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取り戻す旅⑤『蔵書票と五戸のペガサス』

 八戸駅に着くと「もうすぐ着きます」という友人からのメッセージ。ここから車で30分とかからない五戸町に住む、巽くんという友人が八戸駅まで迎えにきてくれることになっていた。彼を待つ間、駅構内のお土産屋さんをふらついていたら、大好きな「板かりんとう」を見つけた。かりんとうなどというものを好んで食べるようになるなんて、若い頃は思いもしなかった。歳をとったと感じるタイミングは数あれど、体力の低下や予期せぬ身体の不調ではなく、こういう場面に感じる加齢は、何かが目減りしてくのではなく、深みや味わいが増していくようで嬉しい。けれどそれはまだ僕が本格的な老いを感じていないからなのかもしれない。

 かりんとうと言われると、黒糖などで糖衣された無骨なものを想像するかもしれないが、小さな板状のかりんとうが綺麗にパッキングされたそれは、実直な風味が絶妙に美味く、またそのパッケージの絵がより素朴さを掻き立てて良いのだ。

 木版画で描かれたその絵は、棟方志功とはまた違う視点で東北の風土が切り取られた良作。作者は青森出身の佐藤米次郎(1915~2001)という木版画家。棟方に師事し、同じく青森出身で同世代の版画家には関野凖一郎がいる。童話運動や後進の指導にも尽力し、僕がなによりシンパシーを感じるのが、彼が蔵書票ぞうしょひょうを愛していたこと。

 蔵書票は、本の持ち主の名前に加えて、模様やイラストが描かれた小さな紙片その所有者を明確にするべく、通常は本の見返し部分に貼られる。その起源は15世紀半ばのドイツと言われ、国際的にはEx Libris(エクス・リブリス)と呼ばれる。日本には明治時代に紹介され、日本の古い蔵書票においても、エクスリブリスと書かれているものが多い。佐藤米次郎は、日本の蔵書票作家として海外で有名だった。

 蔵書票の存在を最初に知ったのは、秋田の木版画家、池田修三さんの作品集の編集と展覧会づくりのために、彼の残した膨大な数の作品を整理している時だった。そのなかにとても小さな作品があり、そこに「○○文庫」という文字が描かれていたことから、それがいわゆる蔵書票であることを知った。「蔵書票」と検索してみれば可愛いデザインのものがたくさん出てくると思う。

 実は昨年、僕も蔵書票をつくってみた。

 いよいよ蔵書票をつくることにしたのは、主宰しているオンラインコミュニティ『Re:School(りスクール)』が発端だった。北は北海道から南は沖縄まで、さらにアメリカとデンマークにもいる、りスクールメンバーは総勢70名。毎週、メンバー自らが主催してくれるウェビナーは現在150回を超え、毎回多くの気づきをもらっている。そんな、りスクールウェビナーの人気企画の一つに、「んでる本に引いた赤線レッドライン」を略した『つんでレ』という企画がある。ある時、どんどん増えていく積読本を前に、価値観の近いりスクールメンバーなら、読みたい本も似通っているはずだから、自分が読めていなくともメンバーのうちの誰かが読んでいるのではと思った。ならば、その内容をシェアしてもらうことで読了としよう。と、都合のよいことを考えたのだ。

 誰にアテンドしてもらうかで、その街の印象が変わるように、誰が話してくれるかで、その本の印象も大きく変わるに違いない。ならば、気心しれた、りスクールメンバーが立つ丘から望む本の地平を眺めてみたいと思った。メンバーそれぞれに気になった箇所を読み上げ、なぜそこが気になったかを話してもらうというだけなのだが、これが見事にヒットした。

