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黒いバナナと、スピリチュアルババア



ここんところよく耳にする「スピリチュアル」という分野について思うことがある。そもそもあの、「氣」と言う文字を見たら一歩後ろに引いてしまうのがアンニュイな大人達なんだろうと。
「スピリチュアルなのは苦手で〜」とか、「そういうのは分からない」という人が多くてならないのはきっと、「分からない」のではなく「ピンとこない」の間違いなんじゃないかとも思うんだ。生きていれば確かに体験しているはずなんだと私は薄々。それは信じるとか信じないとかじゃなくて、知っているか知らないかの話でもあるんじゃないか。例えばあの「バナナの皮」みたいなもんだ。

あの「バナナの皮」って放っておくと段々とポツポツ黒くなっていくことあるじゃないですか。あの「黒いポツポツ」。アレが全体に広がっていく。すると本当は絶妙に甘いんですよね。アレって正式名称は「シュガースポット」っていうらしいんですけど、なんか見た目は本当に腐っていくみたいで気持ち悪いっすよね〜。
みたいなくらい体験しているはずなんだ。

「氣」に関しては、「黒いバナナ」みたいな上手い例え話がないだけに皆んなただの恐怖で終わり「胡散臭いわ〜」つって煙たがる始末なのだろう。先入観とかって本能だから仕方ないのかな。私だって「シュガースポット」を知らなかったら多分、黒いバナナは食べないしな。「蟹味噌」とかを初めて食べた人もえらいチャレンジャーよな。それにちょっと種類は違うけど私は「おばけ」を見えたことがないしさ。「おばけ」のことを誰かに教わるまでは存在に気がつきもしなかったから。そうやって知らんこととか、毛嫌いしてることはあるにしても。「氣」に関して言うと食わず嫌いなままで生きてしまったら勿体無い気がするんだよ。

というのも、私はつい最近になってこの「氣」というやつを理解して扱うようになり、心なしかまた一つ生きやすくなったのだ。「黒いバナナ」が絶妙に甘いと知った時のように、人生が甘くなったとでも言おうか。そこでたった今、お節介をしているわけだ。スピリチュアルババアだと思われないように必死なのだけどね。というわけで今日は言語両断。「シュガースポット」ならぬパワースポットであろう「氣」についてちょいとかましてみる。ちなみにこれを読んだ後には、世間でスピってる人間に対して優しくなれたり、「へぇ〜、そんなもんか」みたいなところで知らないことにだっていつでも歩み寄れるようになるからさ。きっと損はないでしょう。

まずはその。
皆さんの周りには、大体いつも猫背で俯いていて不健康で、いつ会っても大抵目が死んでいるような、優しいんだけど声が小さくて鬱っぽくて、たぶんだけど生理前には決まってヒステリーな友人はいますか?自分がそうかもって人はさておき。

その方を思い浮かべ、
Aさんとしましょうか。

反対に。いつでもよく笑っていて話がウケる、時間にルーズでよくご飯を食べるし、悩んでいるのにネタに見えて、どちらかといえば髪の毛がふさふさの笑顔がハジける友人はいますか?なんか知らんけど会うと元気がもらえるあの子を、Bちゃんとしましょう。

Aさんと、Bちゃん。
ブスか美人か、おっぱいがデカいかどうかはさておき。あなたはどちらの友人とハグをしたら元気が出そうですか?はたまた、どちらと一緒に住んだら元気になれそうですか?どちらが良い「氣」を持っていそうですか?

なんて。
この答えを皆さんはなんとなく知っているんですよね。なんとなくそんな「気がする」っていう、それですね。とか言ってもまだピンとこないあなたの為には、しょうもない例え話をもう一つ。

たとえばここに
「殺人を犯したことがある前科者が50人乗っている満員電車」と、
「今日、誕生日を祝ってもらう人が50人乗っている満員電車」が
あるとします。

想像して欲しいんですよ。みなさんは何も知らずに電車に乗りますが、もしも殺人鬼の車両に乗ってしまったら、なんかヤバそうな気が分かりそうじゃないですか?たとえぼーっとスマホをいじっていて、まんまと殺人鬼の車両に乗ってしまっても。私だったら速攻怖くなって降りると思うんですよ。なんかやばい「気がする」って。マジでまずい「気がする」って震えちゃうかも。




と、ここらでもうお気づきでしょうか?
「氣」の正体はもっぱら「気」なんですよね。「気」だったら皆んなめっちゃスペシャリストじゃない?

気が進まない、気を抜く、気が晴れる、気が詰まる、気力がない、気が弱い、気が合う、気丈に振る舞う、気遣い、気楽、勇気、元気、邪気、殺気。なんて。「気」の概念は超身近にあって。

「氣なんてのは、胡散臭い。」なんて言うけど私から言わせりゃ「気」のことだからな。毎日使ってるじゃん、何シラけたこといっとんねん。なんならバナナの「シュガースポット」よりもフル活用してる毎日だと思うっすよ。と。まぁまぁ熱くなるレベルなのだ。おそらく「怪しそう」とかの先入観や、「人からどうみられるか」「スピリチュアルババアだ」って思われるところで「氣」なんて言うのはだいぶ見下されてるのでしょうけど、本当のところは優先順位がもっぱら上なんじゃないかって私は思うんですね。

ただ最後に言っておきたいんだけど。なんで私がここまで熱くなるかって。初めに前述した通り最近では、そうした「氣」とか「気」とかいういわゆる「直感」みたいなものをうやむやにして生きることがアンニュイみたいなところがあるからだ。そうして「アンニュイな私」なんつって、格好つけている間にいろんなことを見逃したりして辛そうなんだ。人目を気にして我慢したり、無理に痛みに蓋をしたり、間違えた媚びを売ったり、自分とはあってないっていう違和感を無視したり、変なところでどうでもいい奴に気を遣ってしまって。自分が苦しんだまま、直観はどこかに置いてきたままみたいな見せかけだけの人間が、うじゃうじゃいてみんな、すごい辛そうだなって。

それをみていて私はやっぱり。「先入観」って割と損するんじゃないかってところを感じたんだ。「氣」に関して言えば、どこで誰にどのくらい大切に使おうか。自分のためにも大切に使えるように「氣」と仲良くしてほしい。

ということで、あなたはどうかな。これを読んだあとは少し。「本当に大切なものは目に見えないものなんだ」ってそんな気がしませんか。これから「先入観」に対して、見方を変えてみたり。スピって見るのもアリな気がしてくれたら嬉しいです

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