思っている相手に優しくするように、みんなに優しくすることができたら、世界はもっと素晴らしくなるのだろう。

でも、それがなかなかできないからこそ人間なのだとも思う。一人一人個性があるから、人によって「合う」「合わない」がある。「合わない」人に無理に優しくしようとすると、心が疲れてしまい、自分自身がすり減らされるような気もする。

優しい人でありたいけれど、八方美人でありたいとは思わない。誰に対しても穏やかに、波風立てずというのは、時に「自分自身の意見が無い」ということにもなってしまう。

自分の意見はしっかり持っていたい。間違っていると思うことはそう主張したいし、周りに流されて穏やかにやり過ごしているだけではいたくない。でも、できれば争いごとは避けたいし、優しい人だと思われたい。

欲張りだなあ、と自分でも思う。きっと、こうやって望むことが少なくなれば、あるがままを「それでもいいや」と認められれば、もっと楽に生きられるのだろう。それはわかっているけれど、どうしても望むことをやめられずにいる。

何かを望むなら、何かを諦めなければいけない。望むばかりでは上手くいかないし、思い通りにいかないことが増えて苦しくなってしまう。

今は、誰かに認めてもらいたくて「優しい人でいたい」と思って頑張ってしまうけれど、そうではなく、「優しくなくてもいいや」と思えるようになりたい。そんなふうに軽やかに捉えて自分自身を許せたら、心にも余裕が生まれて、自分のことだけじゃなくて周りのことを考えられる時間も増えて、結果的に「優しい人」になれると思うから。

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