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痛みが消えれば病を忘れ…(リウマチ日記②)


全身性エリテマトーデスの可能性があると言われ、次回受診までひと月ほどの猶予があった。
病名と自分の症状と照らし合わせても、自分の中で腑に落ちない。次回の受診を待つべきか悩んでいた間も、なおも痛みは増していた。
どれくらいの痛みかといえば、
車のハンドルを持つことも、包丁を持つことも、歯ブラシを持つことさえもできない、体や髪が洗えない。確実に私の日常を蝕みはじめていた。
それにも関わらず、私の身体は全身性エリテマトーデスであるはずがない、という思いが常に存在していた。

ある知り合いの教授にこの事を話し、その教授の在籍する大学病院を受診することとなった。セカンドオピニオンである。
そこで下された診断名は関節リウマチであった。全身性エリテマトーデスと診断するまでに症状は至っていないという。
安堵感と、なぜ私がリウマチになったんだという感情で涙が溢れ出たのを覚えている。前回のように、感情のない涙ではなく、不安と絶望感で満たされた涙がポロポロと溢れ出ていた。

診断が下り、早速、抗リウマチ薬での内服が開始となった。効果が現れるまで2〜3ヶ月かかるとの説明を受けたが、日に日に手の痛みが軽くなる。久しぶりの痛みのない生活が懐かしい。以前の生活がどれだけ有難かったか、初めて健康という言葉が身に染みた。そして、今まで何不自由なく過ごせていた自分の身体に初めて感謝の意を持った。

それから5年程の間は、有難いことに、痛みも無く、リウマチが悪化する事はなかった。
それゆえに、薬でコントロールしながらうまく付き合って行ける疾患なんだと安易に構えてしまったのだろう。何十年も付き合っていく疾患なのに…
痛みというものが無くなれば、人は病を無かったことにするのだろうか。



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