 そもそも僕は本を読む際に、琴線に触れた箇所に赤線を引く癖がついている。『つんでレ』が始まったことで、よりメンバーにシェアしたい気持ちが高まり、一層、本に書き込みが増えた。しかしそのせいで古本にも出しづらい蔵書がどんどん貯まっていく。本は道具だという考えのもと、本を循環させたい僕は、蔵書をコレクションするよりは、次々手放したい。なのに、書き込みのせいで手放せない。このジレンマを解決してくれたのが蔵書票だった。書き込みを逆手にとるべく、赤鉛筆を持ったリスの絵の蔵書票をつくって見返しに貼り、それらを面白がってくれるメンバーにシェアしている。

 ちなみにこのデザインも、りスクールメンバーである竹内巧くんがデザインしてくれた。イラストレーターでもある巧くんが、僕の描くリスの絵をベースにまとめてくれたのだ。思いつきをカタチにしてくれる仲間がいることはとても幸福。

 そんな蔵書票を愛した佐藤米次郎の絵がパッケージに使われた「板かりんとう」のほか、もう一つ気になるお菓子を手に取ったところで、巽くんから「今車停めたので向かいます」とメッセージがきた。

 会わない間にずいぶん大人びた印象の巽くんは、相変わらず線が細く、どこか儚げで、学生時代から彼を知る身としては、元来の賢さと思慮深さが人生の邪魔をしがちなタイプの彼に、ふと、太宰を重ねた。風貌こそ違えど、彼もまた黒マントが似合う色男に違いない。

 八戸駅は太平洋に面した町ゆえ、雪こそ降らないがモーレツに寒い。とにかく僕にとって八戸ほど冷える町はない。かつての僕も含め、西に住む人はみんな勘違いしているけれど、雪深い町はあたたかい。これは人があたたかいとか、そんなありふれた比喩じゃなく、フィジカルにあたたかいのだ。僕の冬の旅の定番『もちはだ』もそうだけれど、あたたかい服は流動しない空気の層が大事だから、町の体感温度も、雪が包む空気によって影響されるのかもしれない。とにかく雪深い町の寒さはどこか丸みがある。一方、八戸や盛岡など、雪が多くない町の寒さは、刺さる。まっすぐ鋭角に刺してくるような寒さなのだ。おまけに足元はツルツル。おそろしい。

 この寒さを体感するたびに思い出すのが、初めてここ八戸駅に降りたったときのこと。2011年3月、震災が起こる数日前だ。当時、秋田で仕事を終えた僕は、思いつきで八戸に向かうことを決めた。「八戸ポータルミュージアムはっち(通称:はっち)」のオープン記念として開催されていた『八戸レビュウ』という展覧会に、友人の写真家、梅佳代ちゃんと、浅田政志くんが参加していて、それを観たいと思ったのだ。

 会場の「はっち」近くの安価なホテルを予約だけして、八戸駅までの切符を購入。秋田からは盛岡を経由するルートが一番早く、それでも3時間以上かけて夜遅くに八戸駅にたどり着いた。しかし、ホテルにチェックインしようとスマホの地図を見て愕然とする。ホテルまでなんと徒歩1時間半と出た。

 八戸未踏の人にぜひ伝えておきたいのだが、「はっち」や「八戸ブックセンター」「八戸市美術館」など、魅力的な公共施設や、飲屋街など、八戸を堪能できる街の中心は、新幹線の八戸駅ではなく、JR八戸線の八戸駅がまだしも近い。1時間に1本ほどしかないがまあ2駅で行ける。また、バスはそこそこ本数が多いので、その方が良いかもしれない。しかしあの日、八戸駅に降り立ったのは22時を過ぎていた。すべての運行を終えた交通機関と、凍えるような寒さが皮膚を抜けて胸にまで突き刺さる。

 途方に暮れるとはこのことかと、しばらく身動きが取れないまま駅前のロータリーで立ち尽くしているあたりで記憶は途切れている。あの後どうしたんだろう。その翌日なのか、展示を見てとても感動した記憶があるから、スーツケースを引いて1時間半ホテルまで歩いたのかもしれないし、なんとかタクシーをみつけたのかもしれない。辛い記憶は綺麗に消えても、この刺すような寒さを前にするとなぜか、茫然自失なあの夜を思い出す。

