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良心市と、高知の「笑い」

 高知蔦屋書店の社長の前田さんという方がいて、知人を介して紹介してもらったら偶然にも同い年だったこともあり、最近仲良くさせてもらっている。とにかくとても情熱のある方で、先日、神木隆之介くんと一緒につくらせていただいた『かみきこうち』(NHK出版)の出版記念イベントを企画してくれた。書籍に登場する方々のワークショップがあったり、モノが買えたりする賑やかなマルシェイベントで、その企画の一つとして、僕も声をかけていただき、文筆家で翻訳家でもある服部雄一郎さんとのトークと、デザイナーの梅原真さんとのトークのお相手を務めさせてもらった。

久礼大正町市場に行かなきゃ食べられない、田中鮮魚店の鰹の藁焼きを田中さん自ら!
高知限定カバー大人気でした!
神木くんも引いてたブリくじを持って廃校水族館のみなさんも出店!
神木くんも体験したロギールさんの和紙作りワークショップ。

 服部さんとのトークテーマは「おすそわけ」。高知独特のおすそわけ文化について、高知への移住者視点から、さまざまにリアルなお話を伺えて、とても充実した時間になった。最後にはお庭の草花やへちまの種をお客さんにおすそわけしてくださるなど、最後まで服部さんらしい時間で、1時間の短さが惜しいほどに楽しかった。

雄一郎さん麻子さんとトーク後に記念写真〜

 続いて登場してくださった梅原真さんは、僕にとってのTHE 高知人。10年以上前に、四万十新聞バッグコンクールの審査員として梅原さんが僕を呼んでくださったご縁から、以来、何度も高知に訪れるようになった。つまり、僕の高知とのご縁のはじまりは梅原さんだ。最近はさすがにないけれど、昔は梅原さんと飲みに行くと「一軒、二軒で、高知はわからんやろ」と、一夜のうちに5〜6軒の店を梯子した。そうやってアテンドしていただいた数々のお店のfoodから高知の風土を学んだ。

 今回のイベントは蔦屋書店さん企画ということもあり、『かみきこうち』だけでなく、発売を1週間ほど先に控えていた梅原さんの新著『わらうデ』(羽鳥出版)の先行販売もあった。それゆえ『かみきこうち』取材時のエピソードのほか、そこに通底する、高知の「笑い」についての話が、トークの軸になった。

 ちなみに、梅原さんの新著のタイトル『わらうデ』は、梅原さんの骨太でまっすぐな「デ」=「デザイン」の真ん中にある、高知独特の「笑い」について書かれた本だ。『かみきこうち』のなかでも、牧野富太郎の底抜けの笑顔と神木くんの笑顔の類似性の話から、坂本龍馬や、ジョン万次郎など、高知の偉人たちの豪快な「笑い」について話す場面があったり、日曜市の露店のかあさんたちの手書きコピーにある、ストレートでコミュニケーション力の高い「笑い」について触れたりしているけれど、あらためて今回のトークで話してくれた、「良心市」という高知独特の文化に、僕はとても感動した。

「良心市」とは、無人販売所のこと。地方を旅しているとたまに道端にふと現れる、あの無人市のことなのだが、梅原さんの新著によると

「良心市」と呼ばれ始めたのは1951年(昭和26年)からのことで、四万十川源流域の東津野村(現・津野町) という山村が名付け親。
 村の農業相談所の落成を機に村人が無人の市を始めるにあたって、所長の梅原秋芳さんが「良心に訴えるのだから、良心市としたらどうじゃろうか」と命名したのだそうだ。
 このネーミングには民から湧いてくるパワーがあって、地域社会や人の心まで明るく動かしてくれるような清々しさと善良さがある。農産物を介して買ってくれる客を信じる農家と、安心な野菜を作ってくれる農家を信じて買っていく客との間の信頼関係を無言で深めてくれる。

「わらうデ」梅原真(羽鳥出版)

 無人販売所という、状況をただそのまま言葉にしたネーミングではなく、そこにある無言のコミュニケーションをこそネーミングにしてしまうユニークなセンスが、高知の笑いであり、そんな「笑かしまっせ!」じゃない、そこはかとなくある笑いに触れ続けてきたことが、自身のデザインの根っこにあると、梅原さんは話してくれた。

 関西に住む僕は、大阪の街に数多ある、圧の強い笑いではなく、背もたれに身を預けたまま、思わず笑っちゃうような、純粋無垢で天真爛漫な笑いこそが、僕にとっての高知の魅力そのものかもしれないと気付かされてとてもハッとした。

 そして僕は梅原さんとのトーク中にもかかわらず、最初にトークさせてもらった服部雄一郎さんのお話をふと思い出していた。その話とは、高知人のおすそわけのふるまいが我々の想像を超えているという話。『かみきこうち』にも登場するエピソードなのだけれど、服部さんいわく、出会いがしらで見知らぬ人から「文旦いる?」と突然おすそわけをもらったりすることがあるというのだ。関西人の僕がそこで思い出すのは、大阪のおばちゃんたちの「飴ちゃん文化」。

 信号待ちをしていたら、見知らぬおばちゃんに「飴ちゃん食べる?」といきなり飴をもらった。なんていう話をテレビなどで聞いたりしたことはないだろうか? もはや都市伝説のようになっているけれど、僕が子供の頃はたしかにそんなことがあって、実際に多くのおばちゃんが、幾種類もの飴玉をいれた小さな巾着を持ち歩いてた。そして、ふとしたときに「お兄ちゃん飴ちゃんあげよ」と飴をくれるのだ。それと、高知のひとたちのおすそわけが、限りなく近いと思ったのだけど……いやしかし、何かが違うような気がしていた。その違いとはどこなんだろうと考えていた僕は、梅原さんの話から、その差異の正体を見つけた気がした。

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