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赤倉温泉(山形県)に移住した、ある女性編集者のはなし。

 一週間に及ぶ旅からようやく帰阪。伊丹空港まで迎えに来てくれたみかとそらの顔を見て、なんだかホッとするのを超えて力が抜けるよう。車の中でそらが「父ちゃんフェス終わっちゃったよ」とスプラトゥーンのオンラインイベントのことを言って、今回の旅はいろんなことがありすぎて、Nintendo switchほとんど触ってないやと気づく。満タンにしておいたはずのswitchの電源を入れてみるとほんのり電池が減っていて、いつでも大丈夫だよと準備万端待ち構えていたswitchが愛しくなったと同時に、なんだかふと、各地で僕を呼んでくださるディレクターさんたちのことを思った。

 新しい街に訪れるたび、各地のディレクターさんたちが僕をもてなしてくれて、僕はいつだってなんのストレスもなく、楽しくおしゃべりをして帰る。それもこれも、自らのエネルギーを減らしてまで準備を整えてくれていた地元のみなさんのお陰なんだと、なんだか失礼かもしれないけれど、Nintendo switchであらためて気づかされちゃったのだ。

 各地のディレクターさんたちの凄さについて以前書いた記事です。
 → イベント企画で大切なこと5ヶ条

 今回の旅では、秋田県の鹿角市、福島県福島市、山形県最上町の3箇所で講演をさせてもらったんだけど、そのラスト、山形県最上町でのイベントは個人的にもちょっと特別な思いがあるので、今日はそのことを書こうと思う。

 現状53箇所で開催が決まっている「魔法をかける編集」&「風と土の秋田」出版記念ツアーだけど、なかでも山形県最上町はもっとも訪れにくい場所じゃないだろうか? 山形にはこれまで10回以上訪れている僕だけど、それでも正直、最上町と言われてそれがどこなのかよくわからなかった。

 そんな最上町に僕を呼んでくれたのは、通称〝やまかな〟こと山﨑香菜子。彼女はこの最上町の温泉郷、赤倉温泉にあるお土産屋さんに嫁いだことから最上町に移住し、いまは地域おこし協力隊として活動している。

 彼女と最初に出会ったときのことは思い返せないけれど、そう言えば僕が「Re:S」という雑誌を作っていた約10年前、東京で開催したイベントにも来てくれていたようなことを聞いた気がする。でも〝やまかな〟を最初に認識したのは彼女がくれた手紙だったはず。とにかく編集者という職業に憧れをもっていた〝やまかな〟は、お酒が入るといつもこんなことを言う。

「藤本さんは私が二番目に尊敬する編集者だから」

 お約束のようなこの言葉が出てくると、まわりにいる人たちは、本人を目の前に二番目って……そこは一番でいいじゃん……的な反応になって、なんだか申し訳なくなるんだけど、さらに〝やまかな〟はこう言うのだ。

「一番は花森安治さん」

 それで僕はいつも赤面するほど恐縮する。

 僕だって一番尊敬する編集者と問われれば花森安治さんを真っ先にあげる。
「一つの内閣を変えるよりも、一つの家のみそ汁の作り方を変えることの方がずっとむつかしいにちがいない。」
花森さんのこの言葉に僕は何度も救われたし、いまだに地の底に落とされもする。一番と二番の差が圧倒的すぎるよ、やまかな。

↑まだお酒が入る前の〝やまかな〟

 ゆえに彼女は花森さん亡き後の「暮しの手帖社」でお手伝いをしていたこともある。けど、やめた。その理由はなんとなくわかる気がする。花森さんは偉大すぎるのだ。

 その後、東北芸工大の職員として働きはじめた彼女だったけれど、いよいよそこもやめようという時に、これからのことを相談したいと神戸まで来てくれたことがある。そしてその直後に今度はのんびりのメンバーに会うべく秋田にも来てくれた。けれど彼女はいつも最後に泣きだした。編集者という仕事への憧れと、女性としての幸福と、その間で揺れながらクシャクシャになって泣いてた。

 そんなとき僕はいつもこう思っていた。どちらかを選ぶ必要なんてない。どちらもが満たされる環境がきっとあるはずだと。

 彼女が嫁いだ赤倉温泉の「早川土産店」は、お世辞にも賑わっているとは言えない、しなびた温泉街の小さな土産店で、僕を案内するべく向かう車内でも「買いたいものなんてないと思うので、何か買わなきゃとか思わないでくださいね」と気遣いの言葉を投げてくれた。だけど僕は、そもそもある物を買う気満々でお店に連れて行ってもらっていたのだ。その物とは、彼女が地元のお母さんがたに声をかけ、プロデュースした「はけご」というカゴ。

 かつては山葡萄やあけびの蔓、くるみの木の皮などで編まれていた北国の女性の手仕事「はけご」は、現代は梱包に使われるPPバンドを使用したものに変わっていて、道の駅などでもよくカラフルなバッグを見かけることも多いと思う。PPバンドのカラフルさに目を輝かせる母さんがたによって、全国に浸透しつつあるのだけれど、そのクオリティの高さに目をつけた〝やまかな〟は、「沢原はけごの会」という、Made in 最上町の商品を売ろうと頑張っていた。

 沢原はけごの会
 https://hayakawamiyage.stores.jp/ 

 自分のお客さんたちが欲しいであろうものが見える〝やまかな〟が、自由奔放な母さんがたのものづくりをディレクションするなんて、一筋縄ではいかないことくらいすぐに想像できる。それでも彼女は少しづつ前進しているように見えた。と同時に、そんな彼女の編集力に、地元の人たちはまだ気づいていないことも見て取れた。

 僕が今回彼女に呼ばれ、最上町のみなさんを前にお話をさせていただいたのは、お土産屋の女房として嫁いで来た〝やまかな〟が、とても優秀な編集者であることに気づいてもらうためだと思って、僕はトークにのぞんだ。

 この山中に定員50名も集まるんだろうか? 僕の心配をよそに実際は60名もの方がきてくださり、最上町外の人はもちろん、きちんと町の人たちも足を運んでくれていることに感動した。彼女は間違いなく赤倉温泉を最上町を変えていくと思う。

 一泊させてもらった赤倉温泉の宿「三之亟(さんのじょう)」では、巨大な自然岩を掘り貫くことで出来た岩風呂があって、底面のひびわれから源泉がじわじわ自噴するその姿はまるで美しい湧水に浸かる心地よさで、この温泉のためだけにやってきてもいいくらいだし、地元の母さんがたが作る食事をいただける「たらふく工房」も最高だし(イワナの唐揚げ食べて欲しい!)、とにかく赤倉温泉のポテンシャルはヤバい。

 そんな街に、やまかなという編集者が移住したのは、いつものごとく、偶然の顔をしてやって来た必然だ。これから赤倉温泉でおこるだろうミラクルの数々を、みんな見逃さないでほしいな。だから出来ることなら一度、赤倉温泉に行ってみて欲しい。

 彼女が車で空港まで送ってくれて、その別れ際、ここ最近は会うたびに涙を流してた気がする〝やまかな〟が今回は一度も泣かなかったことに気づいた。結婚をして最上町に移り住んでいま強く生きる〝やまかな〟。

 彼女はいま僕が5番目くらいに尊敬する編集者だ。

↑〝やまかな〟から購入して現在愛用中の僕のはけご


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