【罪と罰】心に響いた格言、名言、一節

前回に続き今回は下巻。下巻ではスヴィドリガイロフ、ポルフィーリィ、ソーニャとキーパーソンが続々登場し、数々の名言を発している。

スヴィドリガイロフの亡霊

本文
亡霊はいわば他の世界の小さな断片、他の世界の要素である。健康な人には、むろん、それが見える理由がない。なぜなら健康な人は完全な地上の人間である。従って、充実のために、さらに秩序のために、この地上の生活だけをしなければならない。ところが、ちょっとでも病気になると、つまりオルガニズムの中でノーマルな地上の秩序がちょっとでも破壊されると、ただちに他の世界の可能性があらわれはじめる、そして病気が重くなるにつれて、他の世界との接触が大きくなり、このようにして、人間が完全に死ぬと、そのまますぐに他の世界へ移る。

突然ラスコーリニコフの元に現れ、何の前触れもなく亡霊の話をしだすスヴィドリガイロフ。それは、どこか幻想的なものすら感じさせる。ただしこれは後の顛末を考えると、彼自身の死生観でもあったように思える。

ルージンの驕り

本文
彼は心の奥深くで、品行がよくて貧しい、ひじょうに若く、ひじょうに美しい、上品で教養のある、ひどくおびえやすい娘、そして世の中の苦労という苦労をなめつくして、彼にぜったいの恩を感じ、生涯彼を救いの神と考えて、感謝し、服従し、彼を、彼一人だけをおそれるような娘、そういう娘をわくわくしながら思い描いていたのだった。

彼は女をつかえば<実に、実に>多くのものを勝ち得られることを知っていた。チャーミングな、心の美しい、しかも教養の高い女の魅力は、おどろくほど彼の前途を飾り、彼の周囲をにぎわし、彼の栄養を創り上げるはずだった・・・

ラスコーリニコフの妹ドゥーニャの婚約者ピョートル・ペトローヴィチことルージン。ある程度地位を築いている弁護士でもある彼は、プライドがとても高くエリート意識も強い。
ドーニャに婚約を申し込んだのも、美しさに惹かれただけでなく、貧しさを極めていたということが条件という。貧しい人や女性に対する驕りと、どこまでも”上に立ちたいという醜い男のプライド”が透けて見える。

ただ、彼の思い描く女性像は、それほど突出したものではないようにも思える。生涯自分だけを愛し、自分だけに服従し、自分の人生を彩ってくれる、そんな理想の相手を描くことは珍しくはない。むしろよくあることだと思う。
ルージンみたいに「美しさも教養も兼ね備えた嫁さんをGETして、周りからも羨まれる順風満帆な人生を・・・・」なんてどこにでもありそうな夢だ。

上に立ちたいという悲しい男のプライド。これもよくある話だ。
たとえば、女性に食事を奢るという行為。これには上に立ちたいという男のプライドと下心が含まれている。単純にマナーや風習に従っただけという部分もあるだろうが、割り勘や逆に奢ってもらうとすればどうだろう。そこに拒否反応や羞恥心を感じるのであれば、プライドの存在は否定できまい。

理想やプライドを抱くこと自体は悪いことではないと思う。ただ、そこに相手を尊敬する心と愛情があるかないか?これが分かれ目だ。

悲しい男は、理想やプライドばかりを大事にして、自己満足と気付かずに女性に物を買ってあげたりお金を渡したりする。
だから拒絶された時に「色々買ってあげたのに!」とか「誰の金で食ってきたと思ってんだ!」というセリフが出る。
作中のルージンはこの部分が実にわかりやすく典型的だ。男の驕った部分と悲しいプライドを煮詰めて固めたような人物像である。

ポルフィーリィの詰問1

本文
まあ仮に、わたしがある男を勝手に泳がせておくとしましょう。拘束もしないし、邪魔もしません。が、その男にそれこそ四六時中、わたしがいっさいの秘密を知っていて、夜も昼もたえず尾行し、監視の目を光らせていると、知らせるか、あるいは少なくとも疑惑をもたせるようにしむけるわけです。
つまり意識的にたえずわたしに狙われているという疑惑と恐怖の下においておくわけです。
すると頭がくらくらになって、ーー向こうから引っかかってきたり、ーーはっきりした物証をのこしてくれたりするものです。
・・・現代感覚をもつ頭脳明晰な人間、しかもある方向に発達している人間には、なおさらのことですよ!だから、その人間がどの方向に発達しているかってことを見抜くのが、実に重大な意味をもつわけです。

犯人の思惑を逆手に取って、詰め将棋のごとく追い詰めていく予審判事のポルフィーリィ。作中の随時でラスコーリニコフとの掛け合いが展開していくが、そのほぼ全てで流れを掌握しているように思える。”心理的には私からは決して逃げられない”という台詞も印象的だ。

ラスコーリニコフの懺悔

本文
ぼくはあのとき知るべきだった、もっと早く知るべきだった、
ぼくがみんなのようにしらみか、それとも人間か?
ぼくは踏み越えることができるか、できないか?
身をかがめて、権力をにぎる勇気があるか、ないか?
ぼくはふるえおののく虫けらか、それとも権利があるか・・・・・

・・・果たしてぼくは婆さんを殺したんだろうか?ぼくは婆さんじゃなく、自分を殺したんだよ!あそこで一挙に、自分を殺してしまったんだ、永久に!

非凡人にとっての人間は”しらみ”だと言い、婆さんを殺したことを自分が”しらみ”かどうかを見分けるためにやったとソーニャに懺悔するラスコーリニコフ。
ただ、懺悔してはいるが、人間かしらみかという区分けを述べてるあたり、凡人か非凡人かという思想はまだ持ち続けているように思える。

ポルフィーリィの詰問2

本文
これは病的な頭脳が生み出した暗い事件です、現代の事件です、人心がにごり、血が<清める>などという言葉が引用され、生活の信条は安逸にあると説かれているような現代の生み出したできごとです。この事件には書物の上の空想があります、理論に刺激された苛立つ心があります。
そこには第一歩を踏み出そうとする決意が見えます、しかしそれは一風変わった決意ですーーー
山から転落するか、鐘楼から飛び降りるようなつもりで決意したが、犯罪に赴くときは足が地についていなかったようです。

なんでもお見通しのシャーロック・ホームズこと古畑任三郎……もといポルフィーリィ。ラスコーリニコフの懺悔と見比べてみると、ほぼ全てが的中している。
現代の事件、書物の上の空想、理論に刺激された苛立つ心など・・・・事件のキーワードも的確に表わしている。なぜこれほど正確に言い当ててるかは不明だが、ラスコーリニコフの犯行が暴走の元に行われていたということが改めて見て取れる。

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