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石垣島での夜

 生き物たちが待つ、石垣島での夜。

 初めて石垣島を訪れたのは学生の頃。初めて潜るサンゴの海は、冷たくなったり暖かくなったりする不思議な海で、そこには360°どこを見てもたくさんの魚がいる。興奮した覚えはあるけど、何を見たかは覚えていない。河口に生い茂るマングローブは、踏みしめた土壌からにじみ出る濁り水と、延々と鳴り続けるかパキパキ音が、普通の森でないことを感じさせる。毎日わずかにタイミングが変わる潮汐に合わせて、自分も活動する時間を変えていく。島でのリズムは、飽きっぽい自分に合っていた。


 ある日の晩、夜の散歩でたくさんの生き物に出会えたことが、島をより魅力的なものにしてくれた。奇妙な冒険だった。

 懐中電灯を持って海岸に出かけた。地元の人から、この時期は満月の夜にヤシガニが出ると聞いて、宿からすぐ近くの海岸に向かったのだ。大学の先輩と二人だった。探検隊さながら、懐中電灯を片手に、期待を込めて出ていったのを覚えている。なぜかおもしろいものに出会えるという確信があった。昼間、島の自然の懐の深さを体感していたから、夜はまた別の姿を見せてくれるという期待があった。

 海岸へと続く道の途中、道路脇に光るモノを見つけた。光は動いている。その光以外は暗くて何も見えない。懐中電灯を当てて、やっと見えたのは、幼虫のような細長い体の生き物だった。トゲトゲの体に光るしっぽ。理解できないことが怖かった。その場で調べ、ホタルの幼虫だと分かった。幼虫も光るのか。暗闇の中で先輩と顔を見合わせた。図鑑で見る前に生で見て驚けることは、とても貴重で幸せな体験だった。恐怖と興奮が混じった奇妙な感覚が、記憶に色濃く残る。


 下ばかり気になっていた目線をふと上に移すと、電柱の上の方に、フクロウがいた。野生で見るのは初めてだけど、分かる。暗闇で光る目。シルエット。フクロウだ。光る眼でずっと僕らを見ていたのだろう。こちらが気付いても、フクロウは逃げなかった。距離は7mくらい。たっぷりと目に焼き付ける時間をくれた。呆然と立ち尽くした。受け入れてもらえたのか、認識すらもされてないのか、わからないまま、不思議な時間が流れた。


 興奮冷め止まないまま、海岸に到着した。地元の人に言われた通り、堤防の道を歩いていく。すぐそばの茂みからガサガサと音がする。何かが近くにいる。生き物が確かにいる。その感じはいつも自分の歩みを肯定してくれる。光を当てると、それはヤシガニだった。少し小さい。子供かもしれない。それでも、野生のヤシガニだ。聞いていた通り、ハサミは強靭でたくましい。子供でも十分に迫力があった。

 漠然とした期待をもって出かけ、期待を大きく上回る結果となる。ただ歩いていただけなのに、予想もしていなかったことが起こり、感動する。自然はなんてパワーを秘めているんだろう。計り知れない。これでも、きっと自然のほんの一部に触れているだけなんだと思う。


 民家と自然の境界でこうして生き物と出会うことができ、その境界がじわっと曖昧になるような感覚だった。都会での暮らしが長かったから、人間の世界と自然との間に、知らず知らずのうちに境界線を引いていた。それが取っ払われたようだった。その夜は、僕にとっては特別だったが、本来自然はいつだって近くにあるものだ。そんな感覚を持ち続けられるには、どうしたらいいだろうか。多様な生き物が生きる地球では、誰もがその舞台を共有していて、同じ瞬間を生きている。そのことを本当に理解するには、思い続けられるには、どうすればいいだろうか。

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