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引き継ぐのではなく、ただ退くだけ。

 最近、なんとも光栄な場面に立ち会わせてもらうことが出来た。その場面とは以下の記事の一場面。サムネとタイトルだけではわからないけれど、記事の最後、ジモコロの柿次郎は、彼の右腕的な存在で、この取材にも編集ライターとして同行していた友光だんごに、ジモコロの編集長を譲ると発表する。この記事は、それを知らなかった、だんごのリアルな表情も含めたリアルドキュメンタリーになっている。

 ジモコロ編集長として、8年間、ローカルをかけずり回ってきた徳谷柿次郎。彼から、編集長の交代の相談があったのはいつだったろうか? 彼の自叙伝……と片付けるにはもったいない、チャレンジングな編集の一冊、いわば世界初のカウンセリング型自叙伝とも言うべき『おまえの俺をおしえてくれ』を自社レーベルから出版し、全国各地でトークをしながら、コツコツと本を売り続ける柿次郎の姿に、その大変さが手に取るようにわかった僕は、意外にも当時兵庫県に販売先がないことを知って、ならば神戸で書籍販売を兼ねたトークをしようと、ある日ふと声をかけた。

 僕自身、出版記念ツアーと題して、自ら著者買取した本を抱え、たった半年間で全国62カ所をトークイベントして回るという狂気の季節を過ごしたことがあるので、とにかく何かしたい気持ちになったのだ。

 僕の会社、Re:S(りす)のある、デザイン・クリエイティブセンター神戸、通称「KIITO(きいと)」では、毎年春に、入居企業の紹介を兼ねた「オープンKIITO」なるイベントが開催されていて、そこに合わせて開催すれば、Re:Sがやっている仕事の紹介、つまり、入居企業の紹介になるわけだし、イベント趣旨にも適うはずと、柿次郎を話し相手に、僕たちがやっているローカル界隈の編集について話すイベントを開催することになった。

 そのイベント実施前のやりとりのなかで柿次郎から「せっかくの機会なので6年ぶりにジモコロの取材をさせてもらってもいいですか? というのも実は……」と、編集長交代を考えている話を聞いた。一つのメディアを長く続けていけば必ず訪れるであろうこのタイミングを意外にも僕は経験したことがない。それもこれも僕がやってきたメディアはせいぜい5年がMAXだ。結果的に起こし方からたたみ方まで、一貫してやりきることになっていて、それが僕の弱みだなあと、つくづく思っているだけに、とてもシンプルに羨ましいと思った。それに、そんなエモい瞬間に立ち会えること自体が、代え難いギフトのように感じた僕は、もちろんその取材を引き受けた。それが冒頭にある記事だ。

 思い返せば、だんごと初めて出会ったのは、たしか山形〜秋田の取材ツアーのときだったろうか。一緒に山形県の鶴岡で合流し、そのまま秋田県のにかほ市で、池田修三さんという今は亡き木版画家さんにまつわるプロジェクトを取材してくれた時だったと思う。

 その時はまだ、だんごと名乗りはじめたかどうか……くらいの時期で、僕の印象としても、だんごというよりは、友光くんって感じだったように記憶している。なにせ、この顔だ。「インターンで来てる学生の友光くんです」と言われても信じちゃうくらい、おぼこい。

 それが2年後にはこうなるんだもんな……

そう言えば、この夜は、相当イカれてて楽しかったな。

 無人島に行ってきたわけじゃあるまいし、幾多の試練を乗り越えてきたことが、こんなにもわかりやすく可視化されるものかと驚くけど、出会った当時はマジでこの顔だったんだよ。

 カメラを向けられたらレンズを見るということを覚えた賢い犬みたいな、この青年を、初めて友光だんごとして認識したのは、間違いなくあの夜だ。あの夜とは、僕の自著『魔法をかける編集』の出版記念ツアーのキックオフイベントの打ち上げ。

 当時アメリカ村にあった『スタンダードブックストア』にお客さんを100人集めよう! と、小倉ヒラクと柿次郎の二人にも出演してもらってトークをした日、本当に100人以上の人が来てくれたこともあって、ずいぶんご機嫌でミナミの街に繰り出した。そんなイベント打ち上げの場で、青年、友光哲は、柿次郎にガンガンに詰められていた。

 当時のだんごにとっては、大阪ミナミの酒場で、次々と現れるローカル界隈の先輩編集者たちがさぞ妖怪のように見えたことだろう。柿次郎だけでなく、アクの強い妖怪たちに、次々と、覚悟という名の不明瞭な契りを問われ求められ続けるあの夜は、僕だったら逆に記憶消すレベルだ。特に、当時の尖り切ってた柿次郎の、真っ直ぐゆえに、超絶やっかいな愛で圧し潰されそうになってる彼を、もはや僕は孫を見るような気持ちで眺めていたけれど、その夜があったことで、僕は以降、彼のことを友光哲だと思ったことはない。大阪ミナミでの濃密な夜の果て、彼は確かに、友光だんごになった。