 昨日、青森市を案内してくれたアンリに「明日は五戸に行く」と伝えたら「五戸は坂が多い町で、あの町の高校生たちは坂で足腰鍛えられてるから陸上が強いんですよ」と言っていた。そのとおり坂だらけの町だった。運転中の巽くんに「坂が多いね」と話しかける。

「坂のまちって言われてるんです」
「あ、そういえば昨日、聞いたかも。坂で足腰鍛えられてるから、ここの高校生は陸上が強いんだっけ?」
「スポーツに疎いのでよくわからないんですけど、確かサッカーとかも」

 車窓のむこう、何かしらの競技場と、屋内型のスポーツ施設だろうか立派なドームが見えた。陸上であれサッカーであれ、本当に強いとしたらそれは坂というよりも、そういった施設の充実こそが関係しているのかもしれないなと思う。現実というのは得てしてつまらないものだから、我々はついそこに面白い物語をつくろうとする。僕が書く文章なんてまさにその塊だ。でもそれでいいじゃないかとも思う。

 昨年末に青森行きを決めてすぐ、巽くんに「よければ五戸を案内してもらえないか」とメッセージを送った。その際に「藤本さんタコス好きですか?」という謎の問いが返ってきて驚いた。「好きも何もトルティーヤ生地から手作りして冷凍常備してるくらい好き」と返答したその結果、八戸駅から車でまっすぐ連れてきてくれたのが、ここメキシコ料理屋店「ビバ ラ ビダ」だった。

 五戸町になぜメキシコ料理屋が? というのは謎だったけれど、それよりもなによりも、まずは食べてみたくて仕方がない。エンチラーダス、ケサディーヤ、サユラ、ソピートス、メヌード、とドラクエの呪文のようなメニューがつづくなか、唯一わかりやすい「タコススペシャル」なるメニューをチョイス。出来上がりを待つ間、傍らにあった雑誌を手に取ると、この店の紹介記事がある。つい癖でクレジットを見たら、昨日「ゆうぎり」でご一緒したライターの雪香さんの記事だ。よい仕事に嬉しくなる。

 雪香さんの記事によると、

 メキシコ人のお母さんを持つオーナーの村越武さんにとって、まさにおふくろの味だったメキシコ家庭料理を、妻のちあきさんが引き継いで調理。トルティーヤはもちろん手作りで、メキシコから取り寄せる調味料を使ったタコスは、具材にビーフステーキ、燻製唐辛子を使ったソースをかけたエビ、八戸産タラのフライの3種が付くとのこと。

 いよいよ楽しみで仕方ない。そう思ったところで、タコススペシャルがやってきた。

 な、なんだこれ……美味しすぎる。無類のタコス好きとはいえ、基本、国内の旅しかしない僕にとってのタコスデータのほとんどは沖縄。僕のなかのタコスランキングを五戸のスペシャルタコスが駈馬のごとく昇りつめる。実は五戸町は馬で有名な町。五戸の坂をトルティーヤの羽根を持つペガサスが駆け上がるのが見えた。

 馬のほかに、大蒜や長芋、そしてりんご、なかでも紅玉が有名な五戸町。実は巽くんのご実家もりんご農家なのだが、彼は理由あって農園を継がず、『五分 GOBU』という名の馬革ブランドを立ち上げていた。この時期は寒くて馬の姿こそ見れなかったけれど、まるで小さなスキー場と化した真っ白な牧場が町のなかに点在しており、そのいくつかに案内してくれた。

 巽くんの『五分』については、旅中に執筆して入稿したミシマガジンの連載記事に詳しくあるので、ぜひそちらも読んでもらえたら嬉しい。

 初めての五戸町を堪能し、そろそろ、夜のイベントに備えて八戸に戻ろうかというとき、「ふれあい市ごのへ」という看板を見かけて、立ち寄ってもらった。というのも、その看板にまさにペガサスが描かれていたからだ。その羽がトルティーヤで出来ていることを知るのは僕だけだ。

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