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取り戻す旅① 「青森県五所川原」編

 昨年末、ふと「そういえば最近、青森行けてないなあ〜」と思った僕は勢い、JALのホームページを開いた。せっかくなので青森市から入って、八戸にも泊まって、さらに岩手・盛岡にも寄って、帰りは花巻空港から戻るか……そんなざっくりした旅の計画を立てて、航空券とホテルをとった。

 その後、ありがたいことに八戸の友人が、イベントを組んでくれることになり、旅の二日目の夜はお喋りをすることになったので、そこで少しばかり謝礼をいただけることになった。旅の費用を賄えるほどではないにしろ、一応、経営者という側面も膝の裏に隠れ持っているので、それを多少の言い訳にして、久しぶりの青森旅をスタートさせる。

 急な搭乗便の変更のお知らせがあり、出発が10分遅れたけれど、青森空港の到着時間に変更はなかった。「そんなに急がなくてもいいのに」と航空会社さんの心中お察ししますという気持ちになったけれど、それもこれも僕の予定に余裕があるからで、我ながらずいぶんと勝手なものだなと思う。だけど逆に言えば、みんな忙しすぎるし、余裕がなさすぎるのだ。すべてのミスは焦りから生まれるというから、この世から焦りをなくすということを国の最重要課題と捉えて、いっそのこそ、「防衛省」を「防衛焦」にでもして、国民に余裕をつくることにその予算を投入してくれないかなと妄想してみたけれど、意外にわるくない考えな気もする。

 たしか青森出身のアートディレクター、森本千絵ちゃんが手がけたんだったと、青森空港内のステンドグラス作品『青の森へ』を探す。多様な「青」で表現された青森らしいモチーフの見事な構成に「千絵ちゃん、さすがだなあ〜」と思って眺めていたら、今日1日、車を出してくれることになった友人のアンリから「空港に着きました」とメッセージ。いきなり青森にやってきた旅人おじさんをアテンドしてくれる友人がいることがとにかくありがたい。基本、寂しがりな僕が、一人ふらふらと旅できるのは、こうやってその土地をアテンドしてくれる友人がいてくれるからこそ。しかも今夜は、アンリが声をかけてくれて、青森の面白い人たちとの飲み会をセッティングしてくれたという。僕はその土地の人たちと語らうことが好きなくせに、人見知りでもあるので、信頼できる友人のごはん会というのが一番嬉しい。地酒も飲めそうだし……。青森だから『田酒』かな。いや、大好きな弘前の『豊盃』が飲めるといいなあ、などとすでにお酒のことばかり考える。

 迎えにきてくれたアンリとも、なんだかんだで5〜6年は会ってなかった。当時、青森の老舗編集プロダクションにいた彼女とは、とある雑誌の取材をご一緒させてもらったことから知り合った。その直後に会社をやめてフリーになったと聞いて、それがなんだか少し気になったこともあり、たまーにメッセージのやりとりをしていた。子どもがいるのは知っていたけれど、聞けば、一月半前に二人目が産まれたところだという。って、え?! どゆこと? と焦る。いやいやいや「こんなおじさんのアテンドしてる場合じゃないやろ」と言う僕に、両親がみてくれるし、旦那さんも協力的だからと返すアンリ。それにしても……と思うけれど、2人目ともなるとこんなに肝が座るものかと、それ以上は考えないようにした。アンリにはアンリの考えかたや事情があるのだ。とにかくありがたいことに変わりはなかった。

 「さて、どこ行きたいですか?」その一言にますますアンリの胆力を感じつつ「五所川原、行ってみたいねん」と答える。青森県内は下北半島まで含め、両手指でおさまらないほど何度も訪れているけれど、意外にも五所川原を目的にしたことはなかった。青森ねぶたも、弘前ねぷたも、八戸の三社大祭も楽しませてもらったけれど、かの有名な立佞武多たちねぷたすら生で見たことがない。とはいえいまは冬。秋の実りへの祈りと、冬の束縛からのエクスプロージョンを体感するにはまだまだ早い。僕は「斜陽館」に行ってみたかった。

 斜陽館。かの文豪、太宰治の生家で、いまは太宰治記念館となっているその場所が、五所川原市金木という町にある。アンリがいうには、金木町の人は、自分たちが五所川原の人間だとは思っていないのだそう。地方あるあるだが、市町村合併で統合された町は、腹の底に拳が見える。デジカメの登場でフィルムカメラの良さが語られたりしたように、市町村合併が生み出すシビックプライドというものがあるのだと、よそ者で旅人の僕などは思うけれど、それでも青森の友人には「斜陽館に行きたくて五所川原に行ってきた」ではなく「斜陽館に行きたくて金木町に行ってきた」と言おうとは思った。

 今年は雪が少ないと聞いていたけれど、ものすごい雪。来青に合わせてくれたように昨日から急に降り出したという。さっさと暖をとりたい気持ちもあるが、めったと雪の降らない街に住む人間の性、雪の演出でより趣を増す斜陽館の構えを前に何枚もシャッターを切って、ようやく中へ。

 昨年末のこと。新潟県燕市にあるツバメコーヒーの田中くんから原稿依頼を受けたのだが、そのテーマが「カルチベート」だった。そもそもコーヒー屋さんからの原稿依頼ってどういうことだと思われるだろうが、ツバメコーヒーはただのコーヒー屋ではない。店に行けば、彼が売りたいと思う本がそこかしこに並んでいる。だから僕は彼のコーヒーを飲みに行きつつ、本に出合いに行く、そんな場所なのだ。最近彼は『WASH AND BOOKS』というコインランドリーと本屋をMIXした事前予約制のブックショップまでオープンさせて、みんなを戸惑わせている。