 岡山出身だから、だんご。たけし軍団以来のシステムを取り入れた柿次郎は、変な話、自身が殿(ビートたけし)になることをも覚悟したんだろう。柿次郎というやつは、自身に何か過剰な負荷を課すことで次に行くやつだ。ある日いきなり「柿」の文字のタトゥーを入れて先輩に見せるという彼の著書にも出てくる異常なエピソードは、突き抜けているからこそ、その刹那な笑いまでをも覚悟に昇華させる見本のような話だ。つまり、だんごという名を貰った友光哲はもちろんのこと、柿次郎はそこで、一人の男の人生を過剰に背負い込んだ。だからこそあの夜、柿次郎はだんごを詰めなきゃいけなかったのだろう。それこそが愛だったのだ。柿次郎にギュンギュンに詰めまくられているだんごを見ながら、あんこ入りなら漏れてるやつだなと、クっと酒を飲むオイラもオイラだけど。

 だからこの日(編集長交代の日)がやってくることは、真に、必然だったと僕は思う。「だんごに編集長を引き継ぐかどうか迷っている」と言う柿次郎に、僕は何も迷うことはないと言った。心配しなくてもだんごに柿次郎は引き継げないし、引き継ぐ必要もない。大事なのはただ自分が退くだけだ。退くことが出来る幸福を柿次郎はかみしめるだけでいい。

 僕は編集者としての経験のなかで、秋田で多くを学ばせてもらった。そこには数々の出会いと別れがあり、ずいぶんと悩んだりもした。特にこの数年間は、どうやって自分が前に出ることなく、町の人たちに最高の器を引き継ぐことができるだろうかということばかりを考えて、そのことに苦しみもがいていた。自分のビジョンやイメージが先行しない地域編集をしなければ意味がない。それが僕の近年の目標になっていたように思う。しかしコロナ禍に入り、いろんなことが裏目に出て、歯車がずれていくのを感じていた。やがてさまざまな進行が滞りはじめて、いよいよ辛くて仕方なくなっていたとき、秋田の信頼する友人が僕を、山形の鶴岡に連れて行ってくれた。

 ずっとお会いしたかった、有名な山伏、星野先達を紹介してくれるためだった。

 友人の紹介のおかげで、ようやくお会いすることが出来た先達を前に、自己紹介せねばと、秋田での活動について説明させていただき、そのまま僕は知らず、いま抱えている悩みを先達に吐露していた。

 どうすれば、僕がやるのではなく、町の人たちがやりやすいような場所をつくれるか、どうすれば町の人たちにうまくバトンを渡せるだろうか。そんな悩みについて話す僕に先達は、

「バトンを渡すみたいな言葉が出てくることがすでにおかしい」

 と一言。先達のその言葉に、僕はすっかり目が覚めた。というか、心底恥ずかしい気持ちになった。先達の言うとおりだ。「バトンを渡す」とか言ってる時点で、超絶おこがましいことにそこでようやく気がつくことができた。もし本当に、町の人たちの自治を願うのなら、いますぐ僕がいなくなればいい。それだけのことじゃないか。そうじゃないのならば、僕自身がやりたいことをやればいい。

 今回公開されたジモコロの記事は、6年前にだんごがまとめてくれた記事のある種のアンサーとなっている。そんな当時の記事のテーマはまさに「捨てる」だった。

 雀鬼こと桜井章一さんの「答えは自分の捨て牌にしかない」という言葉と出合ったときの自身のエピソードとともに、「ところで柿次郎は、いつジモコロを捨てるの?」と問うところが一つの山場になっている。そんな風に他人に問うくらい、自分自身、捨てることの価値を知り、捨てることの意味を感じてきたはずなのに、僕は知らずそこに不要なエゴを加えていた。こちらのイメージを押しつけたくないと言いながら、渡すのではなく、退くことの大切さを、コロナ禍の焦りで、忘れてしまっていた。

 今回のジモコロ記事を見ていると、柿次郎がだんごにバトンを渡したように思うかもしれないけれど、柿次郎が渡したのはバトンではなく、底にジモコロと刻印されただけのただの器だ。だから、だんごがそこにどんな料理を盛ろうと自由だ。とは言え、強烈な個性と滋味深さが比例するスパイスカレーのような柿次郎のもとで何年も編集ライティングをやり続けただんごは、しばらくキツめのスパイス臭がとれないに違いない。だからここで何かが突然変化することもないだろうし、変化させようとする必要もない。いまある事実は、ジモコロの編集長から柿次郎が退いたということのみだ。だからだんごは、ここから数年、他人に何を言われようと、だんごなりの苦悩と葛藤を、ジモコロという器に盛り続ければいい。そのうち、柿次郎も僕も、その器にまたヘンテコな料理を盛らせてくれとお願いするに違いないし。

 ということで、長々と書いちゃったけど、言いたいことは、柿次郎もだんごも超かっけーし、リスペクトしてる! ってことだ。そして最後に誰が言ってるんだって感じだけど、ジモコロという器を大事にキープしてくれてるアイデムさんに「ありがとうございます」と伝えたいと思います。


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