 そんな田中くんが2年前に自費出版本を出していて、旅の途中で立ち寄った僕は迷わず購入したのだが、ものづくりの楽しさに味をしめたのか、出版沼にハマったのか、また新しい本を出すのだという。そのための原稿依頼だった。

 田中くんがカルチべートをテーマに本作りをすることになった動機は、太宰治の『パンドラの匣』(新潮文庫)に収録された「正義と微笑」という作品にあると聞いた。代表作の『人間失格』ですら記憶がおぼろげな僕は、この機会にパンドラの匣はもちろん、幾つかの太宰作品を読んでみたのだが、あらためてシンパシーを感じ、彼の故郷を描写した「津軽」や「津軽通信」などにも手をつけて、故郷に行ってみたいと思ったのだ。

 ミーハー気分を抱え、かつて太宰が居た畳敷を、階段を、ソファを、時空を超えるような思いで眺め、とても満足な時間を過ごせた。文豪が推しのメインカルチャーになれた時代の憧れを自分にも刻みたいと、太宰のシルエットがはいったブックカバーを買った。しかし、シルエットだけで特定できるとは、いったいどれほどのことか。ある意味でここまでの有名性をもたらした、彼の情死という事実に。松本人志さんのスキャンダルで揺れる現在を思う。かつてのNHKのニュース映像を見つけたので置いておく。

 いよいよ斜陽館を出るかという前に「太宰おみくじ」なるものを見つけたのでやってみる。僕にとってのおみくじは、常に確認のためのもので、つまりは初詣よりも年末に引きたい気持ちがあるくらいだから、旅のスタートでおみくじを引くなんてのは、普段ありえないのだけれど、太宰みくじとなると仕方ない。出てきた棒の先のQRコードを読み込むという、趣も何もあったものじゃないその軽薄さを、太宰が生きていればどう苦々しく文章にしてくれただろうかと思う。うわっつらなエンタメの痛烈なる皮肉だという思いをこめてくじを引いた。

 軽薄の極みだった。「メロスやったね!」と言わんばかりのイラストに大吉とある。そもそも「人生篇」ってなんだ。こんな創作ができる人ならば、僕も、もう少し生きやすかっただろうかと思う。

 斜陽館を出ると、もう12時。お昼はどこにしようかとアンリと相談。さすが地元でライターをしているだけあって、色々とおすすめのお店を提案してくれるなか、なぜか雪国に多いと感じる「天中てんちゅう」(天ぷら中華)が人気の『亀乃家』という老舗蕎麦屋をチョイス。つまりは温かい汁が飲みたかったのだ。青森でよく目にする「百年食堂」の一つだと言うから、百年食堂の定義を調べてみたら75年以上続く店だという。百年となると一気にマップのピンが減るのだろうか。その妥協に冷たい雪が積もる。

 店構えは百年食堂というよりは、昨年食堂といった真新しさ。しかしこれだってまた100年、いや75年経てばよいのだと思うけれど、その頃にはまた改装されているやもしれぬ。

 メニューに「舌代」とあるところに老舗感を感じる以外は、実に近代的な内装だ。そもそも蕎麦屋さんゆえ、メインは蕎麦のようだったけれど、ここは敢えて、天ぷら中華一択。なにせここの天ぷら中華の天ぷらは、ホタテのかき揚げだという。実に青森らしくて素敵じゃないか。野菜メインのかき揚げにホタテが少量散らばる程度かと思っていたが、ほぼホタテのみ。あっさり優しい汁に浮かぶ、かきあげの油分とともに麺をすすれば、冷えた体が一気に温まっていく。あぁ美味い。

 きれいに食べ切ったと思ったらスープのそこにチャーシューが。それがまるで青森県のカタチで、僕にとってはよっぽどこちらが大吉。

 『亀乃家』は五所川原駅から近い場所にある。せっかくなので駅にも行ってみると、JR五所川原駅のすぐ隣に、津軽鉄道の津軽五所川原駅があり、ストーブ列車なるものが走っていることを知る。

 ダルマストーブを暖房にして走る #ストーブ列車 は、なんともレトロでかわいくて、ちょうどタイミングよく乗車できそうだと、アンリが30分先の金木駅で待ってるから乗ってきたらいいと言ってくれた。

 はじめて乗車したストーブ列車の楽しさよ。いまは珍しくなってしまった車内販売で、スルメを買うとすぐさまストーブで焼いてくれる。その香ばしいかおりに、ちょっと一杯やりたくなるけれど、30分で途中下車するし、何よりまだまだ旅の序盤だと、控えることに。

 車窓に流れる雪景色を眺めながら束の間の列車旅。マジで最高だった。
昔ながらの硬券も嬉しい。IC乗車は楽ちんだけど、人の手を介する場面が増えるほど旅は豊かになるものだ。8割方読み切っていた「津軽通信」の一編に触れる。また機会があるならば、じっくり一冊読みながら乗れるといいなと思う。

 ストーブ列車のフィジカルな熱と興奮でホカホカになった僕を、金木駅で待っていてくれたアンリは、僕がそろそろ甘味を欲しがり始めていることを察したかのように、このあたりはバナナボートが有名なお菓子屋さんが幾つかあると話してくれた。昭和30年代に秋田の「たけや製パン」が最初に販売をはじめたと言われる「バナナボート」は、スポンジ生地でバナナとクリームを巻いたオムレット式のお菓子。日本各地に似たようなものがあるから、どこが最初というのは実際はよくわからないと思うけれど、せっかくならば食べてみたいと、通り道にある「芦野屋」というお店に行ってみる。